3-1

 旅立ちの日の朝は、普段と同じ、防護スモッグによって曇った空を仰いで始まった。

 

 地球人たちが思い浮かべる宇宙飛行士とはどういった姿をしているのだろう?

 たぶん、それは過去のわたしが僅かな資料を基に完成させたシルエットと同じものなのではないだろうか。……だって、わたしが見てきたいままでの資料──映画、雑誌、漫画、そういったあらゆる媒体──はすべて地球産の製品だと聞いたから。

 

 わたしの知る多くの媒体が示すその姿。それは、ずんぐりとした白くて不格好な着ぶくれした服装に、視界を覆う丸い金魚鉢のようなヘルメットを付けた、物々しくもありどこかひょうきんにも見える格好だ。それがわたしの想像していた宇宙飛行士のイメージ。そしてたぶん、地球人たちが想像していたイメージ。

 けれど目の前の現実はどうやらイメージ通りとはいかないみたいだった。


「これ、どうやって着ればいいのかしら?」


 わたしはついさっき、「月世界治安維持機構」から「ルナ・フォース」各隊員に支給された宇宙服を見て困惑の声を上げた。

 滅菌加工されたパックから取り出し全体像を露にしたそれは、知識のみ頭に入っているワカメという地球上の藻類に似ている。黒くて、細くて、ひらひらして、薄っぺらい。こんなもので、宇宙空間の宇宙線を防御したり気圧や体温の調整まで出来るというのだから驚きに値する。これも技術革新の力なのだろう。

 わたしには何がどうなってどういう原理で、あのずんぐりむっくりした宇宙服がこんな頼りがいのないものに変化したのかは理解できない。けど留まることをしらない技術の進化は、月世界人に馴染みのない宇宙航海の分野にまで当然顔で広がっているということは理解できて、なんだか溜息を吐きたい気分になる。

 未来を夢見るこのセカイを否定したくて旅立とうというのに、肝心のその過程でこんな最先端技術の塊を装着することになるなんて。

 そんな何とも言えない心の軋みを感じながら再び意識を問題の宇宙服に向ける。

 あまりにコンパクトに過ぎる、子供が着るような全身タイツ。

 これ、どう見たって人間の身体が入りそうには見えないけれど。……


「何をぼうっと突っ立てるの」


 わたしが頭を悩ませていると、背後で冷ややかな声がした。

 振り返ると、そこには予想通り冷たい無表情をはりつけたコーディ・マクラーレンの姿が。


「どいてくれるかしら」


 コーディはそう言うと、わたしを押しのけるようにして、棚に納められたワカメ──もとい月世界基準の宇宙服を手に取った。

 そして、ちらりとこちらを一瞥すると、挨拶もせずに更衣室へ去っていく。

 数か月前。あの所長室で始めて出会った日から、あの女はどうやらわたしのことを嫌っているみたいだ。というより、極端に関わることを避けている。それはおそらく、わたしがラクーナ所長との会話の中でミリアの名前を出した時からだと思う。

 あの時、ミリアという固有名称を聞いた瞬間に、それまで無感情を装っていたコーディの仮面が剥がれるのを見た。

 所長が言うにはコーディにとって「刺激が強い」らしいわたしの友人の名前。

 ミリアはいったい彼女に何をしたというのだろうか?

 真実なんて教えてくれそうにないけど、それがどうにも良くないことなのは確かなことに違いない。もっとも、だからといってミリアとの確執をわたしに対してまで持ち込まれたら困るのだけど。……

 わたしは行き場のない溜息を吐きながら、コーディが去っていった扉に続いていく。


「それでは、本任務の最終確認を行います」

 とわたしたちのボス──月世界治安維持機構特殊作戦部隊「ルナ・フォース」所長、ラクーナ・ティプトリーは言った。

 月米アメリカ・ルナ都主要行政区画から少し離れた月日都ジャパン・ルナというサバービア、その人々から隔離された技術者の街で、わたしたち「ルナ・フォース」の隊員たちは、最後のブリーフィングに入り、上官たちから最終確認であり有難い訓示を授かっている。

 

 月日都に到着したのは今日の朝だった。

 その後、所長たち主催の会議まで時間があったから、小一時間ほど観光がてら街の中をぶらぶらしてみたけれど、特筆して真新しいものはなかった。この街は初めてではなく前に何度か来たことがあって、その風景は以前となんら変わっていない。街中総出で最先端技術を開発するための下請け工場が乱立している様はいつ見ても不変で、この月世界では異質だった。

 工場という性質上、空調設備や資材搬入の手間を考えるとそれほど高階層な建物を建てることに妙味はない。だから、この街が醸し出す景観といえば、月世界では数世代離れたノスタルジックなものになってしまうのだ。

 頭の低い灰色の工場たち。そこから少し離れればこれまた背の低い(おそらく工場勤務員たちの宿舎である)アパートメント群。

 そんな景観が続く街。

 なかなかどうして味のある街造りだな、とわたしは思う。

 だけど、多くの月世界人はこの街を、素敵な故郷! なんて風には思わないのだろう。思うとすれば、何てしみったれた珍妙な街、と小馬鹿にするのだろう。

 そんな時代遅れの街並みをしているこの月日都が、実は月世界で唯一のロケット打ち上げ場であることを知る人間は少ない。おそらく、実際にこの街に住んでいる人間ですら、その事実を知りはしないのだろう。

 そう、わたしたちは、この街にロケットを打ち上げに来たのだ。

 正確に言えばロケットを付属する宇宙船を。──

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