市場帰り
土師器を出していた職人は、小碓が王子だということを知っていたのか、始終緊張気味だった。なんだが申し訳なく思いはじめ、早々に交換してもらい、市場を去った。
「たまには市場もいいねー。緊張されるのは、少しあれだけど」
「王子だから仕方ないだろ。中には気に入らなかったら、斬る王子もいるから」
「僕、そんなことしないのに……」
小碓にとって、その事実は心苦しいものだった。
中には櫛角別のような人当たりが良い王子もいるが、横暴な王子もいる。その中には、宿禰が言った通りの王子がいる。たとえ子供でも無礼を働いた者は、斬り殺されたりもした。いくらなんでも殺すことはない、と小碓は遣る瀬無い気持ちになる。
「民をもっと大事にしなきゃ駄目なのに、どうしてそんな事するかな……多くの民が王族に対して悪い印象を持ってしまったら、いずれ国が成り立たなくなっちゃう」
「良い奴よりも悪い奴の方が目立つ事は、よくある事だ」
「それでも、民から恐れられるのは嫌だな……」
「まぁ、剣を持っていたら怯えられても仕方ないと思うが」
「それ以前の問題だったか……」
小碓と宿禰は常に剣を携わっている。もし、命を狙われた時に対処できるようにと。本当は剣と相性が良い矛を持っていきたいところだが、いかんせん持ち運びが不便だ。
「話は変わって。次の大王は、櫛角別の兄上にしてほしいな」
櫛角別はとても優しい。子供が好きだし、部下や女人にも気遣い、民の事を大事に想っている。ただ優しいだけではない。常に冷静で、頭の回転も速い。王となる素質があるのは、兄弟の中で櫛角別だ、と小碓は考える。
「そういえば、市場で会ったあの男の人、僕のこと王子って知らなかったみたいだったし、まだここに来て日が浅いのかな?」
「そうかもな」
「僕達けっこう上等な衣を着ているけど、全然気付かなかったね」
父からの支給は少ないが、衣だけはしっかりとした作りの上等な物を送ってきている。さすがに王子がみすぼらしい格好をするのは拙い、とは考えてくれているらしい。
「俺がお前に対して敬語を使わない、それから市場に赴く王子がいるとは思わないだろう。それに市場に来た目的が土師器だから、気付かなくて当然だ」
「それはそうだけど、僕って品がないのかな?」
「品はあると思うぞ。ただ威厳がないだけで」
「言うと思ったよ!」
小碓も威厳がないと自覚はしていた。自覚はしていたが、なかなか出せるものではなかった。威厳は出したいが、小碓には到底無理だった。
そんな小碓を知ってか知らずか、宿禰がくっくっくと笑いはじめ、そんな宿禰を小碓は小突いた。
そんな風にじゃれていると、人だかりが視界に入り、小碓が足を止める。
不思議そうな顔をして、宿禰は首を傾げた。
「どうした?」
「あの人だかりはなんだろう?」
「人だかり?」
宿禰も小碓と同じ方向に視線を向くと、小山くらいに盛り上がっている土の前に人だかりが出来ていた。
「たしかあそこは、
活目入彦は現大王の父親であり、前大王であった人であり、小碓の祖父にあたる人だ。
「だよね……お墓に何かあったのかな?」
人だかりに近付いてみると、馴染みの人物の背中があることに気付く。
「真呂呼!」
真呂呼は振り返ると、目元を和ませた、
真呂呼。粥菜の夫だ。僅かしかない毛がそよそよと風に遊ばれている。
「おお、小碓ちゃんに宿禰ちゃん」
「どうしたの? お墓で何かあったの?」
訊くと、真呂呼は墓の方を一瞥し、顔を近付けさせた。
「実はのう、墓の一部が壊されて、中が荒らされたようじゃ」
声を潜め、告げられた言葉に目をぎょっと剥く。
「それ、本当?」
「らしいぞ。副葬品も盗まれたようじゃ」
