2-2

 一年五組の月曜日最初の授業は体育である。一年四組と合同で男女別に行われる。大多数の生徒はそれをとても億劫に感じていた。中山優衣もその一人だ。

 中間テストも終わって、長い梅雨が始まった。

 体育の授業内容は先週からバレーボールになった。今はペアを組んでパスの練習をする時間だ。優衣は四組の女子と組んでいた。その子とは体育の時しか話をしないから、まだお互いをよく知らない。優衣もその子も球技は苦手だということだけはっきりしている。パスがろくに続かない。今回も相手のアンダーパスでボールがあらぬ方向へ飛んでいく。

 優衣はボールを取りに走った。さっきからこうして後方にボールを取りに行くたびに視界に入る。体育館の隅の方で優衣と同じように四組のおとなしそうな女子とパス練習をする真耶の姿。

 小学生の頃はべったり一緒だったのに、違う部活に入ったことをきっかけに、気まずくなってしまった。でもそれは真耶が約束を破ったことが原因なのだから、真耶の方から歩み寄ってくるべきだ。謝ってきたら許せるくらいの気持ちは優衣にもあったのに。

 だけど、今の状況じゃそれも難しいかもしれない。

 どこからかぽーんとボールが飛んでくる。真耶の背中に向かって、吸い寄せられるような軌道を描く。誰一人「危ない」と注意する人間はいない。ボールはそのまま真耶の背中にボスッと当たる。驚いた顔で真耶が振り向くとみんながクスクス笑う。全員ではないけど、特定の誰かというわけでもない。みんなが笑う。いやな空気。優衣は自分のボールを拾ってさっさと相方のところへ戻った。

 授業が終わる。体育館の入口のところに簡易な靴入れがあって、生徒はそこで体育館用シューズから内履きに履き替える。靴入れは小さくて全員分のシューズが入らないから、早い者勝ちで埋まって、あとの子の内履きは近くの床に雑然と置かれている。優衣は床にあった自分の内履きを履いて、早めに靴入れから離れた。小さな靴入れに人が群がってごちゃごちゃする。混乱に紛れて誰かの内履きが蹴られる。わざとか、たまたまかは知らないけど。蹴られた内履きはまた誰かの足にあたって蹴られる。みんなが笑う。蹴られる。蹴られる。笑いが起こる。その内誰かの内履きは床を滑って、人の輪からしゅっと弾き出される。弾き出された内履きを取りに行ったのは真耶で、真耶がそれを履くとまたクスクスと声が聞こえた。

 もう難しい。優衣は思う。こんなに、わかりやすくなってしまったら、もう難しい。もう近づけない。だって。だって、仕方ない。

 給食の時間もわかりやすい。Y中を含む市内の中学校は給食制だ。加えてY中では自由な席の移動はできない。決まった班ごとに机を合わせて食べる。仲のいい子は机をぴったり合わせて食べる。あまり親しくない子だったり男子と女子の机だったりすると、意識して隙間が空く。ぴったりではなくなる。真耶は、露骨に隙間を空けられる。ちょうど女子の拳一個分くらい空く。真耶の席だけ浮島みたいになる。誰も話しかけないし、真耶も話さない。黙々と、とてもきれいに箸を使って給食を食べている。

 真耶がこうなってしまった理由は色々ある。色々。

 たとえば、荒家瞬のこと。三年前この町に転校してきた、都会の気配がする男の子。彼はとてもきれいだった。顔や服が全体的にきれい。それに、彼の周りを取り囲むものもきれい。父親がお医者さん。小六から早くも月謝の高い塾に通っている。だから成績はいいのにガリ勉な感じもしなくて。どんなスポーツも簡単そうにこなせて。不良っぽい男子ともおとなしい男子とも上手に話をする。

 女子の憧れの的だった。だけど、あまりにもキラキラしすぎていて、実際に近づく女子はほとんどいなかった。みんなで「かっこいいね」って話題にして、牽制し合って、遠くから眺めているくらいがちょうどいい男の子。それが荒家瞬だった。

