女と男
空が燃えている。その向こう側から宵闇が迫ってこようとしていた。まるで、空の炎を鎮火するためのように。
女は森の中を、注意深く歩いていた。
周りに人はいないか、誰かにつけられていないか。
そろ、そろ、と。
その時、女の頭上から男の声がした。
「二度も失敗にするとは、少々焦りすぎではないか?」
見上げると、図太い木の枝の上に、一人の男が立っていた。男は氷のような冷たい眼で、女を見下ろしている。
女は思う。初めて会った時もそうだったが、男は冷酷な目をしている。関わってはいけない、目を合わせたらいけない、そんな類の人間だと分かる目。
だが、女は男と手を組んだことに後悔はしなかった。この男と組み、死返玉を手に入れば愛しい男と再会ができるのだ。
手段は選ばない。たとえ、男との交換条件が小碓王子暗殺だとしても。
「早く会いたいと願う思いなど分からんが、焦っては尻尾を掴まれるぞ」
最初に会った時は敬語だったが、今や人を見下しているような言い方だ。
少々苛立ちが募るが、それはまだ許容範囲なので流す。
「いや、相手はかろうじて尻尾が見え始めたな。いずればれてしまうだろう。そこでだ。これをお前の中に取り込もうと思う」
男は懐から、黒い霧を纏った勾玉を取り出した。女は訝しげにその勾玉を観察する。
「それは……?」
「これはまだ開発途中だが、我が一族の秘伝の技が込められた玉だ。これを身体に取り込むことで、今以上の力を発揮することができる」
「今以上の力?」
「己の限界……普段は理性がそれを邪魔するが、これがあればその邪魔な理性を退けて、限界……あるいはそれ以上の力を引き出せることができる」
それは聞いた分だけだと、夢のような物だ。努力もせず、短時間で力を引き出せるなんて。
だが、女は警戒した。甘い話には毒があるものだ。
「それを取り込んだ際の副作用は?」
「ない、とは言い切れないが、私にも分からん。いかんせん、実際に使ったことはない。言っただろう。開発途中だと」
限界の力を引き出せる。それを使えば、小碓の暗殺が成功する可能性が大きくなる。今まで以上にあれらは警戒する。隙を作らせない。
「つまり、正面から強行突破して殺せ、ということ?」
「大体そんなところだ」
「でも、正面からだと暗殺とは言えないのでは?」
「なに、小碓王子を殺して、それを目撃した者も殺せばいい。証拠も残らず、な」
ただし、と男は付け加える。
「小碓王子の護衛の男……宿禰は殺すな」
「ああ、あの男……今日引っ付いていたあの男は?」
「あいつは構わん。殺してよい」
吐き捨てるように言い放った男は木から降り、女の前に立つ。
勾玉を持ったまま、じりじりと女に迫る。女は一定の距離を保つよう、後ずさった。
「な、なに。まだ、何も言ってないわよ」
男は両端の口角を吊り上げて、にやっと笑う。
歪み、狂った、冷笑にも似た笑み。
それでも男は。
新しい玩具を見つけた子供の目をしていた。
「お前に拒否権などない」
女は駆け出そうとした。だが、その前に男が女の額に黒い勾玉を押し当てた。
勾玉が。女の額に埋め込まれていく。
額が勾玉を呑み込むように。
吸収されていく。
全て呑み込まれた刹那、女の背が撓る。
左胸が鼓膜まで聞こえるくらい、不自然に高鳴る。
咳き込む。黒い血が吐き出され、地面に落ちた。
声にならない咆哮が、森を轟かせる。
女の額から、黒い霧が溢れ、女を中心にして渦巻いた。
痛い、苦しい。
女は悶える。
体の芯はすっかり冷え切っているのに、感情だけが燃え上がって衝動が駆け巡る。
口からは涎のように、黒い血が流れていき、自分は何者であるか分からなくなってきている。
駄目だ、これ以上、自分をなくしては。
その思考すら喰われていくような、感覚に陥る。
正常な判断など、出来なくなっていた。
誰か、誰か。
口から出るのは、荒い息遣いだけ。
助けて。
助けて……!
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