大丈夫? こんなところに嫁に来て



 環、戻ってこないな。


 ほとりは環にいつも、クソまずい、と言われる珈琲を淹れていた。


 てっきり、環が本堂に居るだろうと思って、守村に上がってもらったのだが、環は居なかった。


 うむ。

 なにか会話をしなければ、と思いながら、

「すみません。

 さっきから、電話してるんですけどー」

と土間になっている寒い台所から、声を張り上げ、言ってみた。


 掘りごたつに入っている守村は、

「あー、ごめんね。

 面倒かけさせて。


 あったまったら、帰るからいいよー」

と言ってくる。


 ……あったまりに来たのか? 実は。


 街に比べて、標高が高い分、この辺りは寒い。


 他所から来た人は寒さが身にこたえることだろう。


 現に私も環も応えている……と思いながら、ほとりは珈琲を運んだ。


「どうぞ、環にクソまずいと評判の珈琲ですが」

と言いながら出すと、守村は苦笑いしながらも、


「ありがとう。

 あったかければなんでもいいよ」

とストレートに言ってきた。


 うむ、素直な人だ、と思っていると、


「いやー、今日は日差しが強いからあったかいかなーと思って、うっかりコート置いてきちゃったんだよね。


 舐めてたよ。

 僕もう、此処離れてから長いからねー」

と守村は言う。


 あ、後ろ、すうすう風が入ると思ったら、少し開いてるね、と言いながら、守村は振り返り、ストーブの後ろの襖を閉めていた。


「すみません。

 ありがとうございます。


 うち、よく勝手に開くんですよ」

と言うと、


「うちの実家もそうだよ」

と言うので、守村さんちにも、ちっちゃな生き物が? と思ったのだが、


「古いおうちはどうしても建て付けが悪くなってるもんね」

と守村は笑って言ってきた。


 あー、そういう意味ですか、と苦笑いするほとりの耳に、


 ワタシ、ミワチャンヨ


 ハジメマシテ


 ハジメマテ……


という声が聞こえてきた。


 襖の向こうで、ミワちゃんが挨拶しているらしい。


 おい、ミワちゃん。

 挨拶したいなら、お客様居るから、こっち来い、と今は閉まっている襖を見ながら思っていると、


「そういえば、此処、最近は、化け物寺とか、幽霊寺とか言われてるとか聞いたけど。


 大丈夫?

 こんなところに嫁に来て」

と守村は笑う。


「はあ、今のとこ……」

と答えながら、てことは、昔から、そう呼ばれてたわけじゃないんだな、と思った。


「守村さん、その噂ご存知なのに、此処に来られて、大丈夫ですか?」

と訊き返してみると、


「ああ、僕、昔からなにも見えないから」

と守村は朗らかに言ってくる。


「環はさー、昔から、よく変なとこ、じっと見てたんだよね」


 教室の隅とか、と言う。


「だから、あいつとキャンプとか宿泊訓練とか行くの、やでさー」


 やでさー、とか言いながら、たいして気にもしていないように笑っている。


 まあ、見えない人には、何処になにが居ようと関係ないよなー、と思っていると、守村が少しだけ申し訳なさそうに言ってきた。


「環、遅いねー。


 悪かったね。

 新婚のお嫁さんひとりのところに上がり込んじゃって、環に殴られるかなー」


 いや、全然ひとりじゃないですよ、と思いながら、ほとりは、守村に出している酒蒸しまんじゅうを刀でつついているノブナガ様をチラと見た。


「いや、実はね。

 此処に来たのは、懐かしかったのと、あったまりたかっただけじゃなくて」

と語り出した守村に、あ、やっぱり、あったまりたかったのは、あったまりたかったんですね、と苦笑いしたとき、


「ただいま」

と玄関から環の声がした。


 ただいまを言うのなら、行ってきます、も言っていけ。


 出てったのに、気づかなかったではないか、と思いながら、

「環ー。

 守村さんがいらしてるー」

とそちらに向かって言うと、


「守村?」

と訝しげな声がした。


「すまんー。

 邪魔してる。


 実はちょっと相談があってさー」

と守村は、まだ環が玄関との境にある、すりガラスを開けないうちに声を張り上げ、言い出した。


 相談……?


 また、なにか嫌な予感が……。


 でも、まあ、とりあえず、早くおまんじゅうは食べた方がいいですよ。


 ノブナガ様につつきまくられる前に……。


 まんじゅうからなにか吸い取ってそうだ、と思いながら、物珍しげに、ぷすぷす、でっかい酒蒸しまんじゅうを刀でつついているノブナガ様を見た。



 



「あー、緊張した。

 お前の嫁さん、美人だなー」


 環がコタツに入ると、守村が、ほとりが消えた台所の方を見ながらそう言ってきた。


「見るからに、都会のいいとこのお嬢さんって感じだし。


 いつ、あっちに戻るのか知らないけど、手とか荒らさせるなよ」


 使用人でも雇ったらどうだ、と余計な心配をしてくれる。


「で、どうした。

 何の用だ」

と言うと、


「相変わらず、端的すぎて面白くない奴だな~」

と守村は言ったあとで、


「いや、さっき、洋次さんに聞いたんだよ」

と言い出した。


 蘭子の息子、早瀬洋次のことだろう、と思っていると、案の定、


「お前、霊能者のようなことやってるんだってな」

と言ってくる。


 いや……やってはいないが、と思っていると、

「実はちょっと相談があるんだ」

と守村は言う。


「実は、俺も結婚を控えてるんだが、最近、ちょっと彼女の様子がおかしくてな。


 なんだか俺を避けてるし。


 なんなんだって訊いても、祟りよ、としか言わないんだよ」


 おかしな占いとかにでも、はまってんのかなーという守村からは、あまり危機感が伝わってこないが。


 結婚を控えて幸せいっぱいのはずの女がいきなり、祟りだとか言い出すのは、かなりおかしいような、と思いながら、まんじゅうをパクついている守村を見た。


 体育会系の人間すべてが、あっけらかんとして、あまり物を深く考えないというわけではないと知っているが。


 少なくとも、こいつに関しては、そうだな、と思っていると、

「祟りなんてあるわけないしー。

 お前にゃ悪いけど。


 俺は見えないから、あんまりそんなもの信じられないんだよねー」

と守村は笑い出す。


 ないなら、ないで、ないものをある、と言い出すことがまず、問題だし。


 お前の肩には、鎧武者が乗ってるし。


 後ろには、なにかを呪って歩き続けるミワちゃんも居るんだが……。


「そういうことを言うお前の嫁の精神状態が問題だろ」

と言ってみたのだが、守村は、


「いや~、嫁だなんてー。

 まだ結婚してないし。


 やめろよー」

と照れている。


 ……可愛いが、莫迦だな、と思っていると、先程、守村が絶賛していた、ほとりが、決して絶賛できない珈琲を持ってきた。


 守村が少し緊張したのを感じる。


 珈琲のせいではない。


 彼の言うところの、友人の美しい嫁、がやってきたからだろう。


「はい」

とほとりが目の前に珈琲を置いてくれた。


 黙って、その色の薄い液体を眺めていると、

「飲まなくていいわよっ。

 なにか持ってこないと格好つかないから、持ってきただけよっ」

と怒り出す。


 ま、とりあえず、飲んでみた。


 味がない……と自分は思ったが、まんじゅうを食べた喉の渇きを癒すためだけに飲んでいる守村は、ぐいぐい飲んでいた。


 妻がどんな料理を作っても、美味しいよ、と心の底から言えるのだろう彼は、自分よりは良い夫になりそうだ、と環は思った。




 

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