 そんな荒家瞬に妹ができた。できた、というより、現れた。いつの間にか瞬の隣に「妹」という枠ができていた。恋人ではないが、瞬にとても近い位置の、特別な枠。その枠に、すぽっと一人の女の子が入っていた。

 真耶ちゃん。旧姓西田真耶。勉強はまあまあ。体育は苦手。静か。だけどたまに変わったことを言う。地味で目立たない子。それが西田真耶に対する女子の平均的評価。

 キラキラした荒家瞬の血の繋がらない妹枠に入るには、彼女はあまりにも平凡で不釣り合いだった。そしてそれは、友だちである優衣でさえ思ったことだった。

 放課後。

 優衣が入部した女子テニス部は、雨天の場合校内を練習場所としている。基礎体力と筋力の向上を目標に掲げ、まず校舎内マラソンをする。一階から三階まで階段で上り、回の字になった三階の廊下をぐるっと回って一階に下りる。下りたら一階の廊下もぐるっと回って、また三階に上がる。これを十数回繰り返す。なるべく速く走れと先輩に叱咤されながら。階段の上り下りで足が痛いし、とても蒸し暑い。雨が降っているから窓も大きく開けられない。優衣はこの校舎内マラソンが嫌いだった。

 廊下を走る間、色んな部活の活動風景が垣間見える。一階の廊下を一周する時は、美術室など、特別教室がある廊下も通る。

 美術室には真耶がいる。美術部の副顧問だという新谷もいる。部活動を通して接点が増えたのか、真耶と新谷は時折会話している。孤立しがちな真耶を気づかって新谷が声をかけるときもあれば、真耶から話しかけていることもある。真耶は新谷とはふつうに話す。ふつうに。ふつうの女子みたいに。どちらかというと親しげに。

 それも真耶が反感を買う理由のひとつだった。新谷は正直、生徒にナメられている。授業態度が悪い生徒がいると、その度に落ち着いて注意はするが、Y中の一年生にそういうやり方は通用しない。男子はどんどん調子に乗るし、女子は担任をからかいがいのあるおもちゃくらいにしか思っていない。眼鏡をかけた柔和そうな顔で、いつもなにかをごまかすように笑う。そんな担任教師の姿を、優衣を含む真面目な生徒は「ふがいないなぁ」と思う。頼りにならない。信用できない。よって新谷は一年五組のほぼ全員に総スカンをくらっていた。必要のない時にまともに話すのは、それこそ真耶くらいしかいない。だから目立つ。

 せめて教師には気に入られようって。

 担任の先生だったら優しくしてくれるもんね。

 アレな同士で話も合うんじゃない?

 二人だけで別のクラス作ってくださいって感じ。

 そんな。そんな話を優衣はどれだけ聞いただろう。そしてその内のどれだけに共感しただろう。同意しただろう。

 真耶ちゃん。友だち。友だちだった。

 優衣は美術室の前の廊下を走り抜ける。

 難しい。やっぱりもう難しいよ。ここまできちゃったら、もう。私には、どうにも。




 長かった梅雨が明けると、あっという間に夏休みが始まった。

 蝉が鳴き続ける炎天下、テニス部の練習は過酷だった。

 暑い。きつい。

 先輩がいないところでは、弱音と愚痴の大合唱だった。その内、真面目に練習をこなす子たちと、見えないところでサボる適当な子たちで、一年生は二分化し始めた。真面目な方は適当な方を蔑み、適当な方は真面目な方を「本気になりすぎ」と蔑んだ。目に見えない壁ができて、ことあるごとに対立しそうになる。優衣はどちらかというと真面目派閥に片足をつっこんでいたが、クラスでつるんでいる小川(おがわ)という名の女子は適当派閥の筆頭だ。居心地はこの上なく悪かった。練習だけでも疲れるのに、人間関係でも気をつかう。中学生になって初めての夏休みなのに、なに一つ楽しいことがなかった。

 午前中にグラウンドで練習していると、たまに真耶を見る。通学路を、うつむきがちに歩いてくる姿。美術部も毎日ではないが活動しているらしい。真夏の日差しの下でも、真耶の腕や足は真っ白だった。夏用の白いセーラー服によく映える。こんがり日焼けした優衣には、それが羨ましかった。

