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「ねえ、知ってる?」

 

 そんな彼女がある日ささやいてきた。

 誰もいなくなった教室の真ん中で、机を乗りだしいつものようにわたしの指に自分の指を絡めて、耳元に冷たい吐息を吹きかけながら、


「人間がどうやって生まれるのか、知ってる?」

「え? そんなの決まってるでしょ……」


  唐突に始まるミリアのクエスチョン。

 その返答に、わたしの頭が追い付かないことは多々あった。けれど、その日の彼女の質問は単純で、普通に生きてきて十何年も社会に触れていれば誰だって答えられるものだった。ミリアがぶつけてくる質問としては面白みがない。外に出て他人とコミュニケーションをとるのが怖いって引きこもりでもない限り、そんな質問の答えは誰にだってすぐわかるものだ。


「そんなの……瓶から生まれるに決まってるでしょ? 孵化ふかセンターの工場で色んなタレントを付与されて……」

 

 わたしは直ぐに答えた。

 ちょっと自慢げに、いつもは難解で答えに窮することもしばしばあるミリアとの会話に、反射的に冴えた答えを返せたことが嬉しかったから。

 でも、わたしの答えを聞いたミリアは、ううん、と首を振ってちょっと落胆したような表情を浮かべていた。

 そんな彼女の態度にちょっとむかっときたわたしは、唇を尖らせて言ったんだ。


「うそ。授業で習ったでしょ。それに小学校の時に社会見学にも行ったし。ミリアは行かなかったの?」

「行ったよ。月米都アメリカ・ルナ、ヒト科生物孵化センター。……あんまり面白くはなかったかな」

「じゃあ……」


 なんでわたしの答えは間違ってるの?

 どうやら、まだ子供だったこの日のわたしは、思っていることがとってもわかりやすく顔に出ていたみたいで。……

 声に出さないわたしの疑問に対して、ミリアは小さな微笑みを浮かべて銀色の髪を身体ごと揺らしていた。

 クスクスと、ゆらゆらと。

 ミリアの白い肌はわたしと同じ月世界人特有のもので、光沢のある銀髪もわたしと同じ。けれど同年代の子供たちより一回り小さい華奢な身体つきをしたミリアの容姿は、月の精みたいに可憐で儚い。


「レイは映画を見ることはある?」


 クスクスとしばらく小さな吐息を漏らしながら、一通り言葉なくわたしをからかったミリアは突然そんな質問をぶつけてくる。

 もちろん映画くらい見たことはあるけど、それがいまの会話とどう関連するというのだろう? 

 最近巷で流行の映画なんて、子供じみたラブストーリーばっかりで、そんなものが子供の生まれ方と結びつくとは思えない。それとも、女の子が二人集まって、互いに手を握り合ったりキスをしたりしたら新し命が生まれるとでもいうのだろうか?

 ミリアと話していて、こんな風に話題が微妙にズレていくことは珍しくない。

 クラスメイトから天才扱いされるこの少女の頭の回転は、ちょっと普通の人には追い付けないほどに早いから。それにミリアは趣味の読書の成果で知識も豊富だから、あらゆる情報を自分の中の知識と瞬時にリンクさせて話を飛躍させてしまうといった癖がある。そんな彼女との会話では話の核を見極めることが非常に困難になることが多いのだ。


「むかし、むかし。まだこの月世界にもいろんな娯楽あったころはね……」


 ミリアはそう言って教室の窓の外、遠い空に目を向けた。そこにあるのは先が不鮮明な灰色の空。宇宙からやって来る放射線やらなんやらを防いでくれる、防護スモッグの広がる空。


「そのころのセカイは、きっといまのこのセカイみたいに愚かではなかった。少なくとも、いまより二百年も昔の人たちは、人間が本当はどうやって子供を産むのかちゃんとわかっていたはず。人間が工場の中で瓶詰めされて生まれてくるなんて、鼻でわらって馬鹿にしてくれたはずなんだ」

「わからないよ、ミリア。あなたの話はいつも急に飛ぶんだから……」


 ミリアの言葉、それは模糊もことした霧のように核心が掴みにくく、そして時に凍ったナイフのように鋭い切れ味を持っている。いまのセカイが愚かだなんて、そんな大胆なこと、他に誰もいないとはいえ教室の真ん中で言っちゃうなんて。……

 わたしが秘かに視線を彷徨わせて教室に誰もいないことを確認している前で、公共の場所でセカイに対する不満を述べるミリアは堂々としていた。


「ふふっ、そうかな?」


 ミリアはそう言って黒真珠のような光彩を放つ黒瞳をわたしの目に向け、


「わたしの話、わかりにくい?」

「うん、たまに、ね」

「そう、ごめんねレイ」


 そう言って謝るものの、きっとこの子は変わらないだろう。

 でも、それがいいのかも。確固とした心を持ってるからこそ、ミリアは他の平凡なクラスメイトたちと違って輝いている。


「で、映画の話だけど」

「うん」

「わたしが言ってるのはいまの映画じゃなくって、むかしの映画のことなんだ。そこにはね、いまの月世界では放映できないような過激な演出がいっぱいあって、人間たちの、本当の姿が映っていたんだ」


 とミリアは瞳を輝かせながら、うっとりとした表情で語り始めた。

 彼女が少し得意気になる瞬間。いま、彼女は幼い精神に還って、純粋に自慢の知識を披露して褒めてほしいという欲求に支配されている。

 うん、それで?

 わたしは続きを催促した。幼子のように顔を綻ばせるミリアの顔を見たら、わたしは従僕な聞き手になるしかない。


「わたしの観た映画──といってもタイトルはなかったんだけどね、それは法的検閲制限のかかった数百年も前に製作されたものだったんだ。その内容が衝撃的で、わたし思ったんだ、ああ、わたしが社会に感じていた違和感はこういうことだったんだ、って」

「どういうこと?」

「この社会は、わたしたちに嘘をついてるってこと」

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