小さなおっさんに名前をつけてみました


 素敵なおうちに、やさしいご主人との夫婦愛。


 いいお話を聞いた、で帰りたかった――。


 洋次が開けてくれた離れのドアの前で、ほとりは固まる。


 そこが噂通りのゴミ屋敷だったからだ。


「此処も一応、探したんですが。

 どうにも我々では見つけられなくて」


 そう洋次は恐縮したように言ってきた。


「片付けても片付けても、何故か散らかるし、埃がたまるんです」


 洋次は一通り説明したあと、邪魔にならないようにと言って、大量のゴミ袋を置いて、去っていった。


 ほとりは、電化製品や傘、ダンボールなどのゴミの山を見たまま呟く。


「ねえ、環……。

 此処、なにか居る」


 そのゴミの山の中に、よくない気配を感じたのだ。


 思わず、環の腕をつかむ手に力を込めたが、


「居るから呼ばれたんだろうが」


 そう素っ気なく、環は言い、ほとりの手をふりほどく。


 あっ、冷たっ、と思ったが、

「お前はそこで待ってろ」

と言って、環は、ひとりで離れに入ろうとした。


「待って、環っ」

と再び、腕をつかむと、環は何故かすごい勢いで振り返る。


 肩に乗っている戦国武将よりも身構えたその目つきに、


 ……私、今、なにかしましたかね、と思いながら、ほとりは、はい、と持っていた袋からそれを取り出した。


「埃っぽいかと思って、マスク持ってきたの」


「いや……、ガスマスクだろ、これ」

と環はまるで、戦時中のガスマスクのようなグレーでゴツイそれを見たまま受け取らない。


「いやいや。

 花粉症のらしいよ」

と言いながら、ほとりは、そのマスクを身につけた。


「……例え、花粉症に効くとしても、これをやって歩く勇気はないな」


 環はそう呟きながら、ゴミを避け、部屋の中に一歩踏み出したが、派手に埃が舞い上がる。


 環も一応、汚れてもいいような普段着で着ていたのだが、パンツの色が濃かったので、一瞬で、埃で真っ白になったのがわかった。


 次の一歩を踏み出さない環に、ほとりは無言で、ガスマスクを差し出す。


 環もそれを装備した。


 そういえば、ノブナガ様は大丈夫だろうか。


 ちっちゃいマスクはないが、と思い見たが、ノブナガ様は、ほとりの肩の上でやる気満々、刀に手をかけ、戦闘態勢になっている。


 鳥を見つけて、前屈みになり、今にも飛びかからんと、お尻をフリフリする猫のようだ。


 やがて、ゴミを避けるようにして、なんとか窓際まで行った環が、窓を開け始めた。


 ほとりも反対側の窓に向かい、新鮮な空気を入れてみる。


 まあ、風で余計、埃が舞っている気もするが……。


 ほとりはスキューバの空気タンクも持って来ればよかったな、と思いながら、ぐるりと室内を見回す。


 家の中はとても綺麗なのに。


 なんで、此処だけ。


 なにか異様な感じもするし、と思っていると、環が足許にあった電子レンジを持ち上げてみながら呟いた。


「勘のいい人だな」


