呪い――
無反応と拒否反応ですよ
翌日の昼過ぎのことだった。
「こんにちはー」
という陽気な声が縁側の方からした。
この辺りではあまり聞くことのない、若い娘の声だ。
パステルカラーの服を、ギリギリ職場で許されるくらいの可愛さでまとめた娘がそこに立っていた。
見ると、その背後には、環の車があった。
町で出逢って、此処まで乗せてきてもらったという。
おのれ、私でもあまり助手席に乗ったことがないのに、とつまらぬことで嫉妬する。
今朝、
『そっち方面に
と未來からメールが来たのだ。
兵毛さんというのは、太一の事務所に勤めているおじいさんだ。
仕事が終わったら、兵毛とは別れ、ひとりで、こちらまで来るつもりのようだった。
いつもの電話とは違い、太一には、ちゃんと許可をもらっているらしい。
大丈夫です~とは言っていたが。
山また山の田舎だ。
迎えに行かずに、たどり着けるのだろうか、と心配していたのだが。
まさか、環に乗せてきてもらうとは。
「よく環がわかったわね」
縁側に仁王立ちになり訊くと、
「いいえー。
たまたま道を訊きに声をかけたら、ほとりさんのご主人だったんですよ」
と未來は言う。
「なんで声かけたの?」
「一番、男前だったからです」
未來はいつものように、そんなことをしゃあしゃあと言いながら、
「はい、これ」
とお土産を渡してくれる。
「いや~、なかなか、ほとりさん、帰ってこないから。
今度のご主人は気に入ったんですね~」
今度のとかつけるな、と思ったが、マザーグースの実のケーキを持ってきてくれたので、言わなかった。
「遠くへは持って行かせないっていうお店の人と喧嘩して持って来たんですよ」
「家に持って帰るって言えばよかったのに」
と言うと、
「嘘はいけません、嘘は」
と言う。
親御さん、いい教育してるなあ、と思った。
未來は、どうもありがとうございましたー、と本堂へと向かう環に頭を下げたあと、振り返りながら、言ってきた。
「無反応と拒否反応ですよ」
「は?」
「町で、ほとりさんの言う古道具屋兼、甘味処を覗いてて。
そこで新しいご主人と出逢ったんです」
「環が繭のところに行ってたの?」
まあ、珍しいと思い、そう訊き返す。
「どちらも、男前じゃないですか。
で、ああいう結婚の仕方だったから、実際のところ、ほとりさんに対して、どうなのかな、と思って、ちょっと誘うような素振りをしてみたんですよ」
おい。
「ご主人は無視です。
でも、あちらの店主は、無反応どころか、激しく拒否反応ですよ。
笑いながらでしたけど」
「あれはゲイよ。
なにやってんのよ、あんた……」
と言うと、
「いや~、最近、無性に子供が欲しいんですよ。
そういうお年頃なんですかね」
と言ったあとで、環が消えた本堂を振り返り、
「お二人の子供はきっと美しいんでしょうね。
私、その子と遊んで余生を暮らします」
と言い出す。
どうした。
急に余生を語り始めたぞ、とほとりは思った。
想像の中での人生の浮き沈みが激しい奴だ。
「私だって、結構モテるんですよ~」
「知ってる」
可愛くて人懐っこいので、下手な美人より、よくモテる。
「あーあ、やけ食いしよ。
紅茶にしてください。
どうせ、ほとりさんのことだから、こんなところに住んでても、隠し持ってるんでしょ、いい紅茶」
こんなところってな、と思いながら、はいはい、と母屋に入ろうとして、振り返る。
本堂に向かい、呼びかけた。
「環ー、お茶飲むー?」
「そうしてると、普通のご夫婦に見えますよね。
……ところで、あれは見つかったんですか?」
と小声で訊いてくる。
太一の父と環の父、長谷川代議士が懇意にしているので、太一も未來も、ほとりが四億円を探しに来たという事情は知っていた。
「ああ、まあ、あったような、なかったような……」
いや、なかったのだが、環がある場所を白状したのは確かだ。
こちらが言いよどむのを見た未來は、
「まあ、私には関係ないことですけどね」
とそれ以上の答えを待たずに、勝手にまとめる。
「さあ、食べましょう。
ご主人も呼んでくださいよ。
美形を
とさっさと母屋に入っていく未來を見ながら、ほんっとに気持ちのいい生き方してるなーと思ってしまった。
散々愚痴って、ご飯まで食べて、未來は帰っていった。
しかしまあ、いい気晴らしにはなった。
もともと、そのために来てくれたのだろうし。
そんなことを考えながら、ほとりは縁側に座り、夜の山を眺めていた。
冷たい風が心地よく、ごろりと横になる。
すると、当たり前だが、縁側の天井しか見えなくなった。
顔をしかめて起き上がる。
背後でした人の気配に振り返ると、環が立っていた。
「何をしている」
「いや、寝転がって、星を見たかったのよ。
でも、見えなかったから」
「見えるわけないだろう」
「そうよね」
「庭にでも転がれ」
「厭よ。
トラクターに轢かれちゃうじゃない」
一応、此処はうちの庭のはずなのだが、普通に近所の人が通って行く。
他に特に道もないからだろう。
「こんな夜中にトラクターが通るか」
「わかんないわ。
田舎、何があるかわかんないもん」
「言ったろ。
この時間なら、みんな寝てる」
「起きてるのは繭くらいか」
と笑うと、珍しく環が横に腰掛けてきた。
「ごめんね。
今日はうるさくて」
「お前の友達か。
たまにはいい」
「貴方でも、人恋しくなることがあるの?」
と言うと、そういう意味じゃない、と言う。
素っ気ない口調に、なんとなくわかった。
田舎で退屈している私のところに、友人が来て、気が紛れていいだろうという意味なのだと。
縁側から下げた脚を揺らして笑う。
「ねえ、環はどうして此処に帰って来たの?」
四億を持って逃げたとき――。
こちらにも家はあるようだが、そこには行かずに、何故か此処に居るので、生まれ育った家が恋しくてというわけでもないようだが。
「さあな。なんとなく」
と環は言う。
「そういえば、車の免許をとったときも、なんとなくこっちに向かって走ってたな」
「それが故郷ってやつなのかしらね」
そう膝を抱えて、ほとりは笑う。
「私は街で生まれて、街で育ったわ。
何処が故郷なのかしら」
「街がだろう?」
「そこで俺のところだろう、くらい言えないの?」
「俺にそんなこと期待するな」
と言われ、
「ごもっとも」
と笑い、おのれの膝に片頬を置いて彼を見た。
が、環は遠く山の上の星座を見てしまう。
「明日は晴れるかしら」
「なんで俺に訊く」
気象庁か、ニュース番組に訊け、と言う。
「いやあ、田舎の人は天気が読めるんじゃないかと思って」
「俺が田舎に居たのは、わずか数年だ。
それから、天気が読めるのは漁師だ」
と言われてしまう。
いつものように切って捨てるように言う環に、はい、そうですね、と笑って返した。
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