3-7
「本当、なんだよな。全部」
「本当だよ」
帰ってきた考司に、瞬はぎこちなく聞いた。
考司はなにくわぬ顔で袋からペットボトルを二本出して、青いラベルの炭酸飲料を瞬に投げた。自分用に買ったスポーツドリンクの蓋を開けて一気に半分くらい飲む。
考司があまりに平然としているから、瞬は第六感の存在を信じざるを得なかった。腰を下ろした考司が話を続ける。
「さっきも言ったけど、ここからは未知の領域だからな。これから起こることの予言とかはできないし、そういう意味じゃ証拠らしい証拠は見せられない」
瞬は考えながらボトルの蓋を捻った。ぷしゅっと炭酸が抜ける音がする。
「僕に第六感の話をしたのは、この世界が初めてか?」
「ああ。他人を巻き込めばそれだけ状況が大きく変わるからな。なるべく一人でなんとかしようと思ってた」
「あのさ、僕の知識はSF映画とか漫画程度のものだから、詳しいことはよくわからないんだけど、タイムリープの話にはカオス理論って言葉がつきものだろ」
「バタフライ効果とかもな。一部が少しでも変わったら未来は予測不可能なものになるって、そんな感じの話だっけ」
瞬は以前好奇心に駆られて調べてみたことがある。突き詰めていくと複雑な理論で、完全には理解できなかった。この様子だと考司も詳しくはないらしい。
瞬は気になっていることを聞いた。
「映画とかだと、誰かを守ろうとすると代わりに誰かが犠牲になるとか、よくあるじゃないか。そういうのは、どうなんだ」
「わからない。真耶を完全に守れたパターンがまだないから。真耶が生徒を切りつけた時も、死人は出なかったしな。結局死ぬのは真耶だけだ」
考司の言葉が、わずかに瞬を惑わせた。
死人は出なかった。
軽く言うから、瞬も些細なこととして聞き流しそうになった。
死人は出ていないが、怪我人は出ているじゃないか。教室で刃物を振り回すなんて実際大ごとだ。その時傷ついた同級生に対して、考司はなにも思っていないのか。
瞬が前々から感じていた、考司に対する違和感。瞬は考司を親友だと思っている。だが、考司からはいつもどこかで線を引かれているような感じがしていた。それは心の防衛ラインじゃない。キリトリ線だ。いざとなったらいつでも切り捨てられるように引いた境界線。学校に来るようになってから急に大胆な行動が増えたのも、他人のことをどうとも思っていないからだ。
瞬は考司の横顔を見た。自分と彼の間に、決定的な価値観のズレがあるのだと今気づいた。少し怖い。同じ人間じゃないように思えてしまう。第六感保有者。人間の領域を逸脱した存在。確かにそうだ。間違いない。
考司は首を動かして瞬を見た。
「いいよ。そんな簡単に信じられないよな」
黙って顔を見つめていたから、瞬が疑っていると感じたのだろう。
「いや、信じてないわけじゃないんだ。ただ、なんか、考司の言うことに理解が追いついてないっていうか」
「この世界でまた真耶が死んだら、次の世界の瞬にはある程度予言みたいなこともしてやれるんだけどなぁ」
考司は残念そうに言って、笑った。
瞬の頭は混乱した。わからない。わかりたくない。考司の第六感の話じゃない。考司の感覚を、理解したくない。
「真耶が死ぬとか、簡単に言うなよ」
そんなふうに笑って、ジュース飲みながら言うことじゃないだろ。
「お前こそ、なに道徳的なこと言ってんだよ」
考司は頭にきた。口元を歪めて笑い、あからさまに瞬を蔑む。
「俺の話ちゃんと聞いてたのか? あいつはなぁ、実際簡単に死ぬんだよ。馬鹿みたいに些細なことで、馬鹿みたいに簡単に死ぬんだ」
言葉に煽られて、瞬の混乱は怒りに変わった。
「考司がそんなふうに思ってるからじゃないのか」
「あ?」
「お前が、今回はいつどんなことで死ぬんだろうって、死んだらまたやり直しだって、真耶が死ぬことを前提に生きてるから、だから死ぬんじゃないのか。真耶が死ぬからやり直してるんじゃなくて、やり直してるから真耶が死ぬんじゃないのか」
