おそらく、演じ切れてはいないと思うが
灯りがまったくないよ、トホホ。
帰りのバスの便がなかったので、環に車を借りた未來は、駅前の蕎麦屋に乗り捨てろと指示されて、夜道を運転していた。
いつもより、かなりスピードを落として、カーブを曲がる。
街中では、うっかりライトをつけ忘れてても、気づかないくらいだが、この山道では、ハイビームにしても、光が周りの闇に呑み込まれるようで、走りづらい。
それにしても、ほとりさん、何処に行っても変わらないなあ。
すぐに自分の居場所を見つけるというか、巣を作るというか。
あの旦那とも、既にしっくり来てるし、と帰り際、二人で並んで手を振る姿を思い出していた。
いや、手を振っていたのは、ほとりだけだが。
環は前の旦那以上に何を考えてるのかわからない感じだ。
さすが、噂の長谷川環、と思った。
だが、ほとりには似合っている。
ああ、私も結婚したい。
ほとりさんばっかり何度もしちゃってさ。
しかも、全員男前ばっかりじゃないの。
前の旦那も、今の旦那も、うちの所長も、あの古道具屋の主人も、ほとりの周りはいい男ばかりが集まっている気がする。
人間って、自分にないものを求めるんじゃないのだろうか。
美形同士で固まってどうすんだ、と思った。
そうだ。
ほとりさん、四億の話してたな。
所長に報告を―― と手探りで、助手席の鞄を捜す。
脇に止めて、スマホをかけようと思ったのだが、そのとき、手に不思議なものが当たった。
少し湿ったナイロンの糸の固まりみたいなもの。
それがなんなのか、見なくてもわかったのは、子供の頃、よく触れていたものだったからだ。
車のスピードをゆっくりと落とし、ひとつ息を吸って、横を見る。
助手席の鞄の前、全裸の小さな人形がちょこんと座っていた。
悲鳴を上げた瞬間、ハンドルがぶれ、車は道から飛び出していた。
スマホが鳴り、太一はそれを取ろうとして、やめた。
未來だったからだ。
またロクでもない報告だろう。
今日は、ほとりのところに行くと言ってたし、と思い、鳴るスマホを眺めていたが、一度切れても、また鳴っている。
「はい」
と仕方なしに出た。
やかましいからだ。
ところが、出ると、もっと、やかましい声が溢れ出てきた。
『田んぼの用水路に落ちましたーっ』
環に車を借りたもののアクシデントがあって、事故を起こしたという。
「車ごと突っ込んだのか」
『いえ。車は山と田んぼの境の細い畦道に突っ込んで、斜面にぶつかったんですけど。
慌てて車から降りようとして、私が落ちました』
それは知らん、と思った。
「ほとりには連絡したのか?」
『はあ。しないとまずいでしょうね。
車、借り物だし』
「なんだ。したくないのか」
とその口調に言うと、
『だって、颯爽と街に帰るキャリアウーマンを演じて出て来たのに。
田んぼの用水路に落ちましたとか報告したくないです』
と言う。
おそらく、演じ切れてはいないと思うが、と思いはしたが、びしょ濡れのところに、とどめを刺しては可哀想なので、黙っていた。
未來はくしゃみをしたあとで言う。
『それが助手席に、人形が居たんですよっ』
「人形?」
『いつの間にか助手席に、よくあるなんとかちゃん人形みたいなのが座ってて。
それで驚いて運転を誤ったんです。
頭に来たので、とりあえず、人形の頭をつかんで、捨ててやりました』
と未來は言ってくる。
……よくそんな呪いの人形みたいなのの頭をつかんだな、と思う。
こいつは、何処でも生きていけそうだ、と思いながら、
「ともかく、ほとりに連絡しろ。
いや、俺がしといてやるから、とりあえず、少しでも暖かそうな場所に居ろ」
と世話の焼ける所員に言って、通話を切った。
スマホのボタンを押しかけてやめ、少し、暗い画面を見つめたあとで、ひとつ、息を吸ってからかける。
「……ああ、ほとりか?
俺だ」
『……ああ、ほとりか?
俺だ。
起きてたか』
太一からの電話を取った途端、そんな言葉が聞こえてきた。
「いや、今、寝ようかなーと思ってたとこ」
と言いながら、ほとりがスマホ片手に、ストーブの上で手をひらひらさせて暖を取っていると、
『未來が用水路に突っ込んだらしい。
気が向いたら行ってやってくれ』
と太一は言ってくる。
ええええーっ、と声を上げながら、ほとりは辺りを見回し、環を探した。
「車で? 死んでないわよね」
と言いながら再び、周囲を見回す。
死んだら、真っ先に化けて出て来そうなタイプだからだ。
死んでない、と言ったあとで、太一は、
『すまんが、もし出来たら、行ってやってくれ』
と繰り返す。
そして、
『――ところで邪魔したか』
と訊いてきた。
何を、と訊きかけたのだが、
『じゃあ、頼んだぞ』
と言って、勝手に電話は切れた。
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