路地裏にて
宿禰は舌打ちして、壁に拳をぶつけていた。
また逃げられた。今度こそ、逃がさないと思っていたのに。
路地裏はそんなに入り組んでいないが、相手は相当身軽だったらしい。影を追いかけたのだが、角を曲がったらその姿が見えなくなっていた。
(まぁ、有力な情報を手に入れたから、あれに注意すればいいか)
死返玉のことを、やたら訊いてきたという娘。しめ、という女の名。そして、姉の過去。
(黒茶色の髪もしていた……あの女が犯人という可能性がある)
小具那も気付いているだろう。そして。
(信じられない、信じたいという気持ちがごちゃごちゃになっているだろうな)
優しい小具那のことだ。あの娘がそんなことするわけがないと、信じている。だが、証拠と証言に素人すぎるやり方、そして女の過去を照らし合わせると辻褄が合うのだ。
見逃したい、という気持ちも芽生えているかもしれない。
だが、それでも。
「小具那の命を狙ったんだ。これは相当重いぞ」
口許を歪み、前を見据える。
その時、前に影が現れた。
「あれ、宿禰さん……?」
それは、先程疑っていた……今でも疑っている女、奈津だった。
奈津はきょとんとした顔で、宿禰を見つめる。
「どうかしたんですか? こんなところで。小碓王子はどうしたんですか?」
白々しいことを。
だが、ここは我慢するしかなかった。現行犯で捕らえなくてはいけないのだ。それが何よりの証拠になる。
「……お前こそ、どうしてここにいる?」
「あたしは、ちょっと」
言葉を濁らす奈津に、宿禰の眼光が光る。
「え、あの、なんで怒っているんですか?」
本当に意味が分からないと言わんばかりに、たじろぐ奈津から視線を外した。
「……なんでもない」
「そ、そうですか? その目、やめてくださいよ。正直言って怖いです」
息を吐いてから、それじゃあたしはこれで、とまるで逃げるかのように、場を去る奈津の背中。また舌打ちしたい衝動に駆けられたが、ぐっと我慢する。
さて、戻らないと。
踵を返して、目を瞠った。
「あ」
「む?」
突如目の前に現れた、見覚えのある少女と目が合う。
茶色の髪に紫水晶の瞳を持ち、巫女の服に似たような出で立ちをしている少女。少女は手に持っている焼き魚を口に運びながら、無表情で宿禰を見つめた。
まさか、こんな所会うとは。
「ああ。あの時、白鳥の子と一緒にいた男か」
「白鳥の子? 小具那のことか?」
少女に歩み寄りながら訊ねると、少女は小さく頷く。
「なんだ、その白鳥の子、とは」
「特別な輝きを放っている魂を持って生まれた子、というべきか……要は、稀にも見られない、天照の血を濃く引き継いだ子、という意味だろうか?」
「疑問形か」
「おじい様が言っていたことだからな。わらわにもよく分からん」
しれっと言い放ち、少女は肩に乗っている白い鳥の喉を撫でながら焼き魚を頬張る。
そうか、とだけ応えて、宿禰は見下ろしながらさっそく本題に入った。
「お前、今は一人と一羽だけか?」
「そうだが」
「保護者はいるか?」
「一応いるが、遠い国におる」
「どこの国だ?」
「理解し難い国だから、説明し辛い」
だから追究するな、という響きを持った言葉だった。
「そうか。それで、寝泊まりはどうしている?」
「わざわざ寝泊まる必要はない。強いて言うのなら、夜は散歩をして木の上で過ごしていた」
「今、夜は警備の奴らがいるのに?」
「面白かったぞ。奴らに見つからないように隠れながら、先に進むの。誰もわらわを見つけなかった」
「大したものだ」
普段より警備員の数が多いはずなのに、この少女は掻い潜ったという。
「それはそうと、せめてちゃんと屋根がある所で寝泊まりしろ。たださえ保護者は大分離れた場所にいるというのに。そもそも保護者はお前がここにいること知っているのか?」
「許可は取ってあるから、知っておる。屋根は必要ない」
憮然と言い放った。
「……まあいい。お前に訊きたいことがあるのだが」
「断る」
「まだ何も言っていないぞ」
「話す理由など……」
と、科白を切って、少女は宿禰の胸元を見据えた。じっと、何かを確かめるような、少々居心地の悪い視線。
「なんだ?」
訊ねると、少女が目を細めた。
「関係、なくもなかったのか」
そう呟き、少女は嘆息する。
まるで面倒くさいことになってきた、と言わんばかりの溜息だった。
「気が変わった。答えられる範囲なら、答えてやってもよいぞ」
「随分と上から目線だな。まあ、いい。質問する前に、お前を俺の主のところに連れて行きたいのだが」
「いいだろう」
「姫、姫! 早ク、帰ラナイト、帰ラナイト!」
白い鳥が甲高い声で喋ったことに、宿禰は少しばかり驚く。
「お前は黙っておれ」
「デモ、デモ! 心配、シテイル、シテイル!」
「黙っておれ、と言っている」
少女は小鳥の頭を軽く叩いた。静かになった子鳥を満足気に見やると、改めて宿禰を見上げる。宿禰は溜め息をついた。
「話を訊くついでに一応お前を保護しよう。何かあったら目覚めが悪い」
「優しいな。子供といえど、怪しさの塊でしかないわらわを保護するなどとは」
「怪しいのは自覚済みか。ただ、俺の主がお前を放っておけないと思ったから保護するだけだ」
「なるほど。やはりあの者はお人好しか」
「否定はしない」
紛れもない事実である。王子として些か心配なところがあるが、そこが小碓の良いところだと宿禰は思っている。
「ということだ、アトリ。この者の主がわらわを保護するらしいぞ? これで問題あるまい」
「ナシ? ナシ?」
「ないぞ」
「ナラ、イイ! イイ!」
アトリがピィ、と鳴く。
保護対象が見知らぬ者の許に身を寄せようとしていることを、普通は保護者に知らせなければいけないのだが、この鳥は分かっているのだろうか。
もう気にしないことにして、宿禰は少女に訊ねた。
「……お前、名は?」
少女は少しだけ顔を顰め、声を小さくして答えた。
「……リン、だ。この肩に乗っているのは、アトリ」
「アトリ、アトリ!」
リンとアトリ。変わった名前だと思った。少なくても周辺の国では見かけない名前だ。よほど遠い国から来たということだろうか。
少女、リンは宿禰の目をじっと見つめる。
「して、お前は?」
「宿禰だ。俺の主は、小碓王子という」
「了解した。さぁ、とっとと行くぞ」
「了解、了解!」
「お前に言っていない」
踵を返し、リンは歩き始める。
勝手に歩くな、と言いたかったが、進行方向は少女が歩いた方向なので、口にはしなかった。
宿禰は少女の後ろについた。歩く速さも揃えて。
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