3-3
さようなら、月世界。
さようなら、偽りに支配されたセカイ。
心の中でそんな捨て台詞をつぶやきながら、わたしは宇宙船に繋がるブリッジを渡る。
ガラス張りになった通路横の壁から外を見下ろすと、制服に身を包んだお偉いさん方の姿があってブリッジを渡るわたしたちを見つめていた。その背後では、この宇宙船を造り上げた技術スタッフたちが列をなし、どこか感慨深い顔をしながら天に向かって伸びる船の先端を眺めていた。
宇宙船は細長い試験管のような形をしていて、約十メートルにわたる体躯を曇天に向かい起立させている。
これほど巨大な物体を造り上げるにはさぞ苦労があったのだろう。
わたしは視界に映る技術スタッフたちを一瞥し、裏表のない賛辞を内心で贈った。これから暫しの間、わたしの命を守ってくれるこの機体に、最新技術の塊だからなんたら~なんて普段言っている小言は不要だろうと思ったのだ。何事も割り切りは大切ってこと。
さて、しっかりわたしを地球まで送り届けてよ。──そう願いながらわたしは宇宙船の内部へと入っていく。
宇宙船の中身は思ったよりも整然としていた。
細長い長方形型に区切られたスペースに、二列ずつの座席があり、席同士の間は隣り合うメンバーが互いに両手を広げてもぶつからないほどに余裕がある。座席の背もたれはリクラニング式になっていて、長期的に寛ぐ際にも苦痛にならないように配慮されているようだ。座席の前方には何やら複雑な機械群と数十種類の電子機器やモニターが並んでいるが、それらは緊急用にのみ扱うマニュアル操作時のコントローラーで、実際にわたしたちが触る可能性はほとんどないという。
シートは全部で八つある。
それはわたしたち「ルナ・フォース」の地球派遣隊員の数であり、わたしはその中のナンバー8、つまり八人目の隊員だ。
わたしは自分以外の七人のメンバーについてあまり詳しくはない。
なぜって、どうやらわたし以外の今作戦のメンバーはかなり以前から決まっていて、一年以上にわたる訓練を事前に受けていたらしいから。その中でわたしが急遽こうして派遣されたのは、ただ単に元々いたメンバーの一人が急病を患ったために欠員が出てしまったという理由のために他ならない。
わたしにとっては望外のラッキーだった。けど、欠員がでた当初のラクーナ所長の気苦労は如何ほどだったのか気にかかる。なにせ、月世界で秘密になっている「男」という存在を求めるこの任務に、まっとうな求人なんて出せるわけもないのだ。いまいるメンバーはいずれも独自に月世界のブラックボックスたる「男」の存在をつきとめて隊員に志願した者ばかりで、逆に言えば、自身で勝手にセカイの秘密を嗅ぎつけたはみだし者にしか「ルナ・フォース」の門は開いていないと言える。
これは極度な管理洗脳社会を築いてきた月世界の弊害だろうと思わずにいられない。
次世代の子種を集めるという重大な、この月世界の未来を繋ぐ任務を遂行する部隊が人材難にある。それもこのセカイの政府が、自ら人の本当の起源を禁忌にしたことによって。──
おかげで月の住人たちはいまでも、赤ん坊は工場で何らかの物質を化合して造り上げられるものだと信じている。人間という種の第一段階である受精卵という概念も知らず、精子や卵子、男という存在を想像すらできなくさせたせいで、孵化センターに送る材料の収集に万全の体制をとれないでいる。
まったくお笑い草だ。
かつての月世界の基盤を築いた賢人たちは、未来のいつの日か、自らが定めた禁忌によって人間の種の供給ラインが止まる──まではいかなくても、興業として非常に狭まってしまう可能性に気が付かなかったのだろうか。……
もっとも、真実を知る人間がごく少数になったことで、喜ぶ人間もいた。
数日前にようやく面通しした他のメンバーたちは、みんながこの月世界の未来──生命の誕生プロセスを、その一番重要な部分を、他の誰でもない自分たちだけが知っていて、守れることに誇りを持っているようだった。
わたしはそんな彼女たちの感情を出会った最初の一目で見抜いてしまった。
誇りを持つ。それ自体悪いことではない。でも彼女たちの誇りは、自分以外の他人に向けた優越感に過ぎない。
そんなんじゃダメなんだ。とわたしは思う。
わたしとミリアが求めていたものは他人ではなく、自分に誇れる生き方だったはず。
はじめに自分ありき。……
よくミリアは言っていた。
そういった主体の考え方がミリアが持つ、そしてそれをトレースしたわたしが持つ共通の思想だった。
だから正直に言うとショックだった。
想像していた「ルナ・フォース」の面々は、記憶の中にある破天荒な少女と同種の、人間の真なる自由と個性を求めている人種だと思っていたから。あの懐かしい少女の、他人には理解され難いイデアと同じものを内包した人たちだと。……
「なんだか緊張しちゃうね」
そういうわけで、わたしはこの時、自分に向けて発せられたであろうその言葉を完全に無視していた。他のメンバーと慣れ合うつもりはなかったのだ。
席に着席するなり聞こえた声はふんわりと幼さを感じさせるもので、わたしはもちろんその声に気づいていたけど、返事なんて返す気もなくつんと澄ました顔で前だけを見ていた。「あなたたちと仲良くする気はないから放っておいて」、なんて丁重な断りをいれるのも面倒そうに無言の拒絶を示す。
でも彼女はわたしの目をみて微かにはにかんだ。
「あなた、レイカ・ハインラインさんだっけ? こうして話すのは初めてだね。所長から聞いてるよ。あなた、トレーニンングでとても優秀な成績をおさめたって……」
わたしは少し面倒に思いながら、
「別に……」
と素っ気ない返事をよこして、孤高を貫こうという自分の意思を教えた。その意思を正しく理解した同僚は、特に嫌な顔をするでもなく、控えめな愛想笑いを浮かべて前に向き直った。
わたしより少し小柄な身体が更に委縮しているように見える。不安げにキョロキョロと首を振っていて、どうにも落ち着きのない女だ。
この人の名前……なんだっけ?
事前に作戦メンバー同士の顔合わせは数回していたけど、どうにもわたしは自分の興味のないことへの関心が薄く、いまだにメンバー全員の名前を覚えきれていない。ただ、仮にも月世界を代表して地球に旅立つ選ばれたメンバーがこうも挙動不審だと少し心配にもなる。
と、そんな心配をよそに、宇宙船の発行時間はあっという間に近づいていく。
「みんな、座席に着いた?」
宇宙船内に乗り込むなりそう確認してきたのは、コーディだった。
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