市場にて
纏向日代宮の周りには川が流れている。向かって右に架かっている橋を渡ると、市場がある。そこには、他の国から物を売りに来た人々も往生していたため、大変賑わっていた。貨幣がなかったこの時代は、物々交換で物を手に入れていた。
麻の布の上に品物を置き、自らもその上に座る者。品物を籠の中に入れ、歩きながら交換する品物の名前を、声を張り上げて言う者。木で作った台の上に品物を置いて、見やすいようにしている者。色々な人たちが、自分の持っている物と欲しい物と交換しようと呼びかけている。
籠を背負いながら、小碓は市場に出されている物を遠目から眺める。宿禰は辺りを窺っていた。
面目上、二人の関係は主従であり、護る者と護られる者だ。どうして、小碓が荷物を持っているのかと言うと、いざという時に荷物が邪魔して小碓を守れないからだという。
小碓も剣を携わっている。技量もそれなりだが、宿禰には敵わない。幼い頃から大王の側近として役に立つよう、様々な知識や剣の使い方を叩きこまれてきたのだ。小碓も幼い頃から王子として恥ずかしくないよう、知識も技量も磨いたつもりだが、やはりまだまだだ。
(自分の身は、自分で守れるように精進しないとなぁ)
小碓は王子だ。他国、もしくは身内に命を狙われることだってある。いつでも宿禰が一緒にいるわけがないのだから、もし一人の状況になってその隙に命を狙われたりしたら、小碓だけで対応しなくてはいけない。
その状況に陥った時に備えて、もっと強くならなくては。
(宿禰にいつまでも、頼るわけにはいかないんだ。せめて、背中を預けてもらうまで成長したいなぁ)
それはそれで、難しい道のりだ。
「小具那、何か欲しいものがあるか?」
「ううん。今の所は」
いらっしゃい、と行き交う人々に声を掛ける物売りたち。物々交換して、少しでも得するように交渉している者。子供が親にこれ欲しい、と駄々をこねている。
平和だな、と馳せる。六年前、他国とのいざこざが起きて多くの命が散った。多くの人々が嘆き悲しみ、愛する人たちを引き裂かれた。
粥菜と真呂呼の息子も、それに巻き込まれて死んだ。
人々の心には、まだその頃の傷があるけれど、こうして平和に過ごせることはとても良い事だ。
出来れば、この平和がずっと続けばいいのに。
視線を宿禰に戻す。
「あまり来ないけど、やっぱり賑やかだね」
「各国からいろいろな物が来るからな」
市場で物を交換するのは、自国の人々だけではない。他国の人々もこの市場を利用している。
他国ではなかなか手に入らない物を手に入れるため、他国からも人が来て交換している。ここは他国と結ぶ交易の場にもなっているのだ。
「珍しいものとかあるかな?」
「せっかく来たから、少しくらい見て回るか?」
小碓が軽く目を瞠る。
「え、粥菜たちの土師器は?」
「少しくらいいいだろう。土師器を忘れなければいい」
「うーん……いきなり言われても、何を見ようか迷っちゃう」
「装飾品はどうだ?」
「嫌だよ。狩りとかの邪魔になるし。それに華やかさなんて、僕には必要ないよ」
「ま、お前は着飾っているよりも、ありのままのほうが似合っているな」
耳飾りや首飾り、
だが、庶民は作業の邪魔になるからか着けるのは一つくらいで、必要以上に身に付けているのは、身分の高い者たちだけだ。
他の兄弟たちはほとんど首飾りなどをつけているが、先ほども言った通り小碓は邪魔になる為、装飾品は一切つけていない。宿禰も勾玉を一つだけ身に付けているが、それは服の下に隠している。
「見る分には好きなんだけどね。綺麗だなって思うし。でも、自分がつけるとなるとね」
「そうか」
ぐるり、と見渡す。
「そこのお嬢さーん!」
軽快な男の声が耳に届いた。物売りが女の子を呼び止めているな。そう思っていたら。
「そこ! 籠を背負って良い男を連れている、可愛いお嬢さん!」
まさか。まさかと思うが。
おそるおそる、声がした方へ振り返ると、一人の男と目が合い、男はにかっと笑った。
男は宿禰よりも少し上くらいに見えた。ざんばらな長い黄唐茶色の髪を高く括っている。顔も整っており、人懐っこい笑みを浮かべていた。
「あの……僕のことですか?」
「そうそう!」
小碓は思わず口元を引き攣る。
