暗殺

 抗える術もなく、川の中に落ちる。


 やばい。この川は、底が深く、小碓の身長を上回っている。


 泳がなくては。


 足を動かそうとしたが、右の足首が急激に痛む。

 そういえば、さっき落とされた時に足首を思いっきり捻ったような。


 息ができない。


 その時、すぐ近くで大きなものが落ちたような音がした。

 そして、腕のようなものが身体を包んでくれた。


 宿禰……? いや、違う。だって宿禰は。


 水面から顔が出る。思いっきり息を吐き捨てて、深呼吸をしようと思ったがその前に咳き込む。苦しい。まるで全力疾走した後のようだ。


 腕に抱えられたまま陸に上がり、そっと下ろされた。膝と掌を地面につけて息を整える。



「おい、大丈夫か?」



 横から声がした。きっと助けてくれた人だろう。

 顔をおもむろに上げて、相手を見る。そして驚いた。

 助けた本人も小碓を見て、目を瞠っている。



「あれ、あんた、あの時の?」



 その人は小碓を女と間違えて、お詫びに釧をくれた青年だ。



「あ、どうも……助けてくれて、ありがとうございます」



 青年は無邪気に笑う。



「いいってことよ。ところで、あの時の旦那は?」


「宿禰なら……」


「小具那ー!!」



 息を切らしながら、宿禰が小碓に駆け寄る。そして、青年を見て目を瞠らせた。



「お前は……」


「よっ、旦那。また会ったな」



 青年は片腕を上げて、そう言った。宿禰は二人を見て、怪訝な顔をする。



「どうしてお前たち、びしょ濡れなんだ?」


「僕、川に落ちて……そしたら、この人が助けてくれたんだ」


「川に落ちて? 小具那……ついに転んで川に落ちてしまうほどに」



 小碓は声を張り上げた。



「違うよ! 誰かが、僕の背中を押して……」



 刹那、空気が冷たくなった。肌がぴりぴりして、鳥肌が立つ。背筋が凍る。まるで、雪の中に埋もれているような寒さが肌を襲う。


 小碓も青年も顔を引き攣った。何故ならば、宿禰が表情を無くし、氷のような瞳で何処かを睨みつけているからだ。


 言葉も出ない。


 怒っている。すごく怒っている。

 被害者は自分なのに、何故かこの場から逃げたくなった。


 宿禰は青年を睥睨した。



「おい、お前」


「はい! なんでしょうか!」



 青年の声が震えあがっている。宿禰はそれに構わず、問うた。



「怪しい人影は見なかったか?」


「見てないでございます! 俺がここに来たときには、こいつ、溺れていましたので!」


「そうか……さっきの少女は、あの身の丈で小具那の背中を押すのは無理だな……仮にお前が小具那を落としたとしても、わざわざ助ける理由がない……」


「あ、あー! 旦那、ここで提案があります!」


「なんだ?」



 青年は引き攣った笑みで、小碓を指した。



「こいつも俺も濡れているので、まずは着替えることが先決かと! 風邪引いちゃうぜ!」



 間。

 あんなに冷たかった空気が一気に引いた。



「そうだな……この季節でびしょ濡れのままだと、風邪を引いてしまうな」



 二人は知らずの内に安堵の息を吐く。



「すまなかったな。あと、小具那を助けてくれてありがとう」


「いいって! でよ、出来たらあんたの家で着替えさせてくれないか? 林の中で着替えるのは、勇気がいるというか」



 人通りの多い都の外で着替えて、鉢合わせしてしまったら気まずい。いや、それ以上に女性だったら叫ばれる危険がある。



「別にいいが……俺の家は、小具那の家でもあるぞ」


「同居しているのか? なぁ、悪いがあんたの家にお邪魔してもいいか?」


「助けてくれたんだ。それくらい、いいよ」


「よっしゃ! ありがとうな!」



 青年は二人に向かって笑うと、川より少し離れたに置かれている、大袋を持ち上げた。



「そういえば、あなたのお名前は? 僕は小碓といいます。こちらは宿禰」


「小碓に宿禰、ね。俺は八柳やなぎっていうんだ。八柳でいいぞ」



 直後、八柳が盛大にくしゃみをして、身体を震わせた。



「うううう、さみぃ! はやく行こうぜ!」


「そうだな。小具那、立てるか?」


「ちょっと……さっき、足を軽く挫いちゃって」


「なら、俺の背中に乗れ」


「うん」



 宿禰が背中を差し出し、小碓が抱き着いたら、腕を足に絡ませ立つ。



「悪いが、人通りのないところを通るから遠回りになる。それでいいか?」


「いいけど、なんでだ?」


「小具那は一応王子だ。こんな姿を民に見られたら笑われるだろ」



 その言葉を聞いて、八柳が石のように固まった。

 しばらく硬直した後、後ずさって。



「なんですとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」



 と、空まで響きそうなくらい絶叫した。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る