私は、神だ



 神、と名乗る男は周囲を見回し、ガスマスクをつけたままの環を見、ほとりの手にある同じものを見て、

「最近はそのようなものをせねば、息もできぬのか」

と言い出した。


 ……そこまでではありません。

 貴方のせいで、この部屋が汚かっただけです、と思ったあとで、いや、待てよ、と思う。


 今、箱から出てきたから、あの呪いの箱かと思ったのだが。


 この男、神と名乗ったな。


 別の箱なのか? とほとりが思っていると、

「どうした、娘」

と呼びかけてくる。


「いえ、あのー、貴方は、この家の人や蘭子さんを呪っていた人とは違いますよね?」


「いや、呪っていたが?」


 あっさり認めたぞ……。


「ほとりさん、噂の呪ってた男の人でも居たの?」

となにも見えてはいない繭が後ろから訊いてくる。


 そして、ノブナガ様はといえば、あれだけ、戦闘態勢だったくせに、ほとりの肩に逃げ、形ばかり刀を構えていた。


 ……駄目なノブナガ様だな、と思っていると、近くまで来ていた環が、

「あんたは神なのか。

 なのに、何故、この家の住人を呪う」

とその神様らしき男に訊いていた。


 あんた、と言われたのに、気にするでもなく、神様は、うむ、と頷く。


「うむ。

 実は以前、荒れ果てた我がやしろに来たものが居たので、ひとつ願いを叶えてやろうと思ったら、女を呪えと言い出してな。


 受けるとも言うておらぬのに、男は黙々とお百度参りをしはじめた。

 なので、仕方がない、叶えてやろうと思ったのだが」


 そこで一旦、言葉を止めた神様は俯き、


「……なんだかんだで、箱に閉じ込められた」

と呟く。


 なんだかんだって、一体、なにがっ!?

と思いながら、


「カミサマって、捕獲できるものなんですね……」

と胡散臭げにほとりが言うと、


「いや、そもそも、私を勝手に神にしたのも、お前ら一般大衆だからな」

と言い出した。


 おい、どんな上から発言だ、と思ったが、神様だった。


「私は普通の人間だったのだが、罠にはめられ、祟り殺されたので、祟り返してやったら、祀られたのだ」


 相手構わず、祟ってやったわ、と物騒なことを言う神様に、


「あー、日本人って、そういうとこありますよねー」

とほとりは言った。


 罠にはめて殺してみたら、祟ってきたので、祟られないよう、祀って、神様にしてあげました。


 だから、許して、みたいな。


 そんなことを考えている間、神様は、もう蓋の閉まっている箱を見下ろしていた。


「私は自由になったのだろうかな」


「そうかもしれないですね。

 それでは」


 やれやれ、これで、此処も片付くぞ、と思ったのだが、神様は箱を見下ろしたまま、何処へも行かない。


「どうしたんですか?

