異世界転生が当たり前になった地球で
中村万物
そのとき見えた前世
「俺は、い、異世界転生するぞ! 本気だからな」
一人の男が、マンションの屋上から飛び降りようとしている。しかし恐怖心からか、威勢の良い言葉とは裏腹にまだ飛び降りてはいない。13階建てマンションの屋上の端っこで、タイトロープよろしく立ってみれば、やはり足はすくむようだ。
たとえそれが、希望に満ちた「生まれ変わり」を狙ったものだとしても。
神奈川県警の警察官、園田修司は「馬鹿なことはやめろ! お母さんも来ているぞ!」と叫んだ。我ながら「テンプレだなあ」と思いながら。
母親から通報を受け、飛び降りる前にこの男、多田政志を発見できたのは幸いだった。
「やめてぇ、マサシ!」と涙で顔をぬらした母親が叫ぶ。こんな優しそうな母ちゃん泣かせんなよ・・・。
ところが柵の向こうで、多田政志も小太りの体を揺らして泣き始めていた。「母さん、ごめんよ。33歳になっても仕事見つかんなくて。全然親孝行できなくて。でもさ、異世界転生してさ、立派にやるよ」
そして、政志は力いっぱい宣言した。
「勇者サトーみたいにさ!」
園田は思わず天を仰いだ。
またか。最近1年で30人もの自殺者が、「勇者サトー」の名前をそろって口にしている。
「俺、世界を救うからさ」。政志は、転生後の自分の姿を思い浮かべているのか、目をつむりうっとりしている。
事の起こりは、1年前の春だ。東京・渋谷のスクランブル交差点で、ビルの大型ディスプレーに「勇者サトー」を名乗る青年のビデオメッセージが突然映し出された。彼いわく、5年前に暴走トラックから少女を守ろうとして死んでしまったが、神様のはからいで異世界へと転生した。
その世界は中世ヨーロッパに近い文化水準で、兵器マニアだった彼は知識を生かして、新兵器や新戦術を次々考案。ついには魔王を打ち倒し、勇者サトーとたたえられる存在になったのだという。
ビデオメッセージには、勇者サトーが国民の前でパレードし、美しいエルフや魔法使いたちに取り囲まれる姿が映し出されていた。すでに国は自分なしでは統治できない状況にあり、充実しているので地球に戻るつもりはない、特殊な魔法を使ったこのビデオメッセージも送るのは今回限りだと語った。
勇者サトーは、死んだ息子が元気だと両親知人に伝えたかっただけなのだろう。しかし、映像は通行人たちの手により一瞬でネットに拡散。ワイドショーも取り上げる大騒動となった。
それからである。人生に行き詰まりを感じる若者を中心に、サトーのあとに続けとばかり、異世界転生狙いの自殺者が続出し始めたのは。
最初はサトーと同じように、交通事故から誰かを救うシチュエーションを狙う者が多かったが、そんな状況めったに起こらない。それで結局、安直にビルから飛び降りる若者が急増した。今や国会でも取り上げられる大問題である。
その最新事例が、目の前で繰り広げられているというわけだ。
園田は5メートルほど先の柵の向こうにいる政志に、「落ち着け」「早まるな」と言った声を、むなしくかけていた。この
そう願ったとき、まるで聞いていたかのように、背後で部下がささやいた。
「・・・・ネゴシエーターが到着しました」
現れたのは、美貌の少女だった。
「私が異世界専門のネゴシエーター、アキル・カタリナです」
◇
年は16歳くらいに見える。
金髪を頭の片側だけ伸ばし、顔の左半分を隠した変わった髪形だった。
「おいおい、なんで地球にエルフがいるんだ」。園田は驚愕のあまり、声が震えた。見えている彼女の右耳は、細長く尖っている。
アジア系や西欧系とは異なる美しい顔も、民族衣装を思わせる緑色の衣服も、勇者サトーのビデオメッセージに映ったエルフ族にそっくりだ。
警察庁が、急増する異世界問題に詳しいネゴシエーター(交渉官)を雇ったとは聞いていたが、まさかエルフだとは。
突然現れた交渉官のカタリナを、政志はじっと見つめている。異世界に憧れる自殺志願者にとって、彼女の風貌はインパクト大だろう。
「まさか俺はもう、転生したのか?」
政志が戸惑いをそのまま口にする。
カタリナは政志に近づいて行く。あと数メートルのところで立ち止まり、言った。
「違うわ」
彼女の
「私も転生してきたの。馬車の事故に巻き込まれてね。あなたの望みとは逆に、勇者サトーのいる世界から」
「ほ、本当かよ。災難だったな。こんな糞みたいな世界に来るなんて」
カタリナは静かにマサシを見つめる。
「あなたは、異世界に行って何がしたいの?」
「勇者サトーのように、世界を救いたい! サトーが救ったのは一つの国だけで、ほかの国は手つかずだって噂だし・・・」
「無理ね」
カタリナは一言で切り捨てた。
「俺を馬鹿にしてんのか!」
やばい。見守る園田の背中に、冷や汗がにじむ。もしやカタリナは挑発しかできないのか?