根拠なんかない。ただ思ったことを言っただけだ。真耶を簡単に死なせているのは自分じゃないか。守ろうとして何度失敗している。
考司は大きくため息をついた。感情の熱を抑えて、冷静に反論する。
「そうかもしれないな。可能性として、なくはない。でも、それをどうやって解明するんだよ。研究者に俺を引き渡すか? それで第六感の仕組みがわかるまでにどれだけ時間がかかるだろうな。その間にどうせ真耶は死ぬぞ。真耶が死んでから長期間経過したら、もう俺の力は使えないかもしれない」
ただやみ雲に世界を剪定してきたわけじゃない。色んな方法を考えた。当然だ。その結果、最適だと思った行動をとってきた。ずっと。それでも上手くいかなかった。
「やり直す度に真耶が生きる時間は伸びてる。そうやってちょっとずつ枝を伸ばすやり方でもいいだろ」
それが唯一の希望だった。少しずつだが前進している。セーブをこまめにして、ゆっくりゲームを進めている感じだ。最終的にクリアできればいい。
「だけど、それじゃ考司がつらいじゃないか」
考司の表情が固まる。
瞬は考司の第六感の話を聞いた時、羨ましいと思った。真耶を守るための力が、自分にもあればいいのにと思った。
そうすれば考司と二人で協力して頑張ることができる。だが考司は一人だ。一人で時間の迷路を進むしかない。だから今は、考司を少しかわいそうだと思う。
考司はふっと自嘲気味に笑った。
「俺は、いいんだよ。自己犠牲とかじゃなくて本当に。そういうのには、もう慣れたんだ。俺には第六感がある。使う目的も。だから使えるだけ使う。それだけだ」
「そうやって、今ここにいる僕のことも、いつか平気で切り落とすのか」
「その時が来ればな。今さらお前ら一人一人に入れ込んでたらやってらんねえよ」
考司は言いながら頭が熱くなっていくのを感じた。
瞬。こいつ。ずっと考えないようにしてきたことを口にしやがって。
「俺だって初めは思った。今度こそこの世界で生きていくんだ、もう二度と真耶を死なせないって。でも、死ぬんだ。どれだけ注意しても、あいつは死ぬときには死ぬんだよ」
目を閉じる直前の景色は、いつだって悲惨で色褪せていた。だからその瞬間に躊躇いはない。なにかを思うのは目を開けた後。重さを取り戻した心と体は「ここが現実」なのだと物語る。世界を切り落とすことの意味を、考えてしまいそうになる。
「瞬、お前にとっては夢に見る程度の残滓かもしれないがな、俺にとっては全部現実の記憶だ。わかんねえだろ。わかるわけねえよな。自分の全てを賭けて守ろうとした妹があっさり死んだ時の、なにもかも無に帰す感覚」
瞬は黙って考司の言葉を聞いていた。
考司が感情を表に出すにつれ、瞬は反対に落ち着いていった。澱みのない瞳が考司を見ている。瞬はどこか悲しそうな顔をしていた。それに気づいて、考司はうなだれた。長い髪が顔を隠してくれる。
「一回一回に全てを賭けてやってたら、気が狂う」
細い声は、瞬に昔の考司を思い出させた。
「じゃあ、僕が全てを賭ける」
考司が顔を上げる。瞬は疲れ果てた少年の目を真っ直ぐに見た。
「僕にとっては、この世界が全てだ。お前が切り落とした別の世界にも荒家瞬はいたんだろうけど、それは〝僕〟じゃない。この世界の荒家瞬は僕ひとりだ。僕はこの世界に全てを賭けて真耶を守ってみせる。それでも駄目だったらお前が切り落とせばいい。まあ、そんな必要ないけどな。この世界が選ばれた枝になる。僕がそうする」
特別な力なんて、ないけど。
瞬は考司の親友であり、兄だった。
「言ったな。できるもんならやってみろよ。ちゃんと最後まで見届けてやるから」
なけなしの虚勢を張る考司さえ、瞬は穏やかな気持ちで見ることができた。
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