「え?」


「蘭子さんだよ。

 母屋に置いておいたら、良くない感じがして、箱を此処に封じ込めたんだろう」


 母屋に置いたら、母屋がこうなる、と環は言う。


 かつての許嫁にもらったという呪いの箱。


 蘭子さんは、その呪いにより、箱を手放せなかったのか。


 手放しては悪い気がして、ずっと持っていたのか。


「でも、ずっと呪い続けるって、すごいことよね。

 その方は今でも、蘭子さんのことをお好きなのかしら?」


「いや……どうだろうな。

 そのとき、強く呪った気持ちが物に乗り移って残るってことはある。


 本人はもう忘れててもな」


 そのとき、ふと思った。


 環って好きな人とか居なかったのだろうかな? と。


 あまり恋愛などしそうにないタイプだが、これだけの男前だ。


 女の方から寄ってくるだろう、とおい、待て、お前こそ、他の男と結婚してたんだろうが、と突っ込まれそうな心配をしつつ、とりあえず、その辺を漁ってみた。


「端から外に放り出してみるか」

と環が大きな掃き出し窓の外を見ながら呟く。


 だが、たぶん、この家の住人も同じことをやってみても、駄目だったんだろうしな、と思ったとき、

「あ、居た居た。

 ほとりさん、環ー」

と窓の外で手を振る人影があった。




 此処は何処かの戦場だったろうか、と繭は思った――。





 蘭子の家の門をくぐると、カーテンの開け放された離れらしき場所に、ほとりと環の姿が見えた。


「あ、居た居た。

 ほとりさん、環ー」

と手を振ると、こちらに背を向けていた2人が振り向いた。


 思わず、帰ろうかと思った。


 2人とも、ガスマスクらしきものをつけていたからだ。


 此処は戦場か、と思いながら近づくと、

「あら、繭」

と言いながら、ゴミを避けつつ、ほとりがやってくる。


「なに? 手伝いに来てくれたの?」

とほとりは笑顔だが、


「いや、その予定だったんだけど。

 今、帰ろうかと思ったところ」

と繭は答える。


 なんで? というほとりに、

「今、此処に来て、君らの姿を見たら、どんな善良な市民でも逃げ出すよ……」

と言った。


 ゴミ屋敷から、凶悪なウイルスでも発生したのかという重装備だ。


「あー、まあ、もう手伝ってもらおうにも、マスクがないんだけどさ」

と言うほとりに、


「いや、はなから、それ、つけるつもりないから」

と言いながら、はい、と手にしていたバスケットをほとりに差し出す。


 中にはサンドイッチとオヤツが入っていた。


「差し入れ」


「ありがとう。

 でも、手を洗わないと食べられないわ」

とほとりは言う。


 いや、それ以前に、まるで片付いていないようなんだが……と思いながら、繭は掃き出し窓から覗くほとりの後ろを窺った。


 ガスマスクをした環が、しゃべってる暇があったら、働け、という目でこちらを見ている。


「まあ……2人じゃ大変かな」

と呟くと、


「手伝ってくれる気あったんでしょ?

