第2話 蒼空の目

 牡渡無おとなし蒼空そらは、現時点での標的である。私立高校に進学さえすればと、中学三年間のいじめに耐え抜いたが、高校に入学しても事態は変わらなかった。結局、またいじめの標的にされてしまった。私立 鷹羽岱たかばだい高校新入学から一ヶ月、蒼空はもう限界に達していた。


 蒼空が攻撃を受けるようになる前は、同じクラスの徳永アキが餌食になっていた。或る日、他クラスの女生徒・西はるながアキを呼びに来た。アキは、たまたま傍にいた蒼空に「助けて…」と悲痛な表情で訴えた。それまで蒼空はアキとそれほど親しかったわけではない。しかし、この日のアキはいつもと違って至極怯えていた。


「待ってください」


 蒼空は思わず西はるなを呼び止めていた。


「なんか用?」

「あの…徳永さんは今日あまり体調が良くなくて…」


 西はるなは蒼空をじっと睨み付けた。


「だから?」

「これから保健室に連れて行くところなんです」

「そう…なら、あなたが代わりに来てくれる?」

「どういう御用ですか?」

「来れば分かるから」


 蒼空はアキの顔を見たが、アキは顔を伏せたままだった。


「分かりました」


 蒼空は西はるなに従った。はるなは体育館の裏にある野球部の部室の前で止まった。


「入りな」


 中には番を張っている東山サリ、南香織、喜多川夏帆の三人が待っていた。


「アキは?」

「こいつが身代わりになるそうよ」

「おまえ、アキのダチか?」

「同じクラスです」

「ダチじゃねえのか?」

「特に親しいわけでは…」


 南香織が蒼空に手を差し出した。


「・・・!?」

「アキに金貸してんだよ。代わりにあんたが返してくれるんでしょ?」

「・・・・・」

「出しな!」

「いくらですか?」

「3万」

「そんなお金、持ってません」

「じゃ、明日まで用意して来て」

「できません」


 突然腹部に鈍痛が走った。空手部の西はるなに一撃を受けていた。蒼空は息が止まって踠いた。喜多川夏帆が蒼空の衣服を脱がせ、強引に唇を重ねた。蒼空は必死に抵抗して夏帆を突き飛ばした。夏帆の強力なビンタが飛んで来た。


「お金用意できなかったら、明日はこの続きね」


 夏帆が部室を出る時には既に東山サリたちの姿はなかった。蒼空が散乱した衣類を拾って着ようとしているところに、クラス担任の鬼頭民雄が入って来た。


「・・・!」

「間に合ってよかった! 大丈夫か、牡渡無おとなし!」


 鬼頭は蒼空に走り寄って抱き締めた。蒼空は緊張して強張った体の力を一瞬抜いた時、今度は鬼頭が唇を重ねて来た。更に鬼頭の手が蒼空の体を弄り始めた。


「先生、やめてください!」


 鬼頭が声のほうに振り向くと、アキが立っていた。鬼頭は一瞬焦ったがすぐに平静を取り戻した。


「徳永…もとはと言えば、おまえが撒いた種じゃないか? 先生は牡渡無を助けたんだ。このくらいのお礼はしてもらわないと」

「・・・・・」

「それとも、今度はおまえが牡渡無の身代わりになるか?」

「・・・・・」

「その気がないなら出て行け」


鬼頭は牡渡無が握りしめて体を隠している上着を剥ぎ取った。


「私が…代わりになります」


 鬼頭民雄はダミオンの仇名で他の生徒にも気味悪がられる教師だった。


「そうか」


 アキは目を逸らして頷いた。


「牡渡無、いい友達を持ったな。帰っていいぞ」


 徳永アキは二学期から学級委員長になり、鬼頭には重宝がられる“特別”な関係になった。時々、生徒が捌けた吹奏楽部の準備室で、鬼頭は居残りさせた徳永アキの体を弄んだ。アキは体を固くして鬼頭の“発作”が治まるのをいつもじっと耐えて待った。鬼頭の携帯が鳴ったのを機に、急いで準備室を出たアキの表情が凍った。


 そこに蒼空が立っていた。アキは乱れた服装のままその場を走り去った。準備室の戸が開く音で、蒼空はとっさに近くの物陰に隠れた。しかし、鬼頭の足音は蒼空の前で止まった。


「牡渡無…」

「・・・!」

「何も見てないよな」


 蒼空は観念して鬼頭の前に出た。そして、その目をじっと見た。


「先生の奥さん…自殺するよ」

「な、何を言う !? バカなことを言うな!」

「…雨が降ってる」


 鬼頭は外を見た。


「雨なんか降ってないじゃないか…おまえ、頭大丈夫か?」


 蒼空は鬼頭に背を向け、歩き出した。鬼頭はその背に声を投げた。


「何も見なかったよな!」


 校舎を出る蒼空の目は怒りで死んでいた。


〈第3話「転校生」につづく〉

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