「そんな……」
「しかも玉だけらしい」
「玉? 他の副葬品は盗まれてなかったのか?」
「今の所、玉以外盗まれてはないそうじゃ。たく、なんて罰当たりじゃ。あなおそろし……」
わざとらしく、身震いする真呂呼。大して怖がっていないようだ。だが、周りの群集は、恐れと墓を荒らした者に対する怒りを囁いている。
「玉だけというのは、気になるところだな」
「そうだね……」
副葬品は玉だけではない。剣や銅鏡、埴輪、土師器、石で作られた物、鉄製の農耕具もあるのだ。その中で玉だけを盗むとは。
「犯人は玉を何に使うつもりなんだろう?」
「高級品と交換する為……いや、それだったら他の物も盗むか」
小碓も宿禰も、前大王の副葬品がなんなのか知らない。だが、前大王の墓だ。前大王の時代は貧困はなかったというので、副葬品は高価な物に違いない。
「わからないね」
「考えても仕方ない。全部あっちに任せるしかない」
そう言って宿禰は、壊された石の壁を出入りする集団を見やる。数は数十人。木簡を持つ者と持っていない者が何やら深刻そうな顔で話し合っている。
「あれは……
「だろうな」
物部とは、物部を氏とする氏族を指しており、
普段はあんな大人数で行動はしないが、前大王の墓が荒らされたとなると、大掛かりで調査しなくてはならないだろう。
「早く犯人が捕まったらいいけど」
「犯人に繋がる証拠が見つかるかどうかだな」
「そうだね。これが最後だったらいいけど」
「犯人の目的が分からんからのう。これからも起きるのか、予測不可能じゃわい」
真呂呼は二人を見上げる。
「で、二人はどうしてここにいるんじゃ? 中央にはあまり近付かんじゃろ?」
ここは纏向日代宮に近い場所だ。纏向日代宮に用がない限り、二人はこの辺りを通らない。
「ああ、市場に用があったんだ」
「用?」
「土師器を交換しに。真呂呼たちの土師器、壊れたって聞いたから」
籠に入っていた土師器を見せると、真呂呼は目を丸くさせた。
「そういえば壊れてたの。わざわざ行ってきてくれたのかい?」
「だって、粥菜が運んだら重いでしょ? それから鹿も狩ってきたんだ。今、粥菜が捌いてくれているから、良かったら食べてね」
「おややー! 鹿肉もかいな! いやー二人とも、ほんまええ子じゃ。お前たちのような孫が欲しかったのう」
「そんな大げさだよ」
「ま、お前たちが孫みたいなもんじゃな!」
真呂呼はにかっと笑ってみせた。
「おお、そうじゃ! 夕食はうちで食べんか?」
「いいの?」
「よいって! 婆さんも喜ぶじゃろうて!」
小碓は宿禰に振り返る。
「宿禰、どうする?」
「久しぶりにお邪魔するか」
「そうこなくっちゃの! どうせこの後、わしの家に行くんじゃろ? 一緒に行くか」
「そうだね。じゃ、行こうか」
「いやー、それにしても四人で食べるのは、いつ以来じゃろうなぁ」
「田植えが終わった後以来じゃないかな?」
田植えで腰を痛めた粥菜の代わりに、二人分の食事を作ることになったのだが、どうせなら四人で食べようという真呂呼の提案で、その日は四人で食事したのだ。
そうじゃったなぁ、と鼻歌交じりに真呂呼は応えた。
小碓は墓を一瞥する。
(玉だけ盗む、墓荒らしか)
どうして玉を盗むのか。
なんで、墓からわざわざ盗むのか。
玉なんて、市場にもあるというのに。
(これから、何も起こらなきゃいいけど)
胸騒ぎを覚えながら、小碓は空を見上げた。
先程まで晴れていた空は、雲に覆われている。灰色の壁が山の向こうまで続いていた。
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