 繭にしては、服が作業着っぽいじゃない」

とさすが目敏めざといほとりが言ってくる。


 手をつかんできた。


 少々、ドキリとしながら、離れに引っ張り上げられる。


 いや……ガスマスクした人相手にドキリでもない気もするが。


「ありがとう、繭。

 でも、まあ、実は、2人じゃなくて、3人居るんだけどね」

と言うほとりに、環が、


「2.1人くらいだ」

と言ったあとで、なんだかわからないが、足許を見て、いてっ、と言っていた。





 どうやら、ノブナガ様の自尊心を傷つけてしまったらしい、と刀で足を刺されている環を見ながら、ほとりは思っていた。


「大丈夫ですよ、ノブナガ様。

 大層役に立っている感じがしますよ」

と腰を屈めて、ノブナガ様に言うと、うむ、という感じで、ノブナガ様は頷かれる。


 確かに役には立っている。


 可愛くて和む、という点において……。


「なにか居るの? ほとりさん」

と胡散臭げに繭が後ろから訊いてくる。


「ノブナガ様よ」

と言うと、繭はだいたいその辺りを見ながら、


「ずいぶんちっちゃそうだけど。

 織田信長の子どもの頃の霊?」

と訊いてくる。


 子どもの頃の霊ってなんだ……と思っていると、

「ああ、こんにちは」

と外に居たらしい洋次が、繭に声をかけてきた。


「こんにちは」

と言ったあとで、繭は気付いたようで、


「陣中見舞いに来たんですが、すみません。

 土足で上がっちゃってて」

と謝っていた。


「あ、すみません。

 私がついつい、そのまま引っ張りあげちゃって」

と洋次にほとりが謝ると、


「いや、いいんですよ。

 なにも履かずに上がるのは危険ですから」

と洋次は笑って言ってくる。


 確かに。


 そこ此処にいろんなものが潜んでるからな。


 潰れて死んでいる茶色いアレとか。


 床にひっついて死んでいるクモとか。


 なにかのフンとか……。


 石川五右衛門の居る風呂でいいから、今すぐ入りたいと思っている間、繭と洋次が話していた。


「なにかあったら、買い取ってくださいよー。

 って、ないですよねー、この中に値打ちものとか」

と洋次が古道具屋の繭に言い、笑っている。


 そんなこんなで繭も手伝うことになったようだ。


「気をつけて、繭。

 足許にもいろんなものが居るから」


 マスク貸そうか、とほとりは言ったが、遠慮なのかなんなのか、断られた。


「いやー、うち、おじいちゃんの倉庫もこんな感じだから、大丈夫だよ。


 ところで、ほとりさん。

 ほとりさんの左側、真っ二つになったクモが落ちてるよ」


 そう言われ、ひっ、と側に居た繭の腕をつかむ。


 すると、せっせと外に物を出していた環が、

「死んだクモは別に怖くないだろ。

 生きてるヤツみたいに飛んでこないし」

と振り向き、言ってきた。


 繭が、

「このでかいクモを真っ二つにしたヤツが此処に居るってことの方が問題だよね」

と言い出したので、思わず、繭の腕をつかむ手に力を込めてしまう。


「繭。

 一緒にやろう」


「……いいよ」

と繭は少し笑って言った。


 ちょうど繭が近くに居たし、環に言うのは恥ずかしかったからだ。


 繭とせっせと荷物を運び出している間、ノブナガ様は、隅の方でなにかと戦っておられた。


 なにと戦っているのか、想像するのが、ちょっと怖いのだが……。




 なにが、繭、一緒にやろう、だ。


 みだりに男の腕に握るなっ、と思いながら、環は電子レンジを運び出していた。


 さっきは俺の腕をつかんできたのに、側に居れば、お前は誰でもいいのかっ。


 すがるように腕をつかまれて、どきりとした自分がなんだか損した気分だ、と箱の主のようにほとりを呪いながら、片付けていたのだが。


 ふと気づけば、そのほとりは動きを止めて、こちらを見ている。


 なんだっ? と威嚇するように見ると、

「ねえ、環……」

とガスマスクの女はこちらを指差した。


「さっきもそれ、運ばなかった?」


 そう言われて気づく。


 怒りに任せて運んでいたので、気づかなかったが、そういえば、さっきも電子レンジを運んだ。


 この家、何個も電子レンジがあるのかと思っていたのだが。


 よく見れば、同じもののような気がする、と自分の腕の中にあるそれを見下ろす。


 すると、繭が、

「言いたくないんだけどさ、ほとりさん。

 その目の前にあるダンボールも、さっき運んだよね……」

と言って、目の前に積まれているダンボールを指差していた。


 何処かの運送会社のものらしき、ウサギの絵の描かれたダンボールだ。


 ほとりは窓の外を見、

「そういえば、かなり運び出したはずなのに、全然外にあるのが増えてないわ」

と呟いている。