 小学生の頃の夏休みは楽しかった。狭い町の中なのにどこへでも行ける気がしていた。お寺の裏の山に登ったり、廃墟になったホテルに忍び込んだり。再放送のドラマを見て、宿題して。隣にはいつも真耶がいた。出不精の真耶を外に引っ張り出すのは優衣だったが、真耶は一度外に出ると知らない場所でもどんどん進んでいった。臆病な優衣も、真耶が一緒にいれば怖くなかった。

 あの頃に戻りたい。

 優衣は先輩部員のサーブ練習のボール拾いをしながら思う。

 時間が戻せないならせめて、真耶と元に戻りたい。

 でも、どうしよう。あれだけ見て見ぬふりをしたのに、今さらどうやって。

 優衣は手紙を書いた。真耶に直接宛てた手紙ではない。まずは相談しようと思った。真耶に一番近く、優衣にもなんとか手の届く距離にいる人物に。

『荒家瞬くんへ』

 八月の下旬。

 優衣はそう書いた白い封筒を握って生徒玄関に立っていた。

 溜まっている夏休みの宿題もそっちのけで何度も何度も書き直した文面。

 あんまり話したことはないけど覚えてますか。いきなり手紙なんか書いてごめんなさい。

 そんなふうに、最初は瞬に対して自分を取り繕う言葉ばかり浮かんだが、結局伝えたいことだけをまとめた。

「真耶ちゃんと仲直りしたいのですが、どういうふうに言ったらいいと思いますか? 真耶ちゃんは私のこと、もうきらいだとか言ってますか? 何か、わかることがあったら教えて下さい。 一年五組 中山優衣」

 そう書いた便箋を封筒に入れた。瞬はサッカー部で、毎週月曜と水曜と金曜の午前中は学校に来る。一年生はまだ部室を使えず、靴を履きかえる時は玄関を利用しているはずだ。実際、そうしている瞬を何度か見かけた。だから優衣は、火曜日の部活後に手紙を靴箱に入れておくことを思いついた。

 普段は眺めることのない、一年二組の靴箱。上から二段目。荒家瞬と書かれたシールが貼ってある。瞬は靴箱まできれいだった。夏休み前に指導されたとおり、体育用の靴は持ち帰っているようで、箱の中には土埃が見えるだけだ。

 だが、これだと逆に困る。手紙だけペロンと入っていたら、他の誰かに気づかれるかもしれない。せめて扉がついていたらよかったのにと思う。昔はついていたらしい。靴箱に煙草を隠す生徒が多発したために取り外されたという。

 どうしよう。やっぱりやめようかな。

 こういうことは勢いでやってしまわないといけないと優衣もわかっていた。ひとつ懸念が見つかると、次々不安なことが出てくる。

 そもそも真耶に直接手紙を書けばいいことだ。無視されたら怖いからってこんなやり方はズルい。もしかしたら自分をごまかしているだけで、本当は瞬と仲よくなりたいという下心があるのかもしれない。というか正直、全くないとは言い切れない。真耶がクラスでひとりぼっちの時はなにもしなかったくせに。今さら。

「渡してあげようか?」

 誰もいないことを念入りに確認したはずの生徒玄関に、声が響いた。身体が跳ねるほど驚いて、声がした方を見る。

「真耶ちゃん」

 玄関前の廊下に、真耶が立っていた。ちらりと左右を確認してから、ゆっくり優衣に近づいてくる。真耶は優衣の手の中にある手紙を見ていた。

「それ、兄さんに渡すんでしょ。靴箱に置いておくと誰かに見つかるかもしれないから、よかったら私から渡すけど」

「えっ? いや、いいよ。いいの。これは、違うの。あのね、ラブレターとかそういうんじゃなくてね、ちょっと宿題でわからないところがあったから、頭のいい子に質問したいなと思って、それで」

