銀杏の木の家


 ほとりが外に出ると、神様は、やはり、松の木のところで、霊と話しておられた。


 早く上に上がれ、と首吊り男に説教している。


「神様、どうして、ご自分で、上に上げてあげないんですか?」

と言うと、神様は、こちらを振り向き、


「成仏は、坊主にさせてもらえ。

 私の管轄ではない」

と言ってきた。


 まあ、そうですよね……と思っていると、

「お前も祀り上げられて神になってみるか。

 なかなか大変だぞ」

とほとりに言ってくる。


 まあ……大変そうですよねー。


 そのとき、寒いとか暑いとか、神様感じるの? という繭の言葉を思い出していた。


 感じるのか感じないのか知らないが、神様らしきものは、心地の良い場所に、そっと佇んでいたりする。


 景色に溶け込んでいるが、はっと心を奪われ、思わず、頭を下げてしまう。


 そんなものだった……


 はずなんだが、と目の前に居る生々しいカミサマを見て、うーん、とほとりが唸っていると、


「どうでもいいが、お前といい、環といい、あのなんだかよくわからない男といい。

 人間風情が私を見下ろすなっ」

とこちらを見上げ、文句をつけてきた。


 いや~、すみません、とほとりは苦笑いする。


 神様とはいえ、祀られる前は、昔の人だったせいか、神様はほとりよりも小柄だった。


 ほとりが平均身長よりかなり大きいからというのもあるだろうが。


「そういえば、神様。

 物を集めるのがお好きなんですか?


 神様の入ってらっしゃった箱のあった離れは、物が溜まってましたけど」


 それとも、あの家庭を上手くいかせないように、という力があの部屋をゴミ溜めにしていただけなのか。


 そう思っていると、

「ああ、あの部屋か。

 

 あれは私の仕業ではない。

 私にゴミを集める趣味はない」

と言う神様に、


 ですよね~、と思っていると、


「だが、まあ、物には思い出がつまっているからな。

 思い出を消してしまうのは寂しいな」

と言い出した。


「人の世は儚いから。

 物に思いを残してしまうんだろうな。


 思い出は過去のカタマリ。

 そして、私も過去のものだからな」


 遠い昔に生きて、祀られ、時を止められた神様はそう言う。


 やっぱり、この人のせいなのかな? と思いながらも、ほとりは、今の言葉について考えていた。


 私も過去のものだから、か。


 過去のびっしり詰まったあの蔵を見る。

 いわくつきの品ってことは、それぞれの物に物語があるってことよね。


 いや、まあ、なんにでもあるか、とほとりは思う。


 全然ドラマティックな物語ではなくとも。

 例え、ひょいと買った百均のセロテープにでも、なにか。


「そうですね」

と蔵を見ながら、ほとりは笑った。


「物は大事にしなくちゃですね。

 ……ゴミ溜めになるのは嫌ですが」


 そう呟いたとき、スマホが鳴るのが聞こえた。

 はいはいはい、と置いていた縁側に急いで戻る。


 太一だった。


『わかったぞ。

 磯部朔太郎の過去の住まいと現在の住まい』


「早いわね」

と感心して言うと、


『金に糸目はつけんと頼んだから』

と言ってくる。


「つけてーっ。

 つけて、金に糸目ーっ。


 十万しか預かってないんだからっ」

とスマホを手に叫ぶ。


 さっきまで、十万円も、だったのが、一気に十万しかになってしまった。


 神様ではないが、本当に人の世は儚いな……と思いながら、ほとりは、環たちの居る室内に向かって叫んだ。


「環ーっ。

 犯人見つかったーっ」

と。




「冗談に決まってるだろう」


 早速、現地に向かうと、太一はそう言ってきた。


 金に糸目をつけずに探したというのは嘘だったようだ。


 太一は最初から磯部を知っていて、ただ裏付けを取っただけだったので、結果報告が早かったのだ。


「磯部朔太郎。

 俺も知ってる元鬼検事だ」


 名前を聞いて、まさかと思ったが、そうだった、と言う。


「あの堅物にそんな過去がなあ」

と太一は感慨深げに呟く。


 磯部の家は、山の中にあった。


 ほとりたちの住む辺りとそう変わらない。


 此処から先はもう車は入れないと言われ、太一を先頭に木々の間の細い山道を全員が縦に並んで歩く。


 しばらく、道を埋め尽くす枯葉を踏む音だけがしていたが、やがて、太一が振り返り言ってきた。


「ところで、これが噂の新しいお前の夫か」

とほとりの後ろに居る環を睨む。


 太一より、環の方が少し大きいので、神様風に言うと、この見上げる構図が気に入らん、ということなのかな、とほとりは思っていた。


 しかし、『新しい』とかつけるのやめて欲しいんだが……と思っていると、太一は、


「やっと和亮と離婚させてやったのに、また、新たな苦労を背負い込むとは。

 実はお前、面倒ごとが好きなのか?」

と言ってきた。


 すると、

「なんで、環と結婚すると、面倒事になるわけ?」

と最後尾の繭が興味津々、訊いてくる。


 いや、実際は、最後尾ではないのだが。


 本当の最後尾は、太一には見えてはいないだろう。


 太一はそこで沈黙した。

 繭の問う答えを、今、此処で言うわけにはいかないからだ。


 黙った太一の背中を見ながら、繭が言ってきた。


「しかし、ほとりさん、いいねえ。

 周りいい男ばっかじゃん」


「いい男? 何処に?」

とほとりは素で訊いてしまった。


 がっしり肩幅が広く、自衛隊か? という体格と隙のない目。

 多少、輪郭がゴツイが、顔は整っている太一か?


