3-2

「あなたたちには、これから約二時間後に地球へと向かってもらいます。これは、わたしたち月世界人にとって非常に重大な英雄的任務です」


 ラクーナ所長はそう言って声を張り上げる。その声に普段の冷静沈着な所長にはない熱がこもっている気がするのは勘違いだろうか。いや、違うのだろう。……なにせ、今回わたしたちが行う任務は、彼女曰く、英雄の仕事らしいのだから。それを指揮する所長に少なからず高揚感が見え隠れするのもうなずける。

 会議室に集められた数十人の女性たちは、それぞれが神妙そうな顔になってうなずき、ラクーナの声に同調していた。テーブルについている女性たちは、いずれも少し歳をくっていて、微かに浮かぶほうれい線が貫録を見せつけている。

 この会議に参加している多くの人間が、この月世界である程度の地位をしめた幹部的存在であることは言うまでもない。

 月世界治安維持機構長官、月世界情報管理局局長、上院情報活動監視委員会の議員……etc.……彼女たちの無言の圧力は、それだけ今回の任務が月世界全体にとって、重要な任務であることを示している。


「地球に到着後、あなたたちに与えられた活動時間は五日間となります。これは、地球に駐在する我々月世界の協力員が要請した、月世界帰還用の宇宙船が発射されるまでのタイムリミットです。地球と月世界との関係に摩擦を生じさせないためにも、この制限時間は厳守せねばなりません。帰還用宇宙船への搭乗が一分でも遅れた場合、船は発射されず、次に貴方たちが月世界に帰還できるのは早くて五年後になるのであしからず……」


 こくり、とこの室内において、割かし若めである数人の女性がうなずく。

 彼女たちが身に着けている服装は一様にわたしと同じものだ。

 つまり、例のワカメみたいな最先端宇宙服。伸縮自在で伸ばそうと思えばいくらでも伸び、身に着けると身体にぴったりとフィットして、腰のくびれからお尻の曲線までのラインをはっきりと映し出す。

 不摂生がもろに露出してしまうのは困りものだけど、見渡す限りここに集まった人間たちはみんな自分のボディに余裕ありげな自信家たちばっかりのようだ。わたしの同僚。共に地球を目指すロマンチストたち。……この中では、わたしは一番年齢の若い下っ端だ。


「地球では月世界では考えられない様々な障害が考えられます」


 所長の声が一瞬同僚たちに向いたわたしの目を引き戻す。


「例えば言語。月世界では一つの言語が全人類で流通していますが、地球ではコミュニティごとに異なった言語が使用されています。また文化や教養の面でも我々月世界と地球の間では大きな隔たりがあります。未知の感染症の危険もあるでしょう。しかし、あなたたちはいままで地球に関するあらゆる知識を学んできたはずです。『ルナ・フォース』各隊員諸君には、もたらされた資料をすべて頭に叩き込んだうえで、地球上に生息する『男性』人種から数多の子種を持ち帰ってくることを期待しています」


 イエッサー!

 イエッサー!

 イエッサー!


 黒の全身タイツ宇宙服を着た我が同胞たちが一斉に声を上げる。

 その数八人。月世界約六億人の人口の中から厳選された奇特な人間たち。

 まるで超旧世代における怪盗エージェントのような装束に包まれながら、しかしてその表情は真剣そのもので固唾を呑んでいる。そんな珍妙な人間たち。

 その中の末席に加わるわたしといえば、使命感に燃えて元気な返事を返すでもなく、ただ深沈とした瞳を窓の外に向けていた。

 そんな冷めた態度を取っちゃって、あなただってその一員でしょ?