「一度出したのが、元に戻ってるってこと?」


 働きものの霊だね、と繭は言うが。


「いや……出してるつもりで、自分たちが戻してたのかも。

 怖い話でよくあるじゃない。


 誰がこれやってるんだろうな、と思って、カメラ仕掛けてみたら、実は自分たちがやってたっていうの」


 ゾッとする話だが、確かにそうかもしれないなと環も思っていた。


 霊がポルターガイストのように荷物を戻したと考えるより、霊の作用により、無意識のうちに自分たちが戻していたという方が納得できる。


「……仕掛けてみる? カメラ」

とスマホを手に繭が言ってきた。


「いや、ちょっと怖い……」

と言いかけたほとりだったが、途中でやめる。


「ノブナガ様、なにしてるんです?」

と部屋の中央でなにかをつついているノブナガ様に呼びかけていた。





 ノブナガ様がなにか、つついておられる。


 そう思いながら、ほとりはガスマスクを外した。


 ずっと窓を開けていたので、此処に入った最初ほど、埃っぽくはなかったからだ。


「なんですか? ノブナガ様」


 虫かなにかと戦っていたような、さっきまでの感じとは全然違っていた。


 ダンボールに乗り、隣のダンボールとダンボールの隙間を刀でツンツンしているノブナガ様は、警戒した感じに青ざめた顔をしていて。


 額に緊張のあまり、汗までにじみ出している……


 ような気がする。


 ノブナガ様が小さすぎて、よく見えないのだが。


 ほとりは、ノブナガ様がつついている隙間に顔を近づけた。

 すると、そこには、なんの変哲もない、木の箱があった。


 装飾もなにもない、つるんとした白い木の箱だ。


「あっ、こら、ほとりっ」

と環が叫ぶ。


 それをひょいとほとりが持ち上げたからだ。


「触るな」

と環は言うが、いや、もし、これが例の箱なら、呪っているのは、蘭子さんとその家族なので、自分たちには関係ないはずだ。


 まあ、此処から持ち出そうとしているので、少々怒っているかもしれないが。


 すると、窓際に居た環の代わりにか、繭が、ぺし、とほとりの手から、箱を叩き落とした。


 箱は下に落ち、蓋が開く。

 中から煙が立ち上った。


 いや、単に、まだ埃のたまっていた隙間に物が落ちて、埃が舞い上がっただけだったのかもしれないが、ほとりの目にはそう見えた。


「……なにやってんの? ほとりさん」


 後ろに立つ繭が問う。

 慌てて後退したほとりが顔を覆っていたからだろう。


「いや、だって、箱から煙が立ち昇ると、おじいさんになるって言うじゃない」

と言うと、


「おじいさんにはならないよ」

と繭は笑って言ってくる。


 いや、なんとなくよ、なんとなく、と赤くなって、ほとりが思っていると、

「おじいさんじゃないよ、おばあさんだよ、ほとりさんなら」

と繭は言った。


 いや、そうじゃなくて……と顔の前から手を退けたほとりは、すぐ側まで来ていた環が、黙って、正面を見つめているのに気がついた。


 なに? とその視線を追うと、箱が転がった場所に若い男が立っていた。


 その姿は、ダンボールの隙間から立ち昇るように揺らめいて見えている。


 色白、面長で整った顔をしたその男は白の直衣のうし姿だったが、髪は結い上げておらず、長いまま垂らしていた。


「……誰?」


 思わず、問うたほとりに、汚部屋の中央に立つその神々しいイケメンは堂々とした口調で言ってきた。


「私は神だ」


 ……神?


 そのとき、ほとりの脳裏に真っ先に浮かんだのは、この間、環のスマホに送った変換間違いの文字だった。


『神が出てきたよ』


 探してた書類の紙が出てきたと打ったはずだったのだが……。


 いや、本当に神が出てきてしまった。


 だが、格好はそれっぽいが、腕を組んでちょっと斜めに立つその姿が、陽炎のようにユラユラ揺れて見えるので。


 他のラッパーと対決中のラッパーが自分の番を待ちながら、リズムを刻んで揺れているように見えてしまった。


 それか、ゲームのキャラだな、とほとりは思う。


 しゃべっていないときには、意味もなく揺れているああいう感じ。


 神様というわりに、予想外に顔が今風のイケメンだったせいで、そういう発想になってしまったのかもしれないが。


 むしろ、環の方が古典的なまでに整った顔をしている。


 そんな失礼なことを考えていると、誰からも反応がなかったせいか、神はもう一度、繰り返してきた。


「私は神だ」


 一瞬、迷って、ほとりは言う。


「……そうなんですか」


 お望みの答えではなかったかもしれないが、他に返しようもなかったからだ。









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