「優衣ちゃん」

 慌ててくだらない言い訳を並べる優衣を、真耶が止める。

「四月のとき、約束破っちゃってごめんね。あと、言い方もひどかった。ごめん」

 優衣は動揺していて、真耶がなんのことを謝っているのか一瞬わからなかった。

「ずっと謝ろうと思ってたけど、人が見てるところで話しかけない方がいいと思って」

 四月のとき。約束。

 真耶はあの時のことを言っている。ずっと謝ろうと思っていたと。

 一学期、孤立している間も、夏休みに入ってからも、ずっと。

 挨拶もしなくなった。目も合わせない。真耶が笑われている間なにもせず黙って見ていた優衣に、ずっと謝ろうと思っていたという。今はもう八月の終わりだというのに、あんな幼稚な約束を破ったことを気にして。

 優衣はもう、いや、最初からそんなことはどうでもよかった。ひとりになるのが怖いという理由で一緒に部活に入ろうなんて、真耶の意志も考えずに押しつけた約束だ。真耶に断られて、自分が一人ではなにもできない人間だと言われた気がして、とても恥ずかしくなった。恥ずかしかったから真耶を避けた。約束を破られて怒ったんじゃない。そんなのはただのきっかけだ。どうでもいいきっかけ。どうでもいいきっかけで、優衣は友だちにひどいことをしてしまった。

「ううん、私もごめん。本当に」

 謝らなければならないのは、自分の方だった。

 手のひらの中、汗でふやけた封筒を、中に入った便箋ごと破る。

 真耶はそれを見て目を見開いた。

「手紙、いいの?」

「うん。いいの」

 真耶は戸惑いながらも笑ってくれた。

 その日から、優衣の夏休みはようやく夏休みらしく色づき始めた。部活は相変わらず身体的にも精神的にもつらかったが、そこから離れたところに友だちがいると思うと気が楽になった。

 真耶は、お盆を過ぎた頃からよく学校に来ているという。美術部の一年生は夏休みが終わるまでに二枚、絵を仕上げるのが課題らしい。正規の活動は毎週金曜日だけだが、もっと時間をかけて作品を仕上げたい人のために、美術室の鍵は平日昼の間、開いている。真耶は一枚目に時間をかけすぎて二枚目の絵を描き始めたばかりで、学校に来た日は夕方まで残っている。

 優衣は部活の練習が終わると、美術室に行って真耶と一緒に帰るようになった。真耶は優衣に気をつかってか、テニス部の女子があらかた帰ってしまう時間まで席を立たない。

 真耶にそんな気をつかわせたくない。それより夏休みが終わったらどうなるんだろう。もう見て見ぬふりはしたくない。でも怖い。人に嫌われたり、笑われたりするのは怖い。どうしたらいいんだろう。

