新しい依頼人


 久しぶりにこっちに来たな。


 繭は自分の店がある町から、小一時間、車で走ったところにある街に来ていた。


 大掃除のお礼に環たちが食事を奢ってくれるというからだ。


 此処は、すごく都会というほどではないが、ぼちぼち街だ。


 それでも一緒に居るほとりは浮かれていた。


「すごい。

 ちょっと車で走ったら、こんな場所もあったのね!」


 いやいや、当たり前だよ、ほとりさん……と繭は思う。


 絶海の孤島じゃないんだから、少し走れば、何処か街には出るよ。


 それにしても、いつも以上にやりすぎだが、と横に環と共に立つほとりを見た。


 さすがに自宅周辺では遠慮しているのか、着ているのを見たことはない赤いコート。


 落ち着いた色合いなので、コート自体は、やりすぎという程ではない。


 だが、そのコートが、もともと目立つオーラがある、ほとりを更に際立たせているのは確かだった。


 環にもそんなところがある。


 環はグレーのロングコートをさりげなく羽織っているだけなのだが。


 その広い肩幅にサイズがピタリと合っていることもあり、彼のためにデザインされたコートのように見える。


 ほんと、人の上に立つために生まれてきたような人たちだ、と繭は友人たちを評して思った。


 それだけ注目されていても、まったく気にしていない風なのも。


 だけど、環が将来、政治の世界に戻るのなら、こういうオーラは絶対に必要なものだとは思う。


 ……僕は片隅に居たいけど。


 誰にも見つからないように。


 そっと、ひっそり生きていきたい。


 昔からそんなことを考えていたわけではないけれど、と思いながら、ほとりの間の抜けた話に相槌を打っていたら、


「あれっ? 繭?」

と誰かが自分の名を呼んだ。


 どきりとする。


 それは、此処が街だからだ。


 いつ、誰に会ってもおかしくない、街だからだ。


 しかし、振り返ったそこに居たのは、環も知っている小学校時代の同級生だった。


「お前ら、まだつるんでんの?」

と環と居るのを見て、笑われる。


 自分と環は、小学校のときもそんなに一緒に居たろうか?


 単にクラスの人数が少なかったから、一緒に居ることが多かったのだろうと思っていたが。


 いや、そういえば、記憶のそこ此処に環が居る。


 もしかしたら、当時から、なんとなく気が合っていたのかもしれない。


 この守村というそのクラスメイトとは、学生時代はあまり話したことはなかった。


 当時、守村は近くの街のスポーツ少年団に所属しているとかで、あまり休みの日に顔を合わせることもなかったし。


 普段も、同じスポ少のグループで固まっていたからだ。


 今、話すと結構、話しやすいな、と繭は意外に思っていた。


 当時は気づかなかったのか。


 それとも、お互い、変わったのか。


 向こうもそう思ったようで、

「お前ら、帰ってるんなら、今度、やろうぜ、同窓会」

と言ったあと、守村は少し恥ずかしそうにほとりに頭を下げて去っていった。


 いろいろ考えながら、守村を見送っていると、ほとりが、

「どうしたの?

 じっと見ちゃって……」

と言いかけ、言葉を止める。


 そのまま、黙っているので、

「いや、あいつが好みだとか、昔、好きだったとかじゃないからねっ」

と反論してみた。


 ほとりの顔にそう書いてあったからだ。


 ほとりは今度は環を見上げる。


「いや、環も好みじゃないからねっ」


 ……ほんと、ほとりさんと居ると気が抜ける、と思いながら、また、三人で歩き出した。



  



「あー、久しぶりに外食、堪能したわ」


 楽しそうにほとりが言うのを、そうか、と聞きながら、環はコタツのある部屋を暖める。


 ほとりは機嫌が良く、今ならちょっと言ってみてもいいだろうか、と思い、訊いてみた。


「今日はひとりで入れるのか? 風呂」


 あれからほとりは少しは石川五右衛門に慣れたようで、時折、風呂場で話しているのが聞こえてくる。


 霊とはいえ、男に見られて恥ずかしくないのかと問うと、


「だって、霊に目隠しするわけにはいかないし。


 もう長くあの釜に憑いてるんだろうから、世俗から切り離されて、煩悩もない、と思うことにするわ」

と割り切っているようだ。


 いや……色情霊とか居るじゃないか、と五右衛門に聞かれたら、誰が色情霊だと言われそうなことを思う。


 色情霊だから、釜に憑いているのかもしれないじゃないか。


 というか、俺は面白くないんだがっ、と環は思っていたが、ほとりは、

「大丈夫~」

と言いながら、お風呂に水を入れに行ってしまった。


 そして、石川五右衛門となにか話しながら、笑っている。


 なに和やかに色情霊と会話してんだ、おいっ、と錯乱していると、鼻歌まで聞こえてきた。


「環、お風呂焚いてー」

と風呂場から、ほとりの声が響く。


 そこは俺頼みかっ、と思っていると、ほとりが下は土間になっている台所まで戻ってきた。


 ほとりは、おっと、忘れてたっ、と冷蔵庫にケーキをしまいかけ、

「そうだ。

 神様とノブナガ様にお供えして来よう」

と言い出す。


 ノブナガ様は別にお供え物しなくていいんじゃないか?


 そして、ひとりで蔵へ行く気か? と思いながら、


「待て、ほとり。

 俺も行く」

と言った。


 夜、あそこを通るのはやめろ、と思う。


 蔵ではない。


 あの中庭を――。


 なにも見えていないのかと思っていたが、ほとりは時折、視線でそれを追っている。


「おい、待て」

と遅れて出たが、幸い、ほとりは、生きてはいない犬に絡まれ、前に進めないでいた。


「えーっ?

 ケーキ二個しか持ってきてないんだけどっ。


 二個なんだけどっ」

と神様とノブナガ様へのお供え物を高く掲げ、ひーっ、と言っている。


 いや、犬は遊んで欲しいだけで、お供え物が欲しいんじゃないと思うが、と思って見ていると、


「しょうがないなあ」

と犬の前にケーキの皿を一度置こうとして、前屈みになった隙に、頭に乗られていた。


 ぐはっ、と声を上げている。


 霊でものしかかったという雰囲気は感じられるから。


 思わず、笑ってしまう。


 ほとりは、散々犬に遊ばれたあと、ケーキの皿を持ち、一度、あの冷蔵庫の上に置いていた。


 合掌して持ち去る。


「神様ー、ノブナガ様ー」

と蔵に向かい、呼びかけていた。


 あの死体を見つけたのに、ほとりは何故、なにも言わないんだろうな、と思う。


 俺が今、警察とは関わりたくないのを知っているからだろうかな――。





 翌日、ほとりが蔵の前で山から落ちてきている枯れ葉を掃いていると、細く開いた蔵の扉の隙間から誰かが覗いていた。


 ひっ、と思ったが、神様だった。


「やめてくださいよ~。

 なにかの霊かと思うじゃないですかー」

と言ったが。


 まあ、神様も人間ではなかった。


「ほとり、早くしないと腐るぞ」

と神様は言ってくる。


 お供えしたままのケーキのことではないようだ。


「死体ですね。

 わかってますよ。


 冷蔵庫に入れてても、腐らないわけじゃないですもんね。


 ……そういえば、前の旦那の和亮かずあきは、冷凍庫に腐りかけの食品を入れると、殺菌されると思っていた人でしたが」

と思い出さなくてもいいことを思い出し、言ってしまう。


 あれはあれで面白い人ではあったんだがな。


 ただただ、彼が夫であるということの違和感が、いついつまでも消えなかっただけで。


 あと、ちょいとストーカー気味で、束縛癖があって、気の短いところを覗けば、そう悪いこともないこともないこともない……。


 いや、充分困った夫だったか、とほとりは、いいように考えようとするのを諦めた。


 無事に別れられた今、元友人ということもあり、あまり悪くは思いたくないから、いいところを探そうとしてみたのだが、どうにも難しかった。


 ああ、ひとつ、あったか、と思う。


 ちょっと小器用。


 ……それくらいかな、と思ったとき、外に出てきた神様が、

「どうした、ほとり。

 空気が淀んでるぞ」

と言ってきた。


「すみません。

 すぐ切り替えます……」

と言い、気持ちを切り替えるよう、努力する。


 さすが神様、雰囲気の悪いものはすぐに感じ取るようだった。


 神社とかって、なんとも言えない清浄な空気があるもんな。


 ああいうところでないと暮らしにくいんだろうな、と思い、

「神様、蔵の中に居なくてもいいんですよ」

と言ってみたが、


「いや、蔵の隅がなんだか落ち着くのだ」

と言ってくる。


 まあ、この人、あのゴミ溜めみたいな離れに居た人だもんな、と思ったとき、坂を上がってくる人が見えた。


 スーツ姿のその男を見、此処までは来ないと思っていたセールスマンか?


 仕事熱心な人だな、と思ったのだが、近づいてきたその顔には見覚えがあった。


 男もこちらに気づき、

「あ、環の美人の嫁さん」

と笑う。


 守村だ。


「環がこの寺に居るってほんとだったんだね」

と懐かしそうに寺の境内と母屋を見回していた。


「なんのため?

 選挙活動の一環?」


 なんだかんだで、此処地元だもんねー、と言われる。


 やっぱ、みんな、そう思うよな、と苦笑いしながら、ほとりは言った。


「環を訪ねて来られたんですか?」


「いや、この上のゴルフ場に営業の仕事で来たんだけど。

 受付のおねえさんが小学校の先輩だったんで、ふと、環たちの話をしたら、環が下の寺に居るって言うからさ」


 ちょっと寄ってみようかと思って、と守村は言う。




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