昔から、他の兄弟に女顔とからわれてきた。忌み子だとか言われても、仕方ないよな、と受容していたが、この言葉はどうしても受容できなかった。
たしかに小碓は、幼い頃から可憐な顔立ちをしていた。童顔と相まって一見、女と見違えられてしまう。声も声変わりがまだで、女子らしい声を出している。真呂呼と粥菜と初めて出会った時も、二人に勘違いされた。
どうして男の格好をしても、間違えられるだろうか。
「旦那! 可愛い子だねぇ。妻かい?」
宿禰は言い澱みながら告げた。
「あー……言い辛いが、これでも男だ」
「これでもってなに!?」
「そうなのか!? あちゃー。それは悪い事を言ったな。ごめんな」
申し訳なさそうに眉をひそめる男に対し、小碓は渇いた笑みを浮かべた。
「いえ、間違えられるの、慣れているので」
「でも悪いよ。あ、そうだ! お詫びに、この中から好きなもん、取っていけよ!」
「や、そこまでしなくても」
引き気味に辞退しようとしたが、男は引かなかった。
「遠慮するなって。さぁさぁ! 選びな!」
そう男は言って、ずらりと並ぶ物を見せた。見てみると、装飾品ばかりだった。骨で作られた耳飾りに、勾玉と管玉が連なった首飾りなど。
「僕、装飾品は……」
「ただの装飾品じゃねぇぜ? 全部、魔除けの効果があるんだ」
「魔除け?」
「おう! 付けていて損はないぜ?」
宿禰が品を覗き込む。
「何処の物だ?」
「出雲だよ。いやぁ、出雲から倭まですげぇ遠かったよ」
「そんな遠くから……ご苦労さまです」
倭と出雲は遠い。この時代は徒歩か馬か、船に乗って行くしかなかった。馬も高貴な者しか乗れない貴重な乗り物だった。それ故に数日では辿り着けなく、何ヶ月もかかることが当たり前だった。
「出雲からやってきたっていうのに、ただというわけには……」
「あんた、真面目だな。俺も昔は女に間違われるほど女顔でさ、女と間違えられるのすげぇ嫌だったんだよ。ま、俺の自己満足ってことで受け取ってくれや」
「う~ん……」
悩みながら宿禰を一瞥する。視線が合うと、宿禰は小碓と品、それから男を見て頷いた。
「いいんじゃないか。貰っても」
「それじゃあ……出来れば、あんまり邪魔にならないやつがいいなぁ」
「釧はどうだ?」
「邪魔にならない物だったら、耳飾りの方が良くないかい?」
「こいつに耳飾りは合わない」
「なら、これはどうだい?」
そう言って指を指したのは、翡翠で作られた釧だった。
「綺麗だね」
「翡翠だったら似合うだと思うけど、旦那、どうだい?」
「悪くはないな。それにしたらどうだ?」
「だったら、それ貰います」
「はいよ!」
人の良い笑顔をして、男は小碓に翡翠の釧を差し出した。それを受け取り眺めてみる。翡翠の釧は太陽の光を浴びて、きらきらと輝いていた。
「綺麗だね」
「つけてみたらどうだ?」
宿禰に促され、左手首につけてみる。翡翠の釧は見た目よりもやや重く、ひんやりとしていた。
「いいじゃないか」
「うん! よく似合っているぜ! 旦那は、この子のことよく分かっているねぇ」
「まあな」
それが当たり前かのように、宿禰は相槌を打つ。そこで小碓が、あ、と声を上げた。
「そうだ! 土師器を探さなきゃ」
市場に来た目的は、粥菜たちの土師器を交換するためだ。装飾品を見るためではない。
「土師器? たしか、この先行った先にあったぞ」
「ありがとうございます! 釧もありがとうございます」
「いんや! 釧のことはいいって! 間違えちゃってごめんな!」
「いえいえ。あ、そうだ」
籠の中から一握りの木の実を取り、男に差し出す。
「さすがに何も交換しないのは悪いから、これと交換で」
「うーん。それじゃ、まけたっていうことで」
男が木の実を受け取った。
「それでは、これで」
踵を返して、男が指した方向へ歩き出した。後ろで男が声を張り上げる。
「じゃあなー!」
振り向くと、男は満面の笑みでぶんぶんと手を振りまくっていた。小碓はそれに小さく手を振って再び前を向いて歩き出す。
男の言った通りの方向に進むと、土師器があった。いつくかの木の実と交換し、土師器は木の実を掻き分けて、籠の中に入れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます