休憩

 この時代、昼は食べず、朝と夕方に食事をするのが当たり前だった。だが今日は、間食として木の実と魚がある。稲刈りは本来、近所と協力して刈るのだが、真呂呼と粥菜の田は何故か他の田んぼと離れている。そして、小碓たちがいるため近寄りにくく、結果人が来ないのだ。


 それなら真呂呼と粥菜は、人から敬遠されがちなのかと訊かれたらそうでもない。二人の陽気な性格のおかげで、人望はあるらしい。


 あらかじめ殻を割り、土師器で煮て灰汁を抜き取り炒ったものを、一つ摘まんで口に運ぶ。口内に仄かな甘みが広がった。



「やっぱり、小椎こじいの実が一番好きだなぁ」


「小碓ちゃんが好きな味やもんねぇ。いっぱいあるから、どんどん食べなさい!」


「ありがとう。でも、どうして炒るだけで味が違ってくるんだろう? 炒るよりも焼いたほうが美味しいものもあるけど、どっちにしたって火って使うよね」



 小椎の実は灰汁抜きをしなくても、生で食べられる。だが味がほぼなく、炒ったほうが甘くなって美味しくなるのだ。



「さあねぇ。火には食べるものを美味しくする力があるのかもねぇ」



 粥菜がそう零した瞬間。



「ぷっふ」



 と、宿禰が突然吹きだした。



「宿禰ちゃん? どうしたね?」


「ああ、すまない。思い出し笑いだ」


「思い出し笑い?」


「小具那が、間違えて灰汁抜きしていない小楢こならの実を食べた時の、あの顔を思い出して」



 笑声を喉の奥で押し殺す宿禰。小碓は顔を真っ赤にして、声を張った。



「ちょ、いつの話をしているの!?」


「小具那が七つ……いや、八つの時の話だな」


「真面目に答えないでよ! その前に僕が間違えたんじゃなくて、女人が間違えたんでしょ!」



 小碓が八つ、宿禰が十二の時だった。女人が殻を割った小椎、小楢、かやのうち小椎を分けて貰い食したところ、それが小楢だったのだ。


 小楢は灰汁が強く、渋い味をしている。灰汁抜きして、火の通ったものでなければ尚更だ。甘いものを好む小碓にとって、それは叫びだしたくなるほどの衝撃だった。


 実際、声にならない叫びを上げていた。小椎だと思っていたら、灰汁抜きしていない小楢だった。甘いものだと思えば、渋いものだった。その差異が小碓に追い打ちをかけた。



「がははは! そりゃ、見たかったわ!」


「今からでも食べさせるかい?」


「真呂呼、粥菜!」



 声を張り上げる。だが二人は、どこ吹く風で小碓の叫びを受け流した。

 大きく息を吐き捨て、小碓は脱力する。



「前から小楢はあまり好きじゃなかったけど、あれ以来もっと好きじゃなくなった」


「まぁ、小楢だからな。あれは俺も好きじゃない」



 炒ったら程よい水分で、もちっとした食感だが、えぐい。焼いたら少し硬いが、もちっとした食感。だが少しえぐい。茹でたらやわらかいが、味が薄い。えぐいのが好きな人ならいいが、二人ともえぐいのは好きではない。



