ワタシ、ミワチャンヨ……


 ああ、これが、場違いなほとりさん。


 鈴木巡査は一目でそれが誰だかわかった。


 この村に居るのがピンと来ない女だとみんなが言っている、あの長谷川環の嫁、ほとりだと。


 村に馴染んでいないのは確かだが。


 保守的な村人たちに疎まれてもいないのが不思議なところだ。


 先程、街灯のない真っ暗な道をパトカーで巡回していたときのことだ。


 いきなり、ヘッドライトに照らされた道に、びしょ濡れの女が現れた。


 悲鳴を上げて、用水路に突っ込みかけ、慌てて停車すると、その女が運転席の窓を叩いてきた。


 思わず、気絶しそうになったが、

「助けてください~」

と蚊の鳴くような声で女は言ってきた。


 そこで、ようやく、生きている女だとわかったのだ。


 あ~、置いて逃げなくてよかった、と鈴木は思う。


 街に居た頃と違い、こちらでは、一人で巡回することも多いので、こういうときは、ビクビクしてしまう。


 びしょ濡れのその娘に後ろに乗せていたコートを貸してやり、話を聞いていたら、ほとりたちがやってきたのだ。


 長谷川環も降りてきて、軽くこちらに頭を下げる。


 なんだろう。


 若いのに、思わず畏まって最敬礼してしまいそうな迫力がある、と環を見て思ったとき、

「ほとりさーんっ」

と自分の傍に居たその娘、阿知須未來は駆け出していき、ほとりに抱きついていた。


「はいはい、大変だったわね」

と言いながら、ほとりはその背を優しく叩いている。


 未來は、ほとりとは違うタイプの可愛い娘だが、言う事が突飛すぎて困っていた。


 助手席にいきなり人形が乗っていて、ハンドルを切り損ねたと彼女は言うのだ。


 未來は、ほとりにもう一度、詳細に語っていた。


 自分に話したときより更に話が整理されていて、わかりやすい。


 そもそも、その外見に反して、彼女の語り口調はしっかりしていた。


 弁護士事務所に勤めていると言っていたが、なるほど、という感じだ。


「ミワちゃん、なんで貴女に付いてっちゃったのかしら?」


 此処では着替えられないので、大量のホッカイロを開けては渡しながら、ほとりが訊いている。


「知りませんよ~。

 落ちた場所に寄っては、私、死んでましたよー」

と訴える未來にほとりは、


「ところで、そのミワちゃんは、何処に行っちゃったの?」

と訊いていた。


「いや、だから、それも知りませんよ~」

と未來は可愛く飛び跳ねている。


 可愛く振る舞うことで、すべてを見逃してきてもらったような女だな、と感じた。


 別にそれで嫌な感じはしないのだが。


 一方、優れた容姿を持つ、ほとりからは、そういう匂いはまったく感じない。


 容姿に反して、男らしい、というか……と思いながら、鈴木は改めて、ヘッドライトに照らし出されたほとりの横顔を見た。






 未來が巡査と話し始めたので、ほとりたちは、少しそこを離れた。


 こう見えて、彼女はきちんとしているので、任せても大丈夫だからだ。


 遠くから一応、その説明を聞く。


 人形うんぬんの部分を除けば、実に理路整然としていて理解しやすい。


「なんで、あの人形、お前の友だちに付いてったんだろうな?」

と未來たちの方を見ながら、環が言ってくる。


 うーん、と唸ったあと、ほとりは言った。


「殺そうとしたのかもね」


 環は、ほとりを見下ろし、

「……可愛らしく小首を傾げて、恐ろしいこと言うなよ」

と言ってくる。


 怯えないよう未來には言わなかったのだが。


「脅そうとしただけなのかもしれないけど。


 あの人形、失礼だけど、あまり深く物事を考えてない気がする」

と言うと、


「……何故、人形が彼女を脅そうとしたと思う?」

と環が言うので、


「そりゃ――」

と言いかけ、少し迷って、


「余計なことしたからでしょうね」

と答える。


「余計なこと?」


「環があの蔵のいわくつきの物を供養できないのと似た理由よ」

と言うと、環は眉をひそめた。


 そのとき、

「ほとりさーん」

と呼ぶ未來の声がした。


「このお巡りさんが駅まで送ってくれるってー。

 この人大丈夫ですかー?」


 鈴木巡査に送ってもらって危険はないのかと、本人を前に叫ぶ未來に苦笑する。





 結局、濡れた服を変えてやるため、一度、未來を連れて帰った。


 車は少し前の部分がへこんでいたが、特に運転には支障はなかったので、環に道まで戻してもらい、ほとりが運転して帰った。


 環と乗ってきた軽トラはマニュアルだったからだ。


 もう長いこと、マニュアル車には乗っていないので自信がない。


 へこんだ事故車の方がまだマシだ。


 環の乗る軽トラの後をついて走っていると、未來が、

「ほとりさんー。

 すみません。

 車弁償します~」

と助手席から言ってきた。


「いや、いいって言うよ、環。

 そんなたいした傷じゃないし、たぶん、そのまま乗るよ」


 もう古い車なので、いずれ買い換えないといけないだろうしな、と思う。


 この車も軽トラも寺のもので、もともと環が所有していたものではないのだろうが。


 未來は、すみません~と神妙な顔をしたあとで、前方を見、

「長谷川環が軽トラ運転してますよ~」

といつも通り、しょうもないことを言い出した。


「……田舎は軽トラが便利なのよ。

 狭い道も入れるし」


とは言ったが、実際は、田舎の方が土地が余っているせいか、道が広い。


 昔からある家へ上がる坂道などは狭いところが多いが。


「そういえば、あの人形、用水路に放り込んでそのままですが、いいんですかね?」

と未來はいきなり、人形の心配をし始めた。


「鈴木さんがライトで照らしてくれたけど、見えなかったじゃない」


「流れてっちゃったんですかね~」

と言うが、いや、たぶん……。






 翌朝、縁側の戸を開けていると、現れたミワちゃんがボロボロの姿のまま、縁側をよじ登ってきた。


「……おかえり」

と言ってみたが、返事はない。


 今日は挨拶はしないようだ。


 そのまま、よろっと奥へと消えていこうとするミワちゃんを見ながら、


 ……霊なのに歩いて帰ったのか?

と思う。


 まあ、この人形は霊体じゃない、ちゃんとした人形だからな――。


 だから、日向佐千代にも、未來にも見えたのだ。


 ワタシ、ミワチャンヨ……


 コンニチハ、コンニチハ、コンニチハ


 今は聞こえないその言葉を思い出しながら、ほとりは、


「ミワちゃん」

と呼びかける。


 畳の上の彼女を捕獲した。


「洗ってあげようか」

と言ったが、ミワちゃんは、すぽん、と手からすっぽ抜け、少し調子を取り戻したように、


 ワタシ ミワチャンヨ


と言いながら、トコトコ歩いて何処かに行ってしまった。


 ほとりは、何処へ行くつもりなのか、また、いつの間にか空いていた襖の隙間に消えていくミワちゃんを見ながら思う。


 ミワちゃんの首、ぐるっと赤いあざみたいなのがあったな……。


 擦れた黒い筋のようなものが首にあるのだが、その筋の周囲が赤くなっている。


「ワタシ、ミワチャンヨ、か……」


 ほとりは縁側の太い柱に背を預け、ミワちゃんの消えた隙間を見ていた。





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