何処の強姦魔だ
その日、本堂に来た客の相手をほとりがしていた。
それを見ながら環は、なんだかんだでこいつ、すぐに何処にでも馴染むよな、と思っていた。
花恵さんというおばあちゃんを連れてお参りに来た三田村さん一家は面白おかしく子どもの話をしていた。
だが、花恵さんは時折、誰も居ない方を向いて話し出す。
それを見た三田村のおばさんが、困ったように言ってきた。
「うちのおばあちゃん、たまにボケるんですよねー」
それを聞いたほとりが笑って言う。
「え?
ボケてはらっしゃらないですよ。
普通に話してらっしゃるじゃないですか、霊と」
霊と!? とみんなが一人でしゃべっている花恵さんを二度見する。
……この莫迦嫁が。
「すみません」
とほとりの首に腕をひっかけ、立たせると、おばさんたちから引きはがした。
そのまま、隣の間へ連れていこうとする。
後ろから、
「いやあ、さすが環ちゃんのお嫁さんね。なにかが違うわ」
と聞こえてきた。
……どういう意味だろうな、と思いながら、ほとりを隣の和室に押し込めた。
環に本堂から押し出されたほとりは、繭の店へと行っていた。
古く厚みのあるガラス戸から覗くと、繭はカウンターに倒れていた。
カランカランと鐘の音のするそのガラス戸を開けながら、
「繭ー。
死んでるのー?」
と言うと、繭は、むくりと起き上がりながら、
「死んでたら、もっと驚いてー」
と言った。
少し欠伸をしながら、カウンターの上のやりかけのクロスワードを閉じ、端にあった目覚ましを止めている。
「あ、それ。環のと同じ」
とその目覚まし時計を見て言うと、
「そりゃ、小学校の卒業記念だからね。
環も使ってんの? 物持ちいいね」
と自分も使っているくせに、繭はそう言い、笑っている。
「目覚ましかけて寝てたの?」
「いやあ、クロスワードやってると、よく寝ちゃうからさ。
一応、やる前には目覚ましかけてるんだよ。
客が来たら起こすとは思うんだけどさ」
よく寝ちゃうって……。
「実は嫌いなんじゃないの? クロスワード」
と言ってやると、
「やってる間は他のこと、考えなくていいからねえ」
と言って笑っていた。
ほとりがカウンターに残っていた、やりかけのクロスワードを見下ろしたとき、宅配便の車が店の前に止まった。
「よく来るのね、此処」
前も来たような、と思っていると、繭は、
「そりゃ、仕事でよく使うからね」
と言ってハンコを探していた。
「全部仕事の荷物?」
と訊くと、いや、と言う。
「だってさ。なにもないじゃない、此処。
僕、物買うとき、ほとんど通販だよ」
すみませーん、と業者の人が小さな箱を手に、ガラス戸を開ける。
なにもないじゃない、か。
今のが繭の本音かな、と思いながら、クロスワードを見る。
「あ、答えは、おしょうがつだ」
とつい言ってしまい、
「ちょっとーっ。
まだ解いてる途中なんだから、答え言わないでっ」
とハンコを押している繭に怒られた。
箱を持つ業者の人も笑っていた。
月の明かりの少ない夜。
ほとりはまた外のトイレに行っていた。
でも、中よりなんだかマシなんだよな、と思いながら出て来たとき、ふと、蔵が目に入った。
……また扉が開いてる?
