便利屋さんだったんですか?


 たくさんの物の中に埋もれてしまえば、わからない。


 多くの善良な人の中に埋もれてしまえば、犯罪者も見えなくなるように。


 今日も己れの罪をひっそりと暗い箱の中に埋める――。





『えー。

 なんですか、それ。


 お坊さんのところに嫁いだんじゃなかったんですかー?』


 便利屋さんだったんですかー? とスマホの向こうで未來みくが言ってくる。


 翌日、ほとりが縁側に座り、蘭子の話を思い返していると、未來から電話がかかってきた。


 これから檀家さんに頼まれて、物を探しに行くのだと告げると、未來が便利屋かと言ってきたのだ。


 っていうか、こいつ、仕事中に暇を持て余したときに、かけてきてるんじゃないのか?


 太一にチクるぞ、と思いながら、ほとりは目の前の山を見つめてしゃべる。


 ……というか、四方八方、山しかないのだが。


『いいですよねー、お坊さんも。

 お金持ってそうですもんねー』

と言う未來に、


「この寺に金はないわよ」

と返す。


『でも、環さんのご実家にはあるでしょう?』


 一応、環はそのご実家とは縁を切って、此処に居るんだが……と思っていると、


『いずれ、環さんは、こちらに帰られて、お父様の後を継がれますよ。

 それまでの我慢ですよ、ほとりさん』


 そう未來は言ってくれるが。


 いや、まあ、街に帰れるのはいいんだけど。


 代議士の妻とか大変だから嫌なんだけどなー、と思う。


 代議士の娘をやってるのでさえ、めんどくさかったのに。


 というか、今更、環があの世界に戻れるかと言うと――


 かなり難しいところだろうが。


『ああでも、環さん、お金持ってますよね』


 四億円、と未來が言い出す。


 声がでかい。


 あんたの声、だだ漏れなんだってば、と思っていると、庭先を近所のおじいさんがクワを持って通って行った。


 頭を下げると、にこやかに挨拶を返してくれる。


『ほとりさん、お客様ですか?』

と聞こえたらしい未來が言ってきた。


「いや、庭先を近所のおじいさんが通っていっただけ」

と言うと、


『すごいとこですねー。

 居間で寝てたら、目の前を見知らぬ人が通ってく感じですよねー』

と言ってくる。


 縁側でくつろいでいることも多いので、まあ、そんな感じではある。


「でもなんか、そこんとこは慣れてきた」

と言うと、ええーっ? すごいですねーっ、と未來は言う。


『まあ、ほとりさんはいつでもきちんとした格好してるから。

 私なんて、休日の姿は誰にも見せられませんよー』


 そこで、

『あ、先生、お帰りなさい』

と未來が言うのが聞こえた。


 いきなり電話が切れる。


 やっぱり、太一が出かけてる隙にかけてたな、と思いながら、ほとりは縁側にスマホを置いた。


 まあ、この未來のマイペースさが心地よくもある。


 こちらも気を使わなくていいからだ。


『ああでも、環さん、お金持ってますよね。


 四億円』

という未來の言葉を思い出しながら、


 いや……、四億かと思ったら、死体が出てきたんだけどね、と思っていると、檀家さんから帰ってきた環の姿が坂のところに見えた。


 近場だったので、歩いていったらしい。


 格好いいよな。


 黒の僧衣が整った顔によく映える、とぼんやり、一応、自分の夫な人物を眺めていると、環はこちらに気づき言ってきた。


「行くぞ、ほとり。


 ……汚れてもいい格好に着替えろ」


 昨日の繭の話を念頭に置いてか、そう付け足して。






 ほとりさん、今日行くって言ってたっけな?


 繭は店で皿を棚に片付けながら、壁にかけてある古いハト時計を見た。


 ハトはもうとっくの昔に壊れてなくなっていて、時間になっても、なにも出てこないのに、扉が開くだけなのだが。


 祖父の頃からこの店にあるものなので、そのまま壁にかけてあった。


 それにしても、自分の家が片付けられるかも怪しいほとりさんに、汚部屋おべやが片付けられるのかなあ。


 何故か、壊れた電子レンジを手に、ゴミの山の中でどうしていいかわからず、うろうろして怒鳴られているほとりの姿が頭に浮かぶ。


 思わず、笑っていた。


 もう一度、時計を見る。


 まあ……この時間はあんまりお客さん、来ないから、と思いながら、振り向いたとき、後ろの戸が少し開いていることに気がついた。


 それを閉め、

「ちょっと行ってみるかな」

と繭は笑って呟いた。






「あのー、環。

 後ろになにか乗ってるみたいなんだけど」


 蘭子の家に向かっているほとりは、環の運転する古いセダンの助手席で呟いた。


「気にするな」

と環は言うが。


 ほとりはバックミラー越しに、チラと後ろを確認した。


 ……なにも映ってないな。


 気のせい? とひょいと振り返ると、後部座席に片膝立てた甲冑姿の小さいおっさんが居た。


 一見、くつろいでいる風だが、いつでも斬りかかるっ! という目をしている。


「環っ、おっさんが居るっ!」

と助手席の背をつかみ、後ろを向いたまま、ほとりは叫んだが、環は見もせずに、


「……気にするな」

と繰り返すだけだ。


 おっさん、やっぱりあれから、蔵に戻れていないのか? と思いながらも、今更引き返すわけにも行かず、仕方なく、おっさんも連れて、蘭子の家へと向かった。




 蘭子の家は落ち着いた日本家屋だった。


 蘭子には似合っていないかもしれないが、よく手入れされたいいおうちだった。


 なんだ。

 やっぱり噂話なんてあてにならないじゃない。


 そう思いながら、ほとりは居間の、昔、職員室で見たような茶色い落ち着いたデザインのソファに座り、ご夫婦の話を伺っていた。


 お茶もお菓子も美味しい。


 蘭子の夫、勝久かつひさは、やはり、足が悪いようで、座ったままではあったが、笑顔が素敵で話も面白く、