 練習中、適当派閥の小川に話しかけられた。五組の女子の、実質リーダーみたいな女の子。と、その取り巻き二人。夏休みに入ってからは頻繁に練習を休んでいる。

「西田さんと仲直りしたの?」

「え」

 西田さん。

 そうだ、この人たちは真耶のことをわざと旧姓で呼ぶ。本人のいないところでは。

「この前、一緒に歩いてるとこ見たよ」

 帰り道の途中だ。練習に出ていない適当派の子なら、帰る時間をずらしても関係ない。

「えっと、あの、帰る方向、同じだから。私も真耶ちゃんも徒歩通学だし」

 だから仕方なく一緒に帰った。

 そんなふうにごまかそうとしている自分に気づく。いやだ。これ以上言いたくない。

 優衣が黙ると、小川は腕を組んで言った。

「妹の方に優しくして瞬くんに近づこうとか、優衣ちゃんはそんなことしないよね」

 背中の汗がすっと冷える。

「し、しない! そんなつもりで仲直りしたんじゃないよ」

「あ、やっぱ仲直りはしたんだ。ふうん」

 小川は無感動な声でうんうんとうなずいた。

 怖い。怖い。どうしよう。同じクラスなのに。夏休みが終わったら。

 困る優衣を救済するように、集合を命じるホイッスルが鳴った。優衣はその場から逃げるように走り出した。

 その日からは、時間が経つことが怖くて仕方なくなった。どれだけ願っても時間は止まらない。カレンダーの数字が一(いち)ずつ増える。二十六、二十七、二十八。

 二十九日の夕方。

 もう日も随分短くなった。夕陽が差し込む校舎の手洗い場で、真耶が絵の具を片づけている。優衣はその様子を見ながらぼんやりと呟いた。

「私も美術部に入ろうかなぁ」

 パレットを念入りにこすりながら、真耶が優衣を見る。

「優衣ちゃん、ずっとテニス部に入りたかったんじゃないの?」

「うん。そうだったね。そうなんだけど」

 小学生の時は憧れていた。女子テニス部。明るくて華やかなイメージ。ちょっと厳しそうだけど、その分やりがいがあって、部員同士の絆が深くて、キラキラしている。キラキラした女の子に、優衣はなりたかった。そしてキラキラした恋をしたかった。好きな人を好きだと思うだけで相手に申し訳なくなるような、そんな自分を変えたかった。

 それなのに。

「駄目だね、私。真耶ちゃんにいつもべったりで。部活一緒に入ろうなんて約束も、鬱陶しかったよね。これで私が美術部に入ったら、約束ナシにした意味ないのに」

 また卑屈なことを言ってしまう。弱くて汚い。全然キラキラしていない。

「別に。今の優衣ちゃんを鬱陶しいとは思わないよ」

 真耶はキュッと蛇口を閉めて言った。真耶の言葉はとてもさっぱりしている。クラスの女子はよくそれを「冷たい」とか「変」とか言うけど、優衣は嫌いじゃなかった。本音かどうかもわからない同意ばかりする女子の言葉より、ずっと好きだ。

「ありがと。でも、やっぱりテニス部頑張ってみる。私も、もっと」

 もっと強くなりたい。

 そのためには楽な道に逃げるより、問題と向き合うことが重要な気がした。

「優衣ちゃーん」

 廊下の奥から、はしゃいだ声が聞こえる。振り返ると、適当派の三人組がゆっくりこちらに歩いてきていた。噂だと、小川はこれから幽霊部員になると自ら宣言して回っているらしい。優衣はあの日以来小川と話していない。

 彼女たちが近づいてくると、真耶がすっと優衣から距離をとった。

 濡れたパレットと絵筆を持って立ち去ろうとする真耶の進路を、三人の女子が塞いだ。

「優衣ちゃん、こんなとこにいたんだぁ。探したよ。これからご飯食べにに行かない? お好み焼き屋さん予約してんの。友だちみんな誘ったから結構色々来ると思う。帰りはママが送ってくから」

「ウチらも行くし、クラスの子もいっぱいいるから緊張しないよ」

「真耶ちゃんは来ないよねー。あのお兄ちゃんが心配するだろうしぃ」

 静かな校舎に不似合いな、鼻にかかった笑い声。いつもよりさらに短いプリーツスカート。長い影が揺れる。

「あの、私、でも」

 突然の事態に頭が混乱する。ただ、これがあらためて真耶を弾き出すための儀式だということはわかる。声が震えそうになるのをこらえて、優衣は誘いを断ろうとした。

 だって、真耶ちゃんに、一緒に帰ろうって、さっき。さっき言ったばっかりだから。

 すると、優衣の前に立っていた真耶がくるりと振り向いた。

「行きなよ。私は、いいから」

 小さな声で言う。

 真耶は、この場面で優衣よりも格段に落ち着いていた。迷いのない瞳で、じっと優衣を見ている。行けばいい。行った方がいい。早く。

 これが友情なんだろうか。だとしたら優衣もそれに応えたい。

 真耶がクラスに溶け込めるように、できることがあるかもしれない。優衣が、クラスと真耶を繋ぐ架け橋になれるかもしれない。今日のことがきっかけになって、なにかが変わるかもしれない。そのために頑張ってみる。

「ごめん、真耶ちゃん。私」

 この場で、上手く言葉にはできないけど。

「うん。いいよ。じゃあね」

 優衣は確かな決意を胸に、真耶と別れた。

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