丘の家(3)

 獣道を辿たどって、マサトは雑木ぞうきの生えた丘の斜面を登った。

 実際に登ってみると、案外、頂上までの道のりは長かった。

 息を切らせながら、どうにか『幽霊屋敷』の真下まで来た。

 丘の下からは木々が邪魔で分からなかったが、ほぼ垂直に積み上げられた石垣の上に屋敷は建っていた。

「こりゃ、こちら側から頂上に登るのは無理だな……それにこっちは屋敷の裏側みたいだし……玄関があるとしたら反対側か……」マサトは、屋敷の窓を見上げながら独りごちた。

 獣道は石垣を迂回するような形で、丘の上まで続いていた。

 さらに斜面を登る。

 登り切ると、半径二十メートルほどの開けた平らな土地が現れた。雑木に覆われた斜面部とは対照的に、頂上部に木は一本も無く、地面は大小の砕石で埋め尽くされていた。

 そのガレ場のような小さな平地ひらちの一方の端に、その古い西洋屋敷はあった。

「明治時代の貴族の別荘って、感じだな……ま、そんな訳ないけど」

 思った通り、こちら側が屋敷の正面だった。

 玄関がある……扉が、開いていた。

 傾いた初夏の日差しの下、全開になった玄関口の奥は真っ黒で何も見えない。

(玄関を開けっぱなしで……中に誰かいるんだろうか……)

 とてもそんな風には見えないが、この丘の上のガレ場は『庭』……屋敷に付随する敷地の一部である可能性が高い。この西洋屋敷に人が住んでいるとすれば、ガレ場の中にいるだけで不法侵入者として通報されるかもしれない。

 窓際に立っていた『眼帯の女』の姿をもう一度見たい一心で、後先あとさき考えずに勢いでここまで登ってきたものの、いざ小高い丘のいただきの端に立つと、屋敷にこれ以上近づくことに躊躇ためらいを覚えた。不審者扱いされたくない。

(くそっ……あの屋敷を訪れる口実があれば良いんだけど……)

 仕方がない、今日のところは引き返すか……そう思って、登ってきた獣道を逆に降りて帰ろうと屋敷に背を向けた時……

「……助けて……」

 弱々しい女の声だった。

 マサトの心臓がドキリッと大きく鳴った。

「助けて……」

 もう一度……弱々しく……しかしハッキリと、女の声が聞こえた。

 振り返って、屋敷を見た。

 あの、開け放たれた玄関の向こう……日差しの届かない家の中、暗闇の中に……

(し、しかも、『助けて』……って……お、俺に、言ったんだよな? お、俺に助けを、求めているんだよな?)

 無意識に、マサトの足は、丘の上のガレ場を踏んで、一歩一歩、西洋屋敷に向かっていた。

 気がついたら、いつの間にか、屋敷の玄関口の正面に立っていた。

 遠くからは黒く塗りつぶしたようにしか見えなかった扉の向こう側が、良く見える。

 確かに『女』が居た……いや……女というよりは『少女』か……地元の高校の制服を着ている。

 開け放たれた扉の向こう側は、小さな玄関ホールだった。

 そのホールの真ん中に格子状の台があり、少女はその台の上に立っていた。気のせいか、台は小刻みに震えているように見えた。

 台の横には倒れた椅子が一脚。

 少女の首には、白く太いロープが巻きついていた。

 ロープは少女のうなじから天井に伸びていた。 

「助けて」

 少女が言った。

 細く、かすれた声だった。

 黒く大きく潤んだ少女の瞳がマサトを見ていた。

 マサトは一歩、西洋屋敷の玄関に近づいた。

 よく見ると、少女が乗っている格子状の台は、積み木で出来ていた。

 少しの衝撃で崩れてしまいそうだった。

 まさか、と思い、さらに玄関口に近づいて、ほとんど玄関扉すれすれの所から家の中をのぞいた。

 思った通りだった。

 少女の首に巻きついたロープは、玄関ホールの天井の梁から下がっていた。

 積み木の台が崩れたら、全体重が首のロープに掛かって彼女は死んでしまう。

 両手は体の後ろで拘束されていて動かせないようだ。

 台の一番下の部分は、正方形に並んだ四本の縦長の木で支えられていて、これが『脚』の役割を担っているのだが、その四本の脚それぞれが、ひとつずつ小さな動物のヌイグルミを踏んでいた。そのせいで積み木の台は常に不安定な状態に置かれていた。

 なぜ、こんな所に女子高校生がいるのか? なぜ、積み木の台の上に乗せられているのか? なぜ天井から垂れたロープが少女の首に巻きついているのか?

 何が何だか分からないけど、とにかく一刻も早く少女を助けなきゃいけない、と、マサトは思った。いつ積み木が崩れてロープが少女の首を吊ってしまうか分からない。

 マサトは台の横に転がっている椅子に視線を移した。ちょうど積み木の台と同じくらいの高さに見える。

 不安定な積み木の代わりに椅子を踏み台にすれば、とりあえず少女を首吊りの危険から守れそうだった。

「い、今すぐ助けます、もう少しだけ耐えて……」マサトは、無我夢中で屋敷の中に飛び込み、椅子を持った。

 ……瞬間……

 今まで開け放されていた玄関の扉が「バタンッ」と大きな音を立てて閉まった。薄暗い屋敷の中が、さら暗くなった。

「かかったな……」

 誰かが言った。

 見上げると、積み木の上に乗り、首にロープを巻いた少女が、マサトを見つめていた。

 冷たい目だった。

「え?」

 少女の豹変ぶりに呆然としていると、突然、彼女の足元の積み木がガラガラと崩れた。

 少女の体がガクンッと落ち、天井から下がった白いロープがピンッと張って少女の首を吊った。

 首を吊られたまま、少女がニィィっと笑った。

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