 そんな風に思った人はごくろーさま。

 だってわたしは、他の人と違うイデアの元にこの場所にやって来たのだから。

 だってわたしは、今回の任務に英雄的なんとか~なんて義務感は持っていなくて、自分勝手なエゴの塊を肥大させた自然人間の意思を持ってこの場所にいるのだから。そういうわけで、わたしはどうにもこの会議室に立ち込めるどこか躍然とした空気感に耐えられず、隠れて溜息を吐いてしまう。

 そして思い出す。

 

 ねえ、知ってる?

 

 いつかのミリアの言葉。……


 このセカイの人間はみんな生まれながらに社会での役割を決めつけられているの。それは人工的に「生産」された工場出身の月世界人にとって宿命ってやつで、みんなは生まれる前から決まった才能を勝手に付属させられて、大人になったらその才能と適正を示す道を進まざる得ないように色んな角度から仕組まれているんだ。教育や広告による潜在洗脳によって。……だからね、みんなが自分の自由意思で進んだと思っている進路にしたって、それは生まれながらに与えられた才能に従った人工の意思でしかないんだ。

 

 そう言ってミリアは寂しそうな顔をしていた。


 わたしたちには親もいる、祖父母もいる、兄弟だっている。けれどね、それは全部、生後に月世界政府から与えられたもので、血の繋がりなんてない偽りのコミュニティでしかないの。わたしたちは生まれながらにその後の人生をお膳立てされている。政府に与えられた家族、政府に与えられた学校、わたしたちは知らず知らずのうちに差し出されるままを享受し、彼女たち──つまり、社会からこのセカイでの生き方を学ぶ。社会に溢れるあらゆる言葉は、わたしたちの「選択」を「仕組み」に変えてしまって、この月世界で都合のいい生き方を意識レベルで調整しているの。わたしたちが「男」という存在を知らないでいたように、様々な嘘によって。……ねえ、そんな社会で育まれた意思がはたして自由意思だって言えると思う? 

 知ってる? 

 地球人はね、平気な顔で街中にゴミをポイ捨て出来るんだよ。それが社会的に、環境的に悪いことだってわかってるのに。でも、出来ちゃう。それは、彼らの意思が社会管理下を完全に離れたパーソナルなものになっている証なの。それが人工でない、自然物としての人間の在り方なんだよ。わたしは、そういったかつての月世界人が持っていた、そして、たぶん地球の人類が持ってるであろう、完全に自然な人間の意思を獲得したい。エゴイズムに満ちた世界で暮らしていたいんだ。──


 そうミリアは言っていた。

 わたしの行動は、発言は、思想は、すべて誰から与えられたものでもなくて、自分自身で創り上げた意思なんだって。普遍的な多くの月世界人が信じる政府の言葉をわたしは信じないって。

 自然人間。つまり、己の本能に忠実で、あらゆるプロパガンダに左右されない確固たるパーソナリティを持った存在。

 ミリアはそれを目指していた。

 そしてより完全なる個性を得るために月世界を去った。その行動理念に政府や家族、そういった共同体の一員であるための義務感はなく、限りなく純度の高いエゴイズムの先兵として。

 そして、いま。あの少女に感化されて子供時代を生き抜いたわたしは、当然の如くあのエゴイズムの魂を受け継ぎ、その後を追う従兵となっている。その事実が、わたしとこの場に集まった多くの人間との違いに他ならない。

 曇りがちな窓に映ったわたしの顔は自分でも驚くほどに穏やかだった。これから宇宙という人の生きていけない空間に飛び込んでいき、英雄的任務を成そうとする人間の顔ではない。

 周りの同僚たちは、少し強張った顔で目に力をこめていて、内心の緊張を隠しきれないでいる。

 それは彼女たちが、自分でも知らずのうちにこの任務に多大な義務感を抱いてるからだ。

 与えられた任務を忠実に果たそうとする意志。……そんな偽物の心をわたしは受け入れたくはない。

 だからわたしは、張り詰めた緊張が漂うこの会議室でたった一人茫乎とした瞳を浮かべている。月世界政府の言いなりになって心まで管理されるのはまっぴらだから。

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