4-3
瞬と別れてすぐ、考司は新谷に電話した。
カフェにいる間から二度着信が来ていて、気にはなっていた。向こうの瞬になにか変化があったのだろうか。
「ごめん、ちょっと面倒くさいことになって出られなかった。着信、なんですか?」
「瞬くんがいなくなった」
新谷はうろたえた声で言った。部屋を歩き回っている音がする。
「いなくなったっていうのは、どっちの意味で」
「消えたのか、逃げたのか、僕にもわからない。三日前から『そよかぜ』にもついてこなくなって、仕方ないから手をベッドに縛って出かけてたんだ。だんだん話しかけても答えてくれなくなって、昨夜にはほとんど動かなくなった。それで、今朝見たら服から出た部分の身体が透けていて、驚いたよ。考司くんは今日から旅行だって聞いてたから、そんな時くらい憂いなく楽しんで欲しくて、彼の最期は僕が看取って報告しようと思ったんだけど」
新谷の余計な気づかいは大概の場合裏目に出る。今回も。
「それで?」
考司は呆れながら続きを早くと促した。
「瞬くんに、なにかできることはないかって聞いたら「最後にあんパンが食べたい」って言うから、急いで買いに走ったんだ。もちろん、手は縛ったままで。もう身体が透けてたから、物理的な拘束に意味があったかどうかわからないけど」
「どのくらい家を空けた?」
「歩いて五分のコンビニだよ。適当に食べ物と飲み物を買って、すぐ戻った。往復で十五分もかかってない。帰ってきたら、部屋に瞬くんが着ていたティーシャツとズボンが落ちていて、代わりにK高の制服がなくなっていた」
K高の制服は、この世界の服じゃない。瞬がこの世界に転移してきた時に身に着けていたものだ。未来のもの。異物。瞬が消滅したら、一緒になくなっていてもおかしくない。
消滅、したのかもしれない。
しかし疑いは捨てられない。現在の瞬は思考パターンも含めて行動を読みやすいが、三年後の瞬は少し手ごわい。これからの三年の間に、瞬の性格は随分変わるようだ。
部屋から逃げ出した可能性もあるし、もしかしたら不可視の透明人間のようになって存在している可能性もある。どちらも考慮に入れて、注意しておかなければならない。
「わかりました。こっちは、真耶が逃げて行方不明です」
考司は状況を説明した。親子の衝突を、なるべく簡潔に伝える。
「すぐ見つかりそうなの?」
説明し終えると、新谷はまずそれを尋ねた。
「さあ。見つかればラッキーくらいですね。俺も知らない町だから」
以前の考司なら完全に諦めていたが、今はささやかな希望がある。
瞬がいる。
瞬は去年の冬に真耶を探して見つけ出した。さっきだって、水族館に戻るという考えは考司に浮かばなかった。瞬がいれば真耶は見つかるのかもしれない。助かるのかもしれない。ただし、三年後の瞬は真耶を。
今は考えない。
あれは切り落とした枝の話だ。もう同じことは起こさない。
思考が遠くに飛びそうになっていた考司を、新谷の声が呼び戻した。
「僕も向かっていいかな。高速で飛ばして一時間くらいかかるけど、力になれるなら」
新谷は真剣だった。
ずっと面倒をみていた瞬の思いに影響されたか。かつての教え子を未だに大切にしているのか。どちらでもいい。新谷自身は頼りないが、足は多い方が助かる。
「じゃあ、お願いします。とりあえず、宿泊する旅館の名前教えるのでメモしてください」
場所は適当に調べれば出る。高速が混んでいなければ、本当に一時間で着くだろう。
「俺と合流したい時は連絡してください。あと、中二の瞬はなにも知らないんで、見つけても接触しないように。頼みます」
旅行先にいきなり妹の元担任がいたら、瞬もさすがに不審に思うだろう。新谷は余計なことを喋りかねない。瞬がいずれ第六感に目覚めるということを、今の瞬に知られるとまずい。覚醒が早まって今の瞬が時間移動の能力を手に入れたら、もう考司には手がつけられない。
未来の瞬と今の瞬を比べても思う。
あいつは第六感なんか持つべきじゃない。できればずっと覚醒しないまま生きていってほしい。健やかに。ふつうの人間として。
考司は通話を切り、瞬が行った道を追って歩いた。
「真耶に第六感があるかもしれない」
駅で合流した考司に、瞬は言った。
瞬が早足だったせいか、電話が長かったのか、結局駅に着くまで考司は追いついてこなかった。
一人で知らない道を歩きながら、瞬は必死に考えた。頭の回転と歩みの速さが連動していく。どんどん加速しながら、過去の記憶から断片を拾い集めていった。