 だが、こいつは、和亮と離婚してから、喧嘩腰だし。


 それとも、眉目秀麗とか容姿端麗とかいうのは、この人のためにあるのかな? と思う環か。


 だが、本当に夫なのかと思うくらい、他人行儀で、素っ気ないんだが。


 あるいは、ぱっと見、華奢だが、意外と筋肉質。

 色素の薄い綺麗な顔をした、繭か。


 ――ゲイだ。


 うむ。

 この男の場合は、一言で済むな……。


 そして、一番後ろは幾らイケメンでも、神様だしな、と思いながら、黙々と歩く。


「あそこだ」

と太一が少し離れたイチョウの樹の下から、その家を指差した。





 その家の敷地内にも、大きなイチョウの樹があった。


 いい具合に色あせた竹の柵に囲まれた庭で、老人が庭で縄跳びをしている孫たちを目を細めて見ている。


 その老人は、年の割には背筋がしゃっきりと伸びていて、なんとなく、蘭子を思い起こさせた。


「ずいぶん、丸くなったなあ」


 時には微笑みを浮かべて、孫と話している彼を見、太一が感慨深げに呟いていた。


「あれが、磯部元検事だよ」

と一応、紹介してくれる。


 確かに厳しそうな感じではあるが、人を呪うような人には見えないな、とほとりは思った。


 情熱の方向が違いそうというか。


 だが、

「……あの男だ」

と一緒に並んで見ていた神様が言った。


「姿形は変わっても、魂の形は変わらぬ。

 私に『蘭子』という女を呪えと言ったのは、あの男だ」


「……ありがとうございます。

 あの人らしいよ」

とほとりは太一に言ったが、神様が見えていない太一は、らしいよってなんだ? という顔をしていた。


 そして、

「どうする?」

と訊いてくる。


「昔、自分を捨てた許嫁を呪ったのは貴方ですか、と今の磯部朔太郎に言いに行くか?」


 太一は、やめておけ、という含みを持たせ、言ってきた。


 今、この平和な空間に持ち込む話題ではないとわかってはいるが。


 蘭子から依頼されたことだし。


 ……いや、まあ、嫁姑問題と、この箱は関係ないと思うが、とほとりは環の手にある紙袋の中の箱をチラと見る。


 でも、神様が行き場がなくて困ってるいるし。


 せめて、呪いをかけた社の場所だけでも教えて欲しいとほとりは思っていた。


 だが、そのためには、磯部に、貴方、呪いをかけましたね? と言わねばならない。


 うーむ、とほとりが悩んでいると、

「いつまで、そこに居る気かね?」

と滑舌の良い声がした。


 磯部朔太郎がこちらを見ている。


 ちょっと遠くから見ているつもりだったのだが、山で他に人影もないところに、この集団だ。


 最初から目立っていたに違いない。


「磯部さん、お久し振りです」

と太一が声をかけている。


 まだ、どうとでもごまかせる挨拶の仕方だ。


 今のうちにどうするか、考えろよ、と思っているようだった。


 だが、ほとりはおもむろに、環の手から紙袋を取り、

「すみません。

 我々、個人宅の清掃を請け負う業者なんですが」

と言った。


 横で繭が、

「居ない、居ない。

 こんな格好で仕事してる清掃業者の人」

と小声でケチをつけてきたが……。


 ほとりは、私のお気に入りのアンゴラのコートになにか文句があるのか、と思いながら、

「早瀬蘭子さんのお宅を今、清掃してるんです」

と言うと、磯部は目を見開く。


「蘭子さん、亡くなられたんですか?」

と訊いてきた。


 最近、誰も居なくなった実家の掃除をする業者がよくニュースなどでも取り上げているからだろう。


 磯部は、その死に驚くというか、悼んでいる顔をしていた。


 普通に昔馴染みの人間の訃報を聞いたときのように。


「いえ。

 ちょっと離れを片付けたいということで、蘭子さん本人から請け負ったんですけど」

と言うと、磯部は、ほっとした顔をしていた。


 まさか、彼も、何十年も経って、おのれの呪いが成就したとは思わないだろうが。


 まあ、そもそも、彼の望みは蘭子がこの世から消えることではなかったことだし。


 実は―― とほとりは紙袋から、あの箱を取り出した。


 磯部の表情が固まる。


「これを、元あった場所に返したいと思ってまして」


 そう言うと、磯部は目を伏せ、一瞬、考えたあとで、


「……どうぞ、おあがりください」

と言ってきた。



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