「そうか? わしゃ好きやけどな」



 真呂呼が理解できないような顔で、首を捻らせる。



「なら、小楢は爺さんが食べなさい。あたしも、あまり好きじゃないからねぇ」


「そうかい。なら、頂こうかね」



 真呂呼は嬉々と小楢を食べた。溜息を吐いて、粥菜は小碓に小袋を差し出す。



「榧も焼いてきたからねぇ。小碓ちゃん、榧の焼いたやつ、好きやろ?」


「うん! ありがとう、粥菜」



 榧の実は焼いたら、さっくりした食感でとても美味しい。後味は今でいう、ココナッツの味がした。

 受け取った小袋の中から一粒の榧を出して、口に含む。



「水がなくなったな。汲んでくる」



 小碓の横に置いている竹筒を覗き込んで、宿禰が申してきた。



「いいよ。僕が行ってくるから」


「お前はここで待っていろ。真呂呼と粥菜はいいか?」


「わしゃいいよ」


「あたしも。気を付けていくんだよ?」


「ああ」



 宿禰は自分の分と小碓の分の竹筒を持つと、腰を上げて林の向こうにある川の方に向かって行った。

 その姿が見えなくなるまで見送る。



「小碓ちゃんも連れて行けばよかったのにのう」


「まぁまぁ。宿禰ちゃんも考えているんよ」


「なにを?」


「さあねぇ」



 皺を深くして笑い、粥菜はおどけながら竹筒の中にある水を啜る。

 真呂呼と小碓は顔を見合わせ、首を傾げた。

 考えている、とはどんなことを考えているのだろうか。



「粥菜さん、真呂呼さーん!」



 明るい女の声が鼓膜に響いた。どこか聞き覚えのある声だった。



「この声は……」


「あの子じゃな」



 粥菜、真呂呼が続けて呟く。その声は弾んでいるように聞こえた。

 草を踏む音がする。三人は声がした方向に振り向いた。


 そこには、一人の女が駆け足でこちらに向かっていた。その女の顔に見覚えがあり、小碓は目を見開く。



「やっぱり! 稲刈りしていたんだ!」


「どうしたんだい?」


「特に用はないけど、会いたいなって思って。稲刈りしているんなら、手伝おうかなって」



 ふと、女の視線が小碓に向かれた。女も小碓と同様、目を見開いて唖然とした。



「あなたは、昨日の……」



 その女は昨日、櫛角別の館に行く道中で会った女だった。木に引っ掛かった腰布の持ち主のほうの。

 小碓は笑みを浮かべさせた。



「やっぱり、昨日の人でしたか。こんにちは」


「あれま、小碓ちゃん、奈津なつと知り合いかいな」


「木に引っ掛かっていた腰布を取ってあげたんだ。二人も、この人と知り合いなの?」


「死んだ息子と恋仲だった子じゃよ」


「ああ、息子さんの……」



 先の戦で戦死した、真呂呼と粥菜の一人息子。小碓は会ったことはない。名前は確か、草種くさたねだったか。


 時たま、二人が語ってくれる亡くなった息子。体格が良く爽やかな青年で、気配り上手な笑顔がすごく良かったという。また親想いで、よく二人の肩を揉んであげて、仕事を変わりにやってくれていたとかなんとか。



「この子は息子が死んでから、たくさんの男に求婚されたというのにそれを断り続けるくらい、息子を想ってくれていてねぇ……たまにこんな老いぼれの様子を見てくれては、何かと手伝ってくれるんだよ……いやぁ。ほんと、良い子だねぇ」


「わしらの周りには、良い子ばっかり集まるのう、婆さんや」


「ほんと、禍福者だねぇ、爺さん」


「って、粥菜さん、真呂呼さん! 何私語で話しているの? この人、王子様なんじゃ……」



 奈津は慌てふためいて二人を見るが、真呂呼と粥菜は互いに目を合わせて目元を和ませる。



「まぁ、たしかに王子じゃな」


「あたしらは孫のように思っとるけどねぇ」


「だいたい、よく何もないところで転ぶのを見ているとのう」


「そうやねぇ。威厳がないというか、王子らしくないというか。そこが可愛いというか」


「ちょ、真呂呼、粥菜! たしかによく転ぶし、威厳がないって自覚しているけど! それをほぼ初対面の人に言わないでー!」


「そう言われたら、もっと言いたくなるねぇ」


「やめて!」



 口角を吊り上げ、目を細める粥菜の顔は苛めっこそのものだった。小碓は顔を紅潮させ、手をわたわたさせる。

 その様子を見ていた奈津が、小さな笑声をあげた。



「なんか、あたしが思っていた王子様と違う」


「ま、まぁ……よく言われます」


「噂で聞く王子と、あなた様は違うようですね。良い意味で」



 奈津はそう言って、頭を軽く下げた。



「申し遅れました。あたし、奈津といいます」


「こちらこそ、申し遅れてすいません。小碓といいます。以後、お見知りおきを」



 頭を上げて、奈津は視線を滑らせる。



「そういえば、昨日一緒にいた人はどちらに?」


「ついさっき、水を汲みに行きました。あなたも、昨日一緒にいた女性は?」


「今日は別行動なんです。あの子は梓女しめ。あたしの妹です」


「妹さんでしたか……」


「あまり似ていなかったでしょう? よく言われるんです」


「いえ……僕もよく、兄たちと似ていないと言われますので」



 そう言うと、そうなんですか、と奈津は笑う。



「立ち話もなんじゃ。奈津も座ったらどうじゃ?」


「そうね……じゃ、座ろうかな」



 奈津は真呂呼の横に腰を下ろし、足を伸ばす。

 さて、と粥菜は竹筒を置いて、三人に目を合わせながら言った。



「宿禰ちゃんが帰ってくるまで、木の実食べながらお喋りしようかね。少し、時間がかかるようだからねぇ」

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