しかし彼女の言葉は揺るがない。
「あなたを馬鹿にしてるんじゃないの。誰であっても、無理、なのよ」
「はあ? 現に勇者サトーは無双してるじゃねえか!」
「それは『生存バイアス』です」
「せいぞ・・・なんだって?」
「生存バイアス。私がいた世界でもそうだけど、たとえば
カタリナが両手を広げて、マサシに突きだした。計10本のしなやかな指。
「たった10%よ」
「なにが?」
「地球から転生してきた人のうち・・・」
「成功者は10%だけってか?」
カタリナが煙でも振り払うかのように、ゆっくり首を振る。
「1週間、生き残れた人がです」
「1週間・・・・生き残った?それだけなのか?」
「ちなみに1カ月生存できる人は1%以下。私がいた世界はモンスターや盗賊が跋扈しています。いくら転生時に神から最強の武器を与えられようと、寝ている間に襲われたら抵抗できない。衛生状態も悪く、抵抗力のない地球人はすぐ病に冒されます。それに・・・」
カタリナが言葉を止め、長く伸ばした金髪に触れる。
何をするのか・・・園田も政志も身構えた瞬間、カタリナが金髪を後ろにかきわけた。
隠されていた左耳があらわになる。その尖っているはずの耳は、半ばで切断されていた。
うっ・・・・。
その場にいた全員が、心中うめいたはずだ。園田は少しうめき声を出してしまったかもしれない。耳の切り口はとても美しいとはいえず、無理やりへし折られたように、いびつな形をしていた。
「種族間で、根強い差別があります」
では誰かに傷つけられた結果なのか。その耳は。
カタリナは淡々と言葉を続ける。
「自分と異なる種族を
政志は突きつけられた現実を、うまく飲み込めないでいるようだ。言葉が震えている。
「じゃ、じゃ、じゃあ、サトーだけがうまくやれたって言うのか」
「数億人に一人の奇跡でしょう。彼の適性、人柄、転生した環境、巡り合った仲間・・・あらゆる条件や偶然がかみ合って生まれた、奇跡です。地球で成功するよりも、格段に難易度が高いと思います」
カタリナが、もう一度首を振る。
「サトーには悪気はなかったんでしょうが・・・彼が地球に伝えるべきは自分の成功譚ではなかったんですよ。彼は自分が、どれほどの幸運に恵まれたのか自覚していない。そのことが、とても残酷な結果を招いてしまった」
政志は口元をかみ締めていたが、それでも反論すると決めたようだ。もう異世界転生しか、すがるものがないのかもしれない。
「俺は、どうせこの世界で生きていても希望が無いんだ! 異世界なら0.000001%の可能性でも、奇跡が起きるかもしれない。それでじゅーぶんだ!」
園田は思った。まあ、そういう反応をするだろうな。まさに「隣の芝生は青い」だ。
「確かに俺には無双できる知識も腕力もない! だけど記憶を引き継げれば、人生で失敗してきた反省だって生かせる!」
それから政志の口からあふれ出たのは、自己愛に満ちた希望的観測だった。
「俺は本気を出せばできる」
「ちょっと歯車が狂っただけで、別の世界でなら俺はうまくやれるんだ」
だが、カタリナは優しい返答などしない。あえてそうしているのだろう。
「失敗の反省を生かしたいなら、今いる地球で生かせばいいじゃないですか」
「だから、もう俺の人生は取り返しがつかないんだって!」
カタリナは、さも当然、といった風に告げた。
「取り返しがつかないと思っているのは、あなただけなんじゃないんですか?」
◇
「ちがう!」
政志が叫んだ。
修羅場は続いているが、カタリナの説得は一定の効果をあげていると、園田には思えた。
政志の中で、迷いが生じているのは間違いない。かみ締めた口元からは泡が出て、足はがくがくと震えている。だが、それは精神的な不安定さが増している証左でもある。柵の向こう側から、衝動的に飛び降りてしまう恐れもある。
そのときだった。
カタリナが左手を差し出すと、警察職員がサッカーボールほどの大きさの水晶を載せた。
そして言った。
「政志さん。あなたは異世界転生に憧れているようですけれど、私たちはみんな、すでに転生者なんですよ」