 はははは、とか言いながら、消えてくださいよ」

とほとりが言うと、


「それ、怪盗かなにかだろ」

と横から環が突っ込んでくる。


 いや、神様に遭遇したことがなかったので、上手い具合にイメージできなかったのだ。


 すると、神様は、ぼそりと言ってきた。


「……私の社は何処であろう」

「はい?」


「何処へ戻ればいいのかわからぬ」


 はっ、と気づいたように神様は言った。


「もしや、呪いかっ?」


「いや……ただの物忘れじゃないですかね?」


 どうしたらいいんだ、この神様。


 連れて帰ったら、家が荒れそうだし。


「あーあ。

 これで、此処片付いて、帰れると思ったのに~っ」

と思わず叫んで、繭に、


「いや、依頼、此処片付けるって話じゃなかったよね?」

と冷静に言われてしまった。




 とりあえず、このままでは埒があかないということで、ほとりたちは、蘭子たちには一旦、帰ると言い、離れを少し片付けて車に乗り込んだ。


 来るときには、自分と環と、肩に乗ったノブナガ様、だったのが、帰りには、後部座席に神様まで増えていた。


 繭も後ろをついて来ている。


 とりあえず、寺に着くと、松の木で揺れている男が、神様に、

「こんにちは」

と挨拶をし、神様は、うむ、と返していた。


 苦しゅうない、という感じだ。


 ノブナガ様といい、偉そうなヤツばっかり現れるな、と思いながら、ほとりは、神様に蔵の前まで来ていただいた。


「どうしたらいいのかわからないので、とりあえず、此処に入っていていただけますか?」


 幸い、此処には困ったら、なんでも放り込め、な蔵がある、と思い、そう言ったのだが、何故かまた少し開いている蔵の扉の中を窺った神様は、


「私に此処に入れと言うのか」

と言い出した。


「この蔵の中には、なにかおるぞ。

 強大ななにかが。


 このひとでなしめ」

と罵られる。


「いや……貴方、神様なんですよね?」


 すると、神様は、

「お前は物を知っていそうだから、わかるであろう。

 日本の神というのは、そこ此処に存在するもので、絶対的な神ではない」

と腕を組み、威張ったように言ってくる。


 ……つまり、自分の専門外のことに関しては、下手したら、その辺の悪霊より弱い、ということですかね?

と思いながらも、口に出したら怒られそうなので、


「と、とりあえず、その辺でおくつろぎください」

と言って、今後のことを打ち合わせるために、中でお茶にすることにした。


 庭に居る見えない犬は、神様に興奮し、繭に興奮し、何故かノブナガ様に怯え、大騒ぎだった。


 生きているこれだけ騒いだら、近所から苦情がくるな、と思いながら、繭を連れて母屋に入る。


 ノブナガ様は、庭に残り、犬をかまっておられた。


 掘りこたつに入った繭に、

「繭、中にさ」

と言いかけると、繭は、ぺらっとこたつ布団をめくって見、


「なんか居るんだろ。

 見えてないから、別にいいよ。


 蹴ったらごめんって伝えておいて」

と軽く言ってくる。


 いいな、見えない人。

 気楽で、と思いながら、お茶を淹れようとしたら、もう環がサッと淹れてくれていた。


 不出来な嫁に、花を持たせるためにか、お盆を渡してくれる。


「粗茶ですが……」

とせめて、そのお茶を出してみたが、環に、


「今、この場にふさわしい、へりくだる表現としては、ふつつかな嫁ですが、のような気がするが」

と言われてしまった。


 へりくだるべきは、お茶より、嫁だろうと思っているようだった。


 繭が笑う。


 よく気がつきすぎて、動きすぎる夫も困ったものだ……。





「神様、解放されたんだから、もう呪わないんじゃないの?

 何処のやしろだか知らないけど、箱ごと戻しに行こうよ」


 こたつでお茶を飲みながら、繭が軽くそう言ってくる。


 繭の差し入れを半分、蘭子さんちに置いてきたので、残りをみんなで分けて食べていた。


「何処の社だか知らないのが問題なんじゃない」

とほとりが言うと、


「あの神様、記憶喪失なのかなー?

 後ろから殴ってみたり、何処からか突き落としてみたりしたらいいんじゃない?」

と繭は笑顔で言ってくる。


「今度はお前が呪われるだろ」


 俺は別にそれでも構わんが、とつれない繭の幼なじみは言っていた。


「社の場所かあ。

 蘭子さんの許嫁の方のおうちの近くかもしれないわよね?」


 蘭子さんに住所を訊いてみようか、とほとりは言ったが、繭は、

「わかんないよー。

 ご利益ありそうな遠くの神社に行ったかもしれないじゃない」

と言ってくる。


「でも、荒れ果ててたって言ってたけど」


「そういうところの方がご利益ありそうだったんじゃない?」

と繭が言ったとき、環が渋い顔で言ってきた。


「だが、神様を社にお戻しして、それで解決か?