あの冬とか、あの夜とか、あの日とか、あの時とか。
もし。もしも考司が瞬の知らないところでまた枝を切り落としていたなら、わからないこともあるけど。それは考えにいれない。考えてもどうしようもないことだから。
瞬はこの世界のことしか知らない。この世界で起こったことを信じる。
「もう二度と考司に剪定をさせない」と言った自分は、確かにここにいる自分であるはずだと、信じた。
そして瞬が導き出した結論。それが先に述べたことだ。
「そうだな。俺も薄々気づいてた」
考司の反応は冷静だった。瞬が気づくことに、考司が全く気づいていないわけはない。わかってはいたが、驚く声を期待していた自分に気づく。
考司は瞬と一緒に券売機で乗車券を買いながら続けた。
「おおまかな分類だと、あいつのはたぶんテレパシーだな」
「ああ。僕も中山と話しててそう思った。でも、なんか不完全で偏ってる。他人の思考がはっきり読めてるなら、真耶はこんなふうになってない」
「そうだな。もっともだ」
「真耶は自分と親しい人間のことを「静か」だって言うんだ。考司も言われたことあるだろ。その「静か」の基準がずっとわからなかった。だけど、さっきの様子でなんとなくわかったよ。真耶は自分に向けられる漠然とした負の感情を「声」として感知してる。おかしいとか、変とか、妙だとか。そういうマイナスな感情だけが真耶には聞こえてる。僕も、さっき一瞬思っちゃったんだ。真耶を「怖い」って。たぶんそれが伝わった」
目まぐるしく表情と声を変えていく真耶に、瞬の心はついて行けなかった。
よくわからないもの。得体の知れないもの。
そういうものは直感的に怖いと思う。真耶をそういうものだと思ってしまった。
「仕方ねえよ。あんなこと言ってたらふつうの人間は「おかしい」と思う」
考司は足元に落ちていた小石を蹴った。小石は考司が意図したのとは全く別の方向へ飛んでいく。
瞬の考察は鋭かった。考司がいまいち掴めなかった部分が綺麗に補完されて、真耶の心に手が届きそうだった。
「うん、なるほどな。おかげで納得がいった。あいつは自分に対して基本的に負の感情を向けていない人間を「静か」だって形容するのか。瞬とか中山とか」
「あと父さんと新谷先生とお前が「静か」だってさ。中山が聞いた限り」
「新谷? ああ、そうか。真耶は自分のクラスの生徒だったから、根本的に大切に思ってたんだな。指導力さえあればいい教師になれたかもしれないのに、残念なヤツ」
先ほどの電話のこともあり、考司はそう思わずにいられなかった。
その傍ら、瞬は一人疑問を抱えていた。
「なぁ、真耶は中山に全員分言わなかったのかな」
真耶が「静か」だと感じる人物。
瞬と考司と中山と父と新谷。五人だ。中山が言い忘れたのか。
「なんでそう思う」
「一人、足りなくないか」
「足りなくねえよ。あってる」
瞬は足りないと思う一人の顔を思い浮かべた。
他の家族(、、)は全員入っているじゃないか。
「じゃあ、有加里さんは」
さっき真耶が言ったことを思い出す。
今度はもっとかわいい女の子が欲しいの?
私みたいな暗くてなに考えてるかわからなくてちっとも可愛げのない娘じゃなくて。
あれは、真耶が実際に聞いた「声」だっていうのか。
「母親が無条件に娘を愛するなんて、幻想だよ」
考司はいつもそうやって、淡々と瞬に世界の暗い部分を突きつける。
「前にも言ったけど、俺たちの父さんは溺れた真耶を助けて死んだんだ。元々真耶は父さんの方に懐いてたし、それをきっかけに母さんは真耶をかわいいと思えなくなったんだろう。母さんは真耶を好きじゃない。真耶にとって母さんは「静か」な人じゃないんだ」
瞬の気は沈んだ。
浮気して父と離婚した母でさえ、たまに瞬に連絡をくれるのに。
あんなにきれいで優しい有加里さんが、娘に負の感情を抱いている。
「ずっと、どんな「声」を聞いてたんだろうな」
瞬には想像もできなかった。自分の母親だけじゃなく、あらゆる人間と関わる中で、真耶は自分に向く負の感情を否応なく知らされてきた。
それは。
それはどんな世界だろう。
「ろくでもない世界だよな。そんな第六感あったら、死にたくもなるわ」
今回ばかりは考司の意見に同意せざるを得なかった。
電車を待つ間、念のため近辺も探すことにした。
定刻の十分前に駅に集合することを決めて、瞬と考司は解散した。
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