ミワちゃんの呪い


「『ワタシ、ミワチャンヨ。

 コンニチハ』」


 ほとりがそう呟くように言うと、繭は

「え?」

と訊き返してきた。


「繭には彼女の声が聞こえないし、姿が見えてない。

 だから、ミワは実体のある人形を動かしてたのね」


 そう言うと、繭は、

「あの女さ、これを鞄につけて歩いてたんだよ」

と人形を突き出して言う。


「マスコットにしちゃ大き過ぎるでしょーって言ってたんだけどね。

 自分に似てるからって」


 その繭の口調は、当時、ミワと話していたときのものだろうと思われた。


 まだ少年らしさの残る高校生の繭の姿が頭に浮かんだ。


 ミワと出会いさえしなければ、きっと今も街で楽しくやっていて、こんなところには来ていない。


「首にチェーン付けてぶら下げてて、それじゃ、首吊りですよって」

とその一体を投げて寄越し、押入れの中の一番大きなダンボールを引っ繰り返す。


 残りのミワが畳の上に転がり出してくる。


 すべて全裸で、首には赤い筋があった。


 ミワは恐らく、身許が割れないよう、全裸にされて、捨てられたのだ。


「届いたあと、いつの間にか、こうなってんだよね」


 これも僕がやってんのかな、と繭は言う。


「あの女、予知能力でもあったのかな。

 結局、自分も人形と同じようになって、殺された――」


 やはり、あの蔵で見た映像は本当に殺したときの状況そのままなのだろう。


 ただ、殺している人間が違うだけで。


 美和は、ミワ殺しの罪をおのれが被ろうとして、あの映像を残像として、みんなに見せようとしていた。


 霊が見えるものなど、そう居ないだろうに、必死に。


「木を隠すなら、森の中。

 呪いを隠すなら呪いの中に――。


 貴方のおばあさまは、歩き回るミワの呪いを多くの呪いの中に埋もれさせ、目立たないようにしたのよ。


 それを見てもみんな、ああ、また美和さんが預かってるものが霊障を起こしてる、としか思わないから」


 だから、美和がいわくつきの品々を集め始めたのは、おそらく、事件のあとなのだろう。


「美和さんは、環に決して、蔵にあるものの呪いを解いたり、成仏させたりしないように頼んでいたらしいの」


 そう言うと、繭は笑う。


「じゃあ、ほとりさんが嫁に来てよかったよね。


 蔵の中のものが活性化して外まで出てきたり、呪いの箱が増えたりさ」


 まあ、僕もあの中のもの増やしてるけどね、と視線を落として繭は言った。


「耐え切れなくなったり、新しいのが来て、溜まっていったら、ミワをつづらに入れては、蔵に埋めに行くんだ。


 最近さ、ミワが届くの早くて……。


 なんでだろうね」

と繭はこちらを見た。





「最初にミワに会ったとき、言ったんだよね。

 あ、うちのおばあちゃんと同じ名前ですねって」


 まさか、自分の運命を変える出会いになるなどとは、そのときの繭は思ってもみなかっただろう。


 過去の自分を思い出しながら、畳の上に大量に転がるミワを見ていた繭が顔を上げ、


「ねえ、ほとりさん、キスしてみる?」

と言ってきた。


「いやよ。

 未來みたいにミワちゃんに用水路に突き落とされたらどうするのよ」


「……それ、用水路には自分で落ちたんじゃなかったっけ?」

と繭が言ってくる。


 まあ、確かに……。


 未來が水浸しになったのは、自分のせいだが。


 運転中、いきなり、助手席にあんな人形が乗っていたら、驚いて事故を起こす確率は高いだろう。


 もしかしたら、死んでいたかもしれないが、ミワちゃんがそこまで考えていたかはわからない。


 生きていたときから、あまり深い考えのなさそうな人だからだ。


 いや、深い考えもなく、殺されては、未來も浮かばれなかっただろうが――。


「ミワちゃんは、繭にちょっかいかけた未來を、ちょっと脅かしてやろうと思っただけなんでしょうけどね」

とほとりが言うと、


「なにそれ」

と笑った繭は、


「僕が誰かとくっついて幸せになったりしないように呪ってるわけ?」

と訊いてくる。


「違うわ。

 ミワは貴方を好きだからよ」


「……誰がだよ」

と生前のミワにひどい目にあわされたのだろう繭は吐き捨てるように言ってきた。


「死んでからの話よ」

 目を閉じ、ほとりはそう言った。


「ミワさんは確かに、繭を呪ってた。

 ちょろい相手だと思ってたあんたに殺されて、ずっと恨んでた。


 好きになったのは、きっと、随分とあとのこと――」


 あの霊は、おそらく、繭を呪い、彼に憑いている間に、繭の孤独を垣間見、惹かれていったのだ。


 ミワは繭が死ぬまで、まとわりつき、彼を想うが故に、呪うだろう。


 彼を、そして、彼に不用意に近づいた女たちを。


「繭が女性と距離を置いているのは正解かもね。

 繭にちょっとこびを売っただけで、未來は殺されかけたわけだから」


 此処にたむろしていてる女子高生たちは、繭が最初から相手にしていないとわかっているから、手出ししたりしないのだろう。


 彼女らは集団で動いているだけだから。


 ひとりで繭に近づく行動力がありそうで、繭の愛した街の匂いのする未來だからこそ、ミワは疎んだのに違いない。


「へえ。じゃあ、ほとりさんはなんで殺されないの?」

 そんなことを繭は訊いてくる。


「僕が今、最も心を動かしてる人なのに」


 いや、そんな、なんの感慨もなさそうに、ひょいっと言われても、ほんとうだとは思えないんですけどね、と思いながらも、ほとりは言った。


「それはあの……私が――」


 だが、その先を口に出すのは、まだ抵抗があり、黙り込んでしまった。


 すると、繭が軽く笑って言ってくる。


「環が好きだからだよね。

 そりゃ、ムカつく話だね」


 ミワを殺したときより、今の方が殺意が湧いたよ、と。


「なんでだろうね。

 男って、こういうとき、環をとは思わないんだよね。


 今、ほとりさんの方を殺したいと思ったよ。


 僕は、殺したら自分のものになるなんて思うタイプじゃないんだけどね。

 ほとりさんの視界に、他の男が入るのが気に入らないというか。


 男の方が女より遥かに独占欲が強いのかもね」


 笑って言うな……と思いながら聞いていた。


 殺されてなお、ダンボールや箪笥に詰められ続けるミワを見ながら、ほとりは言った。


「繭、ミワさんは今はただ、こう思ってる――。


 もし、やり直せるなら、普通に貴方に会いに来たかったって。


 そして、今、孫の罪を背負うため、自分を殺し続けている美和さんに向かって言うのよ。


『コンニチハ ワタシ、ミワチャンヨ』

 ってね」


「……ひどい挨拶だね」


 それが、初対面の人間に向かって言うセリフ?


 そう言いながらも、それが常識から外れた場所で生きてきたミワの精一杯なのだと彼には、わかっているようだった。


 繭はふいに顔を歪めた。


 今にも泣き出しそうに。


 繭は本当は人を殺して平気な人間などではない。


 それが正義なのだと信じなければ、実行できなかっただろうし、そのあと、正気を保っていられるわけもなかった。


 願うことで、過去が書き変わればいいと思っているのは、ミワだけではない。


「コンニチハ ワタシ、ミワチャンヨ。


 繭サンノ オトモダチ デス。


 オバアサン、ドウゾ、ヨロシク――。


 本当はそう言いたかったんじゃない?」


「……遅いよ」


 俯き、繭は、ぼそりとそう言った。


 そんな繭を見ながら、ほとりは口を開く。


「うちのミワちゃんはよく見ると、薄汚れてるから。


 たぶん、あれはミワがぶら下げて歩いてたっていうオリジナルのミワちゃんなんでしょうね」


 だから、次の身体には乗り移らずに、未来に放り投げられたあとも、ボロボロになってでもあの身体で戻ってきたのだ。


「でも、その挨拶するミワ、僕が行ったときには、不思議と出ないんだよね。

 噂には聞くけど」


「たぶんだけど。

 恥ずかしいからじゃない?


 あんたの前でそれをやるのが。


 でも、いつもあんたを見てる――」


 その証拠に、心配してか。

 磯部の家まで隠れてついて来たらしいミワは、子どもたちに目撃されている。


 だが、

「あのミワが恥ずかしいとか」

と繭は吐き捨てるように言い、苦笑する。


 死んだミワではなく、生きた繭の中の時間の方が長く止まってしまっているようだった。


「ねえ、ほとりさん。


 僕、自首なんてしないよ。

 そしたら、僕が間違っていたことになってしまうじゃない」


 そう言う繭の覚悟に、ほとりは言った。


「いいんじゃない?」


 いいんじゃない? と訊き返そうとするかのような顔で、繭はこちらを見た。


「そんな人間、たくさん居るわよ。

 自分は間違ってないと思い、悪人を殺した罪を隠蔽する。


 ただ……名乗り出ない人間の方が辛いとは思うんだけどね。


 一生、その罪を自分だけで背負っていくわけだから」


 罪を償ったところで、なにも戻ってはこない。


 殺された人の命も、殺した人の人生も。


 でも、償ったということで、少し楽になる部分もあるのではないかと思うが。


「まあ、いいわ。

 そこはいずれ、自分で結論出してよ」

と立ち上がったほとりは、


「そんなことより、四億は何処?」


 そこに載せろ、というように、ほとりは繭に向かい、手のひらを差し出す。


「いや、そんなことよりってね……」

と繭は苦笑いしていた。





「僕、死体に関しては、すごいトラウマがあったんだけどね」


 帰り際、繭は、そんな話を始めた。


 いや、それは、誰でもあるだろ、とほとりが思っていると、


「でも、ほとりさんと居たからさ。

 冷蔵庫から死体見つけたときも、わめき出さずに耐えられたんだよ。


 ほとりさんが触らなくてもいいように、自分が死体を抱き上げて戻せたしね」


 ひとつ苦手が克服できたよ、と言い出す。


 いや、その苦手は別に克服しなくてもよかったんでは、と思いながら、見送ってくれるという彼と一緒に外に出た。


 すると、ちょうど、登校中の小学生たちが、道向かいの歩道に見えた。


 繭と二人、なんとなく、それを眺める。


「みんな、小さいときは、あんなに無邪気で可愛いのにね。

 この中からも、いずれ、犯罪者や悪人が――」


「ほとりさん、決めつけないでよ」

と繭は苦笑するが。


 いや、繭も環も昔はあの中に居たはずだ。


 その頃は、自分に、こんな未来が訪れることなど想像もしないで。


 繭も今、じっと小学生の列を見ていたから、同じことを考えていたのではないかと思うのだが。


「でもまあ、確かに。

 こんな狭い町の同じクラスから、犯罪者が二人も出るのもどうかと思うけどね。


 それも、殺人犯と横領犯。


 ねえ、環」

と去りゆく小学生を見たまま、繭は呼びかける。


 誰が横領犯だ、という顔で、店と店の間の狭い路地から環が現れた。


 環が心配して潜んでいることを繭は知っていたのだろう。


 だから、キスなんてしてくるはずもなかったのだ。


 小学生たちが去ったあと、繭は、うーん、と伸びをする。


「あー、今日もいい天気だね。

 さあ、もう開店準備するから帰ってよ」


「……普通に開店するのか」


 さっきの告白のあとで? と環は言っていたが、いや、繭がそんなこと気にするような神経の持ち主なら、とっくの昔に自首している。


 繭が自首しないのは、きっと、彼を犯罪者にしたくない美和さんのためだ。


 美和さんがあそこで、罪を被ろうと、必死に殺人を繰り返していることなど知らなくとも、繭には彼女の思いが伝わっていただろうから。


 なんでこうなっちゃうのかな、とほとりは思う。


 真っ当に生きていたはずの人が、何故、こんなことになってしまうのか。


 繭はただ、大事な人たちを守りたかっただけなのに。


 ……そして、殺人犯であったとしても、そんな繭の方が遥かにマシだと思ってしまう相手が此処に居るんだが、とほとりは環を見上げた。


 この人は、罪を犯しても、ほんっとうに気にしてないようだ。


 相手が悪いと本気で思っているからか、自分が犯罪者だという意識がない。


 こういう人間が一番怖い気がするんだが……。

 なんだ? と自分を見下ろしたあとで、環は、


「繭、四億引き上げるためのレッカー台払えよ」

と繭に言っている。


「なに言ってんだよっ。

 本気で引き上げるのっ?


 死体乗ってんだよ? 正気?

 業者の人に、これ、なんですかって言われるよっ」


 いや、これなんですかじゃ済まないと思うけど……と思いながら、ほとりは店内を振り返った。


 連れてきたはずのノブナガ様が居ないからだ。


「っていうか、あれも沈めなよ。

 冷蔵庫のヤツ~」


「そしたら、今、冷蔵庫の裏に居る男が、今度は、ため池の底で膝を抱えるだろ」


 可哀想じゃないか、と環は言う。


「何処で抱えても同じだよっ」

というしょうもない会話をしている二人の声を聞きながら、目だけで探していたのだが。


 ああ、居た居た、とほとりは古いガラスの戸に近づき、中を覗く。


 その場に馴染んでいたので、目の前を通っても気づかなかったのだが。


 棚の上に、売り物らしい、年代物の美しい女雛と男雛が並んでいるのだが、何故か、三体居る。


 ノブナガ様は動かない女雛が気に入ったようで、横にちょこんと、恥ずかしそうに座っていた。


 ……ずっとああしてたのか。


 役に立たないな~、あやかし。


 でも、まあ、立つわけないか、とほとりは思う。


 祟るためとか、幸福を与えるためとか。


 そんな風に意味あって、存在しているのだろうと思うのは、人間の勝手な思い込みで、勝手な都合だ。


 ま、気に入ったのなら、もうちょっと置いといてやるか、と思いながら、

「じゃあ、私も戻って寺の掃除するわ。

 またね、繭」

と言って、ほとりは環の車に乗り、帰っていった。


 よく考えたら、もう成仏させてもいい気がする、いわくつきの品々の眠る寺へと向かって――。





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