 問題は、嫁姑の仲だよな。


 本当のところ、箱も呪いも関係ないと思うが」

と言ってきた。


 そうなのだ。


 たぶん、そこは、箱は関係ない。


 あの離れだけが荒れ果てたように、この神様の力はそこより先までは及んではいなかったのではないだろうか。


「まあ、それはあとで考えるとして、とりあえず、蘭子さんの許嫁の家の近くを探すか」

と言って、環は立ち上がる。


 環が土間の方に消えると、繭が言ってきた。


「ねえ、ほとりさん。

 さっき、ほとりさんが煙でおじいさんになっちゃうって言ったとき、思ったんだけどさ」


 いや……その阿呆な話は忘れてください、と思ってると、繭はにっこり微笑み、言ってくる。

「ほとりさんなら、きっと、おばあちゃんになっても可愛いよね」


 ……照れるではないですか。

 女殺しなセリフを吐くな、このゲイは。


 いや、ゲイだから、意識せずに言ってこれるのか? と思いながら、ほとりは、まだ熱いお茶をすすってみた。





 殺す、繭。


 俺が死んでも言えないことを……っ、と土間とこたつのある部屋の境になっている、すりガラスの向こうで、環は息をひそめ、拳を作っていた。


「呪うか?」

といつの間にか側にいた神様が訊いてくる。


 ……呪いません、と思いながら、ガラス戸を開けた。





 縁側でスマホで話したあと、ほとりは、環と繭の居るこたつの部屋へと戻ってきた。


 何故、離れて縁側で話していたかと言うと、内緒話があったから――


 ではなく、室内だと電波の通じないときがあるからだ。


 だから、電波がいまいちなときは、こたつの部屋ではなく、縁側にスマホを置いている。


 その方が、電波が通じやすく、鳴ったら聞こえるからだ。


 田舎……悲しいな、と思いながら、ほとりは言った。


「太一が調べてくれるって」


「太一って誰?」

と繭が訊いてくる。


「友だちの弁護士。

 いろいろ、人探しのルート持ってるから」


 蘭子にも聞いたのだが、ざっくりとしたことしかわからなかった。


 蘭子の親は既に他界しており、他の親戚も、当時のことを知るものはもうあまり居ないようだった。


磯部朔太郎いそべ さくたろうさんか」


 とりあえず、蘭子から入手した元許嫁の名を口にする。


 そういえば、あの神様、自分に願掛けした人間の名前も知らないのか。


 祈願に行ったときなんか、神主さんが、誰が願いを叶えて欲しがっているのかわかるよう、名前を読み上げているではないか。


 この神様は聞いてはいないのか、と思っていると、


「で、それ、わかるまで、あの神様どうするの?」

と今は外で松の木の霊と話している神様の居る方角を見ながら、繭が訊いてくる。


「蔵に入ってて欲しいんだけど。

 嫌みたいだしねえ」

とほとりが言うと、


「本堂にお祀りしとくか?」

と環が言う。


「でも、あれ、神様だよ」


 あれ、というのもなんだが、と自分で言っておいて、ほとりは思う。


 まあ、その昔は、神仏習合だったからな。


 今も、お坊さんがやってきて、祝詞をあげていく神社もある。


「母屋に居てもらってもいいんだけど。

 本堂寒いし」

と言うと、環は眉をひそめ、繭は笑う。


「寒いとか暑いとか、神様感じるの?

 っていうか、あの神様、自分の社は荒れ果ててたって言ってたよね。


 もしかして、あの神様の行くところが、あんな感じに荒れるんじゃないの?


 物を集めるのが好きな神様って居るじゃん」


 いや、そんなゾッとするようなこと言わないでよ、と思いながら、ほとりが振り返ると、襖が少し開き、細く隙間が空いてた。


 どうりで寒いと思った、と思いながら、襖を閉める。


 誰が開けたんだろうな。


 ミワちゃんかな?


 ノブナガ様かな? と思ったが、どちらの姿も、今、そこにはないようだった。




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