2-3
「月世界治安維持機構、その下部組織として特殊案件の任務を任されている。特殊案件とは、月世界政府が定めた五か条の機密に触れる可能性のある事件などのこと。『ルナ・フォース』ではその中でも一際機密度の高い仕事、我らが隣国『地球』における次世代の子種の収集を主な任務としている……」
ミリアがわたしに教えてくれた人間の真実。人は本来工場なんかで生まれるものじゃないって……じゃあ本当はどうやって人間は、わたしは、生まれるべきだったのかって疑問。その答えをわたしは知っている。子供のころミリアに聞いた断片的な情報、それを元に大学に入ってっから様々な資料を漁って。
「そう、わたしたちの任務は概ねあなたが言った通り。『男』については大学で?」
ラクーナの質問にわたしは軽く首を振った。
「それもありますが、基礎的な情報は友人から」
わたしがそう答えると、ラクーナは顔を曇らせ、
「その友人、あまりよろしくないわね。わたしたちの仕事の根底にある『男』の存在、それは一般人が知れるようなものじゃないし、知ってる者はそれを秘匿するように言いつけられるはずよ。友人の名前は?」
「…………」
「言いたくないのかしら。お友達をかばってる? 安心しなさい、結果的にそのお友達の軽口があなたという稀有な人材を生んだのです。いまさら責める気はないわ、これはただの好奇心」
ラクーナの言葉は真実だろうか?
わたしがここでミリアの名前を出したら、この所長の権限でいまは遠い所にいるはずのあの娘に危害が及ぶことはないだろうか?
わたしは暫し考えて、答えた。
「ミリア・ブラッドベリ。数年前にこのこの組織に入隊しているはずです」
どのみち、ちょっと調べればわたしとミリアの繋がりなんて簡単にわかるはずだ。隠したってそれほど意味はないだろう。
「ミリア……」
ただ、その回答に反応したのは意外にもラクーナではなかった。
ラクーナ所長の隣で、さっきまで鉄仮面のような無表情を装っていたコーディ。彼女が始めてその表情を変化させていた。
怒っている? それとも悲しんでいる? それとも……
複雑な心情を示すような動きをコーディの表情筋が造り出している。眉間に皺を寄せ、歯を食いしばり、青い瞳を俄かに開いて。
「あの……」
何だか居たたまれなくなって声をかけた。
「ごめんなさいね」
しかしわたしの声にこたえたのは、微かに指を震わす人形のような美女ではなくて、微笑みという仮面をはめた老獪な所長だった。
「ミリア・ブラッドベリ……その名前はコーディにはちょっと刺激が強すぎるの。……それにしても、なるほどね。あなたがミリアの言っていたお友達ってわけ」
「所長は、わたしのことを……」
「よく知っているわ。ミリアから聞いてる。彼女はとても優秀な娘だった、そして、その彼女が言っていたの。そう遠くないうちに、わたしの友達がこの『ルナ・フォース』の扉を叩くはずだって。その時はよろしくと」
「彼女はいまどこに?」
「愚問ね。この組織に入隊したメンバーが向かう場所といえば一つよ」
たしかに。
これは愚問だったな。とわたしは認め、ふっと笑った。「ルナ・フォース」の仕事はさっき言った通り、わたしたちが向かう先はこの空の向こう側、地球だけだ。
そう、人間たちの故郷。わたしたちにとっての本当のシャングリラ。
一緒に地球へ。……ミリアとの約束は守れなかったけど、彼女はいまでもわたしのことを待っていてくれているだろうか?
「わたしは、いつ地球へ?」
ミリアという共通の知人、その懐かしい人物の話題を前にして、ついはやる気持ちになって訊てしまった。すると、ラクーナ所長は冷静に、余裕のある微笑みでわたしの質問を受ける。
「焦りは禁物よ。あなたはまだ学生の身分なのだし……もっとも、わたしの組織に入隊した以上学生の身分は卒業してもらうけど。それになにより、あなたにはこれからこの施設の中で学習してもらうことがたくさんあるの。地球についての基礎情報。宇宙船の搭乗マニュアル。宇宙航海をするための体力づくり……いろいろやることはあるわ。休んでる暇はないと思ってね」
「望むところです」
わたしはそう即答して机の下で握った拳に力をこめる。
目前に迫った約束の地への旅立ちに、心が知らずのうちに熱を帯びていくのがわかるのだ。どうやら、所長の言いようによると、今後わたしは大学を強制的に退学させられ、この前時代的な建物に缶詰め状態で学習させられるらしいけど、そんな苦行がどうでもよくなるくらいにはわたしの胸の中に未来への希望が溢れている。
望むところよ。
待っていてね、ミリア。
わたしを縛り付ける月世界のいろいろから、もうじきわたしは旅立つ。
その先にある「地球」──資料でしか見たことのないその幻想的な青い姿を思い浮かべて、自由な羽をはやし天使のように飛び回るミリアを妄想する。その隣にはいまは誰もいない。けれど、もうじき、彼女の隣にはわたしが並ぶことになるだろう。なにせ、ミリアを一人っきりでほっておくのはなんだか危なっかしいし、わたしはあの娘が見出す新たなセカイでの思想を一番近くで見ていたいし。
「レイカ・ハインラインさん」
不意に発せられたラクーナ所長の声が、わたしの意識を現実へと引き戻した。
「とにもかくにも、これからよろしくね。あなたを歓迎するわ」
ラクーナはそう言って手を差し伸べる。
わたしは躊躇うことなくその手を握り返し、社交辞令じみた笑顔を浮かべる。
そして、その日から数か月の時間が経ち、わたしは始めてこの「ルナ・フォース」への出頭が決まった時と同じ、あの無機質なテレパシーの声によって新たな切符の発行が認可されたことを知らされる。
目的地は言わずもがなだ。
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