この一言は、政志の内面をさらに揺らしたようだった。
「俺が転生者?いい加減なこと言うな!なら、なんでこんな人生を・・・・」
「これは、人の転生を追うことができる『神の水晶』。私が転生時に唯一、絶対に必要になるからと、神から授けられたものです。あなたがどんな転生を経て、この地球に生を受けたのか・・・・」
カタリナが右手で水晶をなでる。
「見てみましょう」
水晶から、虹色の光があふれ始めた。オーロラを間近で見たら、こんな感じなのだろうかと園田は思った。美しいが、触れたら呑み込まれそうだ。
あふれた光の中に、多くの人間たちが切りつけ合う姿が浮かび始めた。
白銀の鎧を着た戦士が、革鎧を着た男たちを剣でなぎ倒している。すさまじい剛腕だが、明らかに多勢に無勢だ。一度に三人に斬りかかられた揚げ句、守りの隙をつかれ、白銀の戦士は弓矢で額を撃ち抜かれた。たくましい体が、どうと砂煙をあげて倒れた。
「この白銀の鎧が、俺の前世だって言うのか?こんなむごたらしい」
政志が愕然とした表情でいう。
「いえ違います」とカタリナ。
水晶の映像が、ビデオのように巻き戻る。白銀の戦士が、革鎧の連中をなぎ倒している冒頭のシーン。
「この最初に頭をつぶされた革鎧の男が、あなたの前世です」
「ちょ・・・顔すら映ってないじゃねえか!」
確かに、映像開始0.5秒後には剣に頭を粉砕されている。映画なら、完全にその他大勢のモブだ。
「私たちの星からも遠い惑星アルダに生まれた下等兵士、それがあなたの前世。年若く徴兵され、享年18歳でした」
「・・・・・・」。政志が二の句が継げないでいる。
すると水晶は、次の映像を流し始めた。
ゆりかごの中にいる赤ん坊だった。かすかな泣き声を立てているが、顔は血のように赤く、熱病にうなされているようだ。傍らで母親らしき女性が泣いている。赤ん坊は最後に一声「ふぇっ」と息を漏らすと、がっくりと脱力した。
「あなたの前々世。生後67日の命でした」
その後も水晶は次々と、散ってゆく命を映し続けた。
カタリナがおもむろに尋ねた。
「政志さん、あなたは何歳ですか」
「もう33歳だよ。くそっ」
「あなたは33年間も生きてきた。それも立派な奇跡なんです」
交渉前の政志なら、一笑に付すか、毒づくかしただけだろう。だが、もうその顔に余裕はなかった。
「あなたの過去210回の転生を調べると、平均寿命は4年8カ月でした。33年間も生きたのは初めてのことです・・・命を大切にしてください」
「つまり転生しても、人生詰んでるってことか」
「そうです」
政志はだらりと下げていた手を動かし、柵をつかんだ。がしゃん、と音が響く。
「夢も、希望もないんだな」
「はい。夢も希望もないんです。どこにも、逃げ場はありません。異世界にも」
ふう、と息をついて政志が、柵を乗り越えてきた。
母親がわあっと声をあげて駆け寄る。
カタリナが「仕事終了」とばかりに振り返った。淡々とした表情は全く揺らいでいない。園田は向かってくるエルフの少女に、敬意を込めて小さく頭を下げた。
すれ違いざま、カタリナが小さくつぶやくのが聞こえた。
「楽じゃないんですよ。転生って・・・」
かちゃりと背後で音がして、園田は振り向いた。通り過ぎたカタリナの手首に、警察職員が手錠をかけていた。神から与えられたという水晶も取り上げられ、職員が金属製の箱に収納している。
そうか・・・と園田は思った。異能の力、異常な見た目。それを抱えて、この地球で自由に生きられるわけがない。彼女が捜査に協力しているのは、警察から何らかの交換条件が示されているのだろうか。それが彼女にとって、意味のあるものであればいいが。
園田はつぶやいた。
「本当に、楽じゃ無いんだな。転生って・・・」
異世界転生が当たり前になった地球で 中村万物 @kazupinn2003
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます