四億の在り処



 朝、繭と二人で朝食を作って食べた。


 いや、ほとりは、レモンティーと書かれた懐かしいような缶から粉をカップに入れて、お湯をそそいだだけだが。


「こういうの、おばあちゃんちにあったわ、昔」

と粉末のレモンティーの大きな缶を眺めながら、ほとりは呟く。


 まさか、店で出してるレモンティーもこれなんじゃあるまいな、と思いながら、布団を上げたばかりの和室に運んだ。


 溶けたバターの乗ったトーストにハムエッグにレモンティー。


 なんだか懐かしい味のする朝食だった。

 レモンティーのせいもあるだろう。


 ほとりは、レモンティーを飲み干し、ふうーと息をつく。


 部屋を見回した。

 パソコンの側に雑誌は山積み。


 更に、その横には、雑にダンボールに物が突っ込んであったりもするが、なんだか落ち着く部屋だった。


「完璧に片付いてるより、何処か隙がある方が、なんだか落ち着くわよねー」

とほとりが言うと、


「それって、ほとりさんみたいだよねー」

と繭はおのれのカップの方を見ながら、笑う。


「……私の何処に隙があるのよ」

とほとりが言うと、


「いやー、こうして、男の部屋に泊まっちゃうとことかさ」

と繭は言ってきた。


「だって、あんた、ゲイじゃん」


「わかんないよ。

 ある日、突然、趣味嗜好が変わることもあるかもよ」


 カップを置いた繭は、その綺麗な顔で、こちらを見ると、

「キスでもしてみる?」

と言ってくる。


「いえ、結構」


 環ともしたことないのに、するわけない、と思いながら、ほとりは、なんとなく、押入れの方を見た。


 すると、その視線を追った繭が言ってくる。


「残念。

 そこに入ってるのは、死体じゃないよ」




   ……ダンボール



 

  そう言い、繭は笑ってみせた。



 



 繭は立ち上がり、押入れの方に行きながら、

「あのグラビア雑誌の表紙の子。

 前から思ってたんだけど、ほとりさんと似てるよね」

と言う。


 一番上に積んである、昨日見た雑誌のことのようだった。


 水着を着た、ちょっとベビーフェイスのグラビアアイドルが載っている。


「……悪いけど、こんなに胸はないわ」

と言うと、


「知ってる。触ったから」

と腹の立つことを言う。


 繭が押入れを開けて見せると、そこには小さな宅配便の箱が山積みになっていた。


「それ、何度も届いてたね」

と言うと、


「恐ろしいことに、これ、僕が頼んでるらしいんだよ」

と言いながら、繭はそれを投げて寄越す。


 ガムテープの剥がれた箱には繭の名前と何処かの通販サイトの名前の印刷された送り状が貼ってあった。


 そして、わずかに開いた隙間からは、肌色の細い脚が覗いている。


 ミワちゃんだ。


「うちの蔵の箪笥の引き出しに大量のミワちゃんが居るみたいなんだけど。


 ああ、うちの蔵っていうか――


 繭んちの蔵?」


 そう言うと、繭は笑い、もう何個かミワちゃん入りの箱を投げてきた。


「僕の蔵ってわけじゃないよ。

 寺の蔵は寺のもの。


 寺に住む人間のものですらないよ」

と言う。


 まあ、確かにそうだ。


 住職もその家族も寺に住まわせてもらっているだけで、寺自体、住職一家の持ち物ではない。


 代替わりして、住職が居なくなったら、出ていかなければならないものだからだ。


「誰に訊いたの?

 あそこが僕が昔住んでたとこだって。


 町の人たちは、たぶん、ほとりさんにその話しないでしょ?


 僕がその話題出されるの、嫌がってるって知ってるからね。

 環は話しそうにないよね?」


 守村? と繭は訊いてくる。


 守村が現れてから、彼があそこは元々、繭の家だったと話していないか、繭は気にしていたようだった。


「違うわ、犬よ」


「犬?」


「シロよ。

 あんたが来たときだけ、全然反応が違うの。


 誰にでも愛想のいい犬だけど。


 やっぱり、飼い主前にすると、違うじゃない、犬って」


 そう言うと、繭は、

「……随分可愛がってやったのに、こんなところで、飼い主の足を引っ張るとはね」

と言う。


「町の人たちが繭があそこに住んでたときの話を嫌ってると知っているのは何故?」


「母親とばあちゃんが大喧嘩して出てったの、知ってるからだよ。


 その話を僕がタブーにしてるの、知ってるから。


 余計なこと言って、町の数少ない喫茶店に来られなくなるの、みんな、嫌だからね」


「……喧嘩されて、出て行かれたんだったのね」


 そうそう、うちの母親とソリが合わなくてね、と繭は言う。


「美和さん、僕には、いいおばあちゃんだったんだけどね。


 難しいね、嫁姑って。


 ほとりさんも気をつなよ」

と言う。


「肝に銘じておくわ。

 既に言いつけに逆らっちゃいそうなんだけど。


 四億円も見つからないし」

と思わず、もらすと、


「ああ、四億なら、ため池に沈めちゃったよ」

と繭が言い出す。


 ……なんだって?


「四億なら、ため池に沈めちゃった」

と繭が言ったように聞こえたのだが、幻聴だろうか?


「だって、ほとりさん帰っちゃうかと思って。


 一緒に乗ってた死体ごと沈めちゃった。


 死体も、こんなことをしてしまって、誰にも見つかりたくないとか遺書残してたしね。


 まあ、親切かな、と思って」


 しれっと繭はそんなことを言ってくる。


「見つけたのはたまたまだったんだけどね。


 いかにも政治家が乗ってそうな、ご立派な防弾ガラス入りの車のトランクに四億円。


 いきなり、此処に帰ってきた環と、それを追ってきた謎の美女。


 あの潔癖性の環が、よくあんな世界でやってるなとは思ってたんだよ。


 どうせ、裏金でも持って逃げたんだろ?


 ほとりさんは、それを取り返して、環を政治の世界に連れ戻すためにやってきた。


 だから、ほとりさんがあれを見つけたら、帰っちゃうと思ったんだよ。


 せっかく、いい友だちが出来たと思ったのに」


「……繭、探偵になったらいいよ」


 そう、ほとりは言った。


 すると、繭は、

「いや、ほとりさんがなったらいいんじゃない?

 もう全部わかってるんでしょ?」

と言ってくる。


 ほとりは、そこで溜息をついて見せた。


「此処で帰りたい気分だわ」

と。


 なんで? と言う繭に、

「だって、ほら、サスペンスなんかでは、ベラベラ喋る奴って、すぐ殺されるじゃない」

と言うと、笑う。


「うちの納屋の前でさ」

と結局、ほとりは口を開いた。


「美和さんがよく人を殺してるのよ。


 ミワちゃんそっくりな女子高生みたいな子の首に後ろから縄をかけて、こう、背負うように、くびり殺してる。


 誰かに見せようとするように、何度も。


 だから、わかったのよ。


 ――繭、あんたが殺したんだって」


 その言葉に繭は目を伏せる。


 繭は、美和が何度も、ミワを殺していることは知らなかったようだった。


 彼には、霊が見えないのだから。


 孫に嫌疑がかかったときのために、美和はミワを殺している自分を誰かに見せようとしていたのか。


 それとも、何度も孫の許に自分に似た人形を送りつけてくるミワをなんとかしたくて、何度も殺していたのか。


 繭は小さなダンボールから、まだ服を着ているミワちゃん人形を出して言う。


「恐ろしいことに、これ、僕が頼んでるみたいなんだよね。


 罪の意識からそうしているのか。


 それとも、僕の後ろにミワが居て、自分でピピッとクリックしてんのかね?」

と笑う。


「ゲイだって噂を流したのは、そうしたら、ミワの事件が発覚したときにも、彼女との関係を疑われないと思ったから?」


「それもあるし。

 もう女がめんどくさかったのもあるね」

と繭はモテない男性陣から殴られそうなことを言ってくる。


「……様子を見に蔵に行っていたとき、私と出くわして、襲おうとしたのは、その犯人が、ゲイのあんたではないと思わせるため?」


「最初はちょっと脅かすつもりだったんだけど。

 でも、ほら、ほとりさん、僕の好みだから」

と繭は、あのグラビア雑誌の方を見た。


 いや、好みだから程度で襲われたくないんだが、と思っていると、

「いやいや。

 ほとりさんが好きだよ。


 今、僕の周りに居る女の子の中では一番」

と言って笑っている。


 ……本当に何処まで本気かわからない口調と笑顔だ。


 いっそ、ミワちゃんを殺したのも嘘であってくれと願っていたが、繭は語り出してしまった。


 犯人じゃないのに、こっちが崖から飛び降りたい気分だ、と思ってしまう。


 耳を塞いで。


「両親がばあちゃんと喧嘩して、此処を出て、街に行った。


 部活でテニスとかやっててさ。


 高校一年のときだったかな?

 先輩の友達って女に会った。


 ミワって言う。


 どんな字書くのかも知らなかったなー。


 違う学校のテニス部だって聞いたけど、お前、テニスとか本当はやってねえだろって感じの。


 年上の女に騙されて、もてあそばれて、金も取られて」


 まあ、よくある話、と繭は言う。


「いい勉強になったで終わればよかったんだけど。

 ミワの奴、うちにまで押し掛けて来ようとしてさ。


 うちの両親、生真面目だから。

 そんな女と関係持って、家の金まで持ち出してるってバレたら、大変じゃん。


 金持って来なきゃ、バラすって言うからさ。


 もうほとんど治ってた喘息が悪化したふりして、田舎のばあちゃんちに逃げたんだよ。


 両親は、僕がばあちゃんち行くの、厭そうなふりしてたけど、ちょっと喜んではいたと思う。


 絶縁状態になってたの、気にしてたから。


 でもさ、あの女、ばあちゃんちにまで追いかけてきたんだよ。

 相当金に困ってたみたいで。


 なんかヤバイことに手を出して、その筋の人間にでも追われてたんじゃないの?


 ばあちゃんにまで、暴力奮って金を取ろうとしたんだよ。


 うち、そこそこ小金あったからね。

 いいカモだと思われてたみたい。


 ……やっと会えたのにさ。


 あんな女まで付いてきて。


 ばあちゃん、あんなに喜んでくれたのに、細い身体で、あんな女に殴られて。


 ばあちゃんはばあちゃんで、僕が困ってるの、見兼ねてた」


「そう。それで殺したの。

 貴方がやらなきゃ、おばあさまがやると思ったのね」


「自分が正しいことをしたなんて思ってないよ。

 でも、間違ってたとも思ってない。


 あの女にやられて、ばあちゃんがただ悲しい思いをするだけって言うのは間違ってると思うから」


 今、ぼんやり感じた。


 暗がりの納屋にかけられた鎌のひとつを触れることなく、ただじっと見上げている尼の美和の姿が。


 これは、繭の見た光景なのか。


 実際には、あの納屋の前で繰り返されているような形で、ミワは繭に殺されたのだと思うが。


「ミワはきっと僕以外の人間にも同じことしてた。


 だから、あの女が消えても、僕がそう疑われることもなかったと思う。


 暴力団絡みのトラブルもあったようだから、ミワの事情を知ってる人間も、そちらで消されたと思って口をつぐんだろうしね」


 そもそもバラすと脅されていたのなら、周囲の人間は繭とのことを知らなかった可能性が高い。


 誰も繭の罪を暴けない。


 あのミワの霊以外。


 だが、ミワは繭の罪を暴くことはなく、ただ、ひたすら、我が家で挨拶を繰り返している。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る