閉めても閉めても、開いている。
襖と同じだ、と思いながら、ほとりは蔵の後ろ側、納屋の前を見た。
此処、いつも誰かが人を殺してるんだよなー。
ああ、いや。
誰かじゃないか。
美和さんだ。
小さな身体の美和さんが、制服姿の女をその背に背負っているように見えるのだが。
実際には、女は、後ろから首にロープを巻かれ、背中に担がれている。
自殺に見せかけるのに使われたりする手法だが。
小さな美和さんが自分より少し大きなその女をそのやり方で殺すのは大変そうだった。
「他にもっと良い殺し方があったろうにな」
側で声が声がしたので、顔を上げると、神様だった。
「……あれ、消したりしないんですか?」
美和が女を殺しているのは、残像のようなものだ。
その女の霊が此処で美和の霊に毎夜殺されているわけではない。
「やりたいようにやらせてやれ」
そう言って、神様は何処かへ行ってしまった。
頼りになるんだか、ならないんだか。
やさしくないんだか、やさしいんだか、と思いながら、ほとりは、そっと蔵に近づいた。
隙間から覗くと、明かり取りの窓から青白い月の光が少し差し込んでいる。
なんとなく、そこに入ってみた。
今日は、こけしは回っていない。
神様はさっき出て行ってしまったし、ノブナガ様も居ない。
神様、あんなこと言ってたけど、ああいう光景見てるの嫌なんじゃないのかな、とほとりは思った。
元は人だった人だから、感情的にも嫌だろうし。
神様自体が穢れを嫌うものだし。
それでも、神様が、美和が人を殺すのをやめさせない理由は少しわかる気がした。
しかし、なんで今日は回ってないんだろうな?
その日の気分で回ってんのか? と思いながら、ほとりはこけしに近づいた。
こけし自体には悪いものは感じないのだが、この辺りから嫌な感じがするんだよな、と思いながら、ほとりは、巨大なこけしの下の箪笥を見た。
よく見ると、引き出しが完全に閉まっていない。
そこから、小さな足が覗いていた。
どきりとしたが、それは、人間のものにしては、細く小さく、不自然な淡いピンク色をしていた。
これって……と引き出しを開けかけたとき、月に雲がかかったようだ。
すうっと蔵の中が暗くなる。
パタン、と音がし、蔵の扉が閉まった。
えっ? と振り返った瞬間、誰かの手に口を塞がれた。
そのまま、うつ伏せに引きずり倒され、口許を覆われたまま、身体をまさぐられる。
痴漢!? こんな田舎に!?
いや、田舎、関係ないか。
まだ環とも、なにもしてないのに。
こんなところで、他人に襲われては、さすがに申し訳ない、と思いながら、急いで、手探りで辺りを探す。
ああ、ええっと、これっ。
勢い良く、それを振り下ろすと、相手は声も出さずに息でうめいた。
離れた隙に、もう一度、殴ろうとしたが、起き上がった弾みに、何かにつまづいてこけてしまった。
そのとき、上から何かが降って来た。
咳き込んだ隙に、相手は開けた扉から闇夜に走り出てしまう。
「ま……っ」
待って、と叫びながら、追いかけようとした瞬間、足にロープが引っかかった。
ロープ?
ならいいけど、場所が場所だけに。
蛇だったりしてっ、と慌てて足を振り回す。
「ちょっ、ちょっとっ! 待ちなさいっ」
転がり出るようにして、蔵の外に出ると、薄い月明かりの下に環が立っていた。
こちらを見、呆れたように、
「……何処の大運動会だ」
と言う。
「今の強姦魔……、環?」
「強姦魔?
何故、俺がお前を強姦する必要がある?」
お前は俺の妻じゃないのか、と言われた。
ま、それもそうだな、と思い、自らの身体を見下ろしてわかった。
今、環が大運動会だと言ったわけが。
まるで、小麦粉の中から、飴を捜したときのように、顔も身体も真っ白になっていた。
「……やられたわ」
古い上新粉か何かのようだった。
棚から落とされたものだろう。
溜息をついた環が言う。
「来い。
もう一回、風呂を焚いてやる」
そして、腕をつかまれた。
ほとりは、そのまま、付いていきながら、月を見上げる。
「連行されてるみたいね」
と呟くと、阿呆か、と環は小さく言った。
いつの間にか雲は晴れ、月から届く光が裏山の手前の小さな池に広がっていた。
ぴちょんと跳ねたのは、夜露か、昼間見た小さな蛙か。
それとも――。
見上げた裏山から、風向きか、また、腐臭が漂っていた。
それは、現実に匂ってくるものなのか。
それとも、霊が自分を見つけて欲しくて、放っているものなのか。
環は、こちらの視線を追ったようだった。
が、そのまま、ほとりを連れ、母屋に入っていった。
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