第8話
私の目の前に今一人のお客さんが、本を求めて立っている。それだけならば特に変わったこともない。きっと欲しい本があって、それを買いに来たのだろうと解釈できる。でもこのお客さんは、そうではない。
背は私よりも十センチくらい高いように見える。ということは百七十四センチくらいだろうか。歳は私よりも少し下くらい、二十代半ばといったところだろう。シャツにジーンズを合わせた特徴のない服装だが、細身である彼はどことなくおしゃれな雰囲気を醸し出している。今風の歌手に多いキノコみたいな髪型のせいかもしれない。おしゃれなことにあまり興味がない私でも、そう感じるほどだ。もしかしたら一部の女の子にはもてるタイプなのかなあ、とそんなことを考えた。
彼は最初店に入ってきたとき、とても挙動不審だった。そわそわしているのが見ているこちらにも伝わり、万引きの要注意人物ではないかと思うほどだった。田中書店で万引きが起きたという話は聞いたことがなかったが、書店での万引きがあることは事実だし、田中書店も例外ではないと個人的には思っている。今店主は買い物に行っている。だからこの店を守ることができるのは私しかいないのだ。私はそのお客さんから目を離さず、注意深く観察していた結果が、さっきの感想である。
ずっとみていると、彼が本棚を見ているようで見ていないことに気付く。さらに彼は私のことをちらちらと見てくるため、彼をじっと見ている私と目が何度も合っていた。
あまりに目が合うので、気まずくなった私はそれ以降彼を見ることをやめた。だが、彼が万引きを行わないとも限らないので、彼の方をなるべく見ないようにしながらも、不審な動きがあればすぐに分かるよう、彼の動きに注意することにした。
彼はしばらく店の中をうろうろしているようであったが、そのうちに彼の足音が止んだ。彼は店を出たのだろうか。レジに座っていた私は確認するためぱっと視線を店内に向けると、そこには彼が立っていた。
「うわっ」
お客さんを目の前にして店員が出す声ではない。
「失礼しました。」
驚かされたのは私の方だし、どちらかというと謝ってほしいのは私の方だが、店員としての立場もあるので一応謝罪する。
「あ、すみません。」
彼は申し訳なさそうに謝罪をする。
「何かお探しですか。」
私を驚かせたことに対して謝罪もあったし、そこまで怪しい人ではないのかもしれないと考え直し、書店員としての仕事を全うすることにした。
「あの、本を探してて…」
ためらいながら彼はそう言う。
「何という本でしょうか。」
本を探すため、パソコンの検索ソフトを立ち上げる。田中書店は昔ながらの書店であるが、書店内にどのような本があるのかすぐに分かるようパソコンの力も導入している。さすがにこれがないと、私は仕事にならない。最も店主ならば、そんなものを使わずともどの本が店舗にあるのか分かるのだけれど。
「えっと、本の名前…というか、どんな本かも分からなくて…」
男性は申し訳なさそうに、そして不安そうになりながらゆっくりと答える。
「はい?」
全く理解できない。本の名前が分からないだけならまだ分かる。そういうお客さんも実際にいるからだ。でもそんなお客さんも一応話の内容を若干なりとも知っていたり、間違っていてもなんとなくの本の名前を伝えてくれたりするものだ。そういう情報を元にパソコンの検索ソフトで検索を行う。もしどうしても分からない場合はインターネットで検索をかけることもある。
ただ、全く何も分からないとなるとどうしようもない。私にできることはない。
「すみません。何も分からないと検索のしようもなくて。」
申し訳ないとは思うものの、事実をそのまま伝える。
「何か少しでも分かれば探すことはできるんですが。」
そう伝えると彼はとても悲しそうな顔になった。
「そうなんですね。ここに来れば本が見つかるって聞いていたんですけど。しょうがないですよね。」
そう言って彼は店を出て行こうとした時、ちょうど店主が買い物から戻ってきた。
「貴方が探している本ありますよ。」
店主は両手に荷物をぶら下げながら優しい笑顔で彼にそう言った。
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