双子の兄

 小碓の館は、二人暮らしにも関わらず意外に広い。


 倉庫や馬小屋も備わっている他、小間使い用らしき小さい建物と竈が備わった設備も外にある。二人が母屋として使っている建物も、農民の家が二十くらい余裕で入れるほどの広さを持っていた。


 大方、身分が高い者の家だったが滅んでしまい、そのまま放置していた館なのだろう。小碓が纏向日代宮を出るということで、使い道のなかったこの館の存在を思い出し、小碓に与えたという流れなのだろう、と小碓は思っている。


 他の兄弟は纏向日代宮を出る際、新築の館を用意されたが、小碓には使い回されたこの館を渡された。つまり、財産を小碓の為に使いたくないというところだろう。


 その事に対して、小碓は気にしていなかった。自分に新築の館が用意されるとは思っていなかったし、手配してくれるだけ良かったのだ。それにこの館に初めて来た時、随分と手入れが行き届いていると感心したのだ。ぼろぼろの館だと思っていたから、驚きもしたし、珍しく優遇されたなと思ったくらいだ。


 回想しながら、小碓は枯れ草を食べている馬の頭を撫でる。



はる、おいしい?」



 すると榛は返事をするかのように、ぶるる、と鼻を震わせた。



彦星ひこぼしもおいしい?」



 彦星と呼ばれた馬も榛と同じ返事をした。


 榛は小碓の、彦星は宿禰の愛馬だ。榛は雌で鹿毛。彦星は雄で青鹿毛、額に白斑がある。普通なら馬の世話は、海の向こうから来た渡来人に任せるのだが、忌み嫌われている王子に付く者はいなく、二人で馬の世話をしている。世話の仕方は、櫛角別の館に住んでいる渡来人に教えてもらった。



(動物っていいなぁ)



 動物は小碓を双子の弟だからと、嫌うことがない。懐いてくれれば、触らしてくれる。払いのけることはない。小碓にとって動物は、宿禰の次に心が休まる存在なのだ。



「今日は天気が良いし、邸の掃除が終わったら散歩にでも行こうか」



 いつまでも馬小屋の中にいては運動不足になる。それに、たまには馬術をしないと感覚が鈍ってしまう。

 冷たい風が小碓の頬を打つ。今日は少し風が強い。軽い物なら、風に連れ去られてしまう。


 ぴくぴくと榛の耳が動いた。榛は顔を上げ塀の入り口の方に顔を向く。彦星も榛と同じ方向を向いた。


 なんだろう、と振り向いて目を剥く。


 そこには、見覚えのある二つの人影があった。


 一つの人影は、ざんばらな黒い長髪の少年。そしてもう一つは、少年よりも背が高く、手入れが行き届いた茶色の長い髪をしていて、布で目を覆っている青年。


 黒髪の方は、小碓の片割れである大碓。そしてもう一人は、大碓の護衛であり側近の眞澄ますみだ。


 大碓はこちらに気が付くと、不敵に笑って片手を軽く挙げた。だが、こちらに来る気配がない。


 小碓は小さく溜息をつくと、大碓の許へ駆け寄った。本当は行きたくないのだが、遅い、と言われて殴られるのは勘弁だ。



「久しぶりだな、愚弟」



 駆け寄って来たので、機嫌を損なわなかったようだ。大碓がいつも通りの見下した笑みを刷った。小碓は会釈をする。



「お久しぶりですね、大碓兄上。眞澄さんもお変わりなく」


「小碓王子もお変わりなくて、安心しました。本日は突然の訪問、申し訳ございません」



 眞澄はそう言って、深く頭を下げる。



「いえ、お気になさらず。ところで、珍しいですね。大碓兄上がこのような場所に訪れるなんて」



 珍しい、ではない。小碓がここに住むようになって、大碓が訪れたのはこれが初めてだ。有り得ないが偶然立ち寄ったとしても、纏向日代宮、大碓の邸からも大分離れているため、わざわざ足を運ばないと行けない場所に位置している。



「何か御用でしょうか?」


「お前を笑いに来た」


「はい?」



 胡乱げに返すと、眞澄が割って入ってきた。



「前日、墓が荒らされたのはご存じですか?」


「はい。祖父の墓が荒らされた、と。現場にもたまたま通りました。あの、それがどうかしましたか?」



 話が見えず訊くと、眞澄は声を潜める。



「実は……大王が墓を荒らしたのは、小碓王子ではないかと疑っておられるのです」


「え……」



 ほんの小さいことでも疑われる事なんて、多々あったがそれは全部無実だった。

 疑われるのは慣れている。だが、今回ばかりはこう言いたい。



「前科持ちなのは、むしろ大碓兄上のほうなのに……」


「私もそう思っているのですが、大王はまず小碓王子を疑われないと気が済まない性質なようでして」


「おいこら、お前ら」



 大碓の怒気が孕んだ声色に、眞澄は愉快そうに笑った。


 普段の大碓ならここで剣を抜くが、眞澄相手だと剣を抜くことはない。眞澄さんには弱いなぁ、と思いながら二人を交互に見やる。


大碓は一つ咳をすると、腕を組んだ。



「つまり、だ。父上にやってもないのに疑われている、惨めなお前を笑いに来たのだ!」



 ゲラゲラ、と王子とは思えない笑い方をする大碓に小碓は、「は、はぁ」と、困惑した表情しか浮かぶことができなかった。


 その後、笑いに笑った後、満足したのか一言も声を掛けず立ち去った。眞澄が肩をすくめ「失礼します」と頭を下げただけだ。大碓に去り際の挨拶など期待はしていないので、別に何とも思わない。


 ところで結局、何しに来たのだろう。本当に笑いに来ただけか。

 小碓はふと気が付く。



「あれ? ということは、大碓兄上は僕を疑っていないってことなのかな?」



 大碓は、やってもいないのに、と言った。つまり大碓は、小碓が墓を荒らしたと思っていないということだ。



「うーん。大碓兄上って分かんないなぁ」



 物心ついた頃から苛められていた記憶があるので、嫌われているだろうとは思っているが、たまにそれが分からなくなる。その後は、やっぱり嫌われていると再確認するが。



「どっちにしたって、あの人が苛めっ子には変わりないか」


「苛めっ子、ということはやはり大碓王子が来ていたのか?」



 振り向くと、宿禰が小碓に歩み寄っていた。



「あれ? 宿禰、中の掃除は?」


「粗方終わった。それで、下品な笑い声が聞こえてきたから、もしやと思って来たのだが」


「うん、さっきまで大碓兄上と眞澄さんがいた」


「初めてだな、二人がここに来たのは。何の用だったんだ?」



 一拍置いて、小碓はぼそぼそと話し始める。



「……この前、おじい様の御墓が荒らされたでしょ?」


「あったな、そんなこと」


「父上がその墓を荒らした犯人が、僕が疑われているらしくて」


「は?」



 半眼で小碓を見据える。小碓は盛大な溜息をついた。



「で、父上に疑われている僕を笑いに来たんだって」


「大碓王子らしい理由だな」


「大碓兄上は、僕を疑ってないみたいだけど……それでもなんか、遣る瀬無いなぁ」



 前科なんてない、やってないことで疑われるのは、すごく堪える。自分を一番疑っているのが親であれば尚更だ。

 無理して笑っている小碓の頭を、ぽんぽんと撫でながら顔を覗きこむ。



「小具那」


「なに?」


「悔しくないか?」


「悔しくないわけないよ……」


「だったら」



 頭から肩へ手を移すと、その小さな肩を掴む。小さく首を傾げる小碓に、宿禰は口の端を吊り上げて笑った。



「自分の潔白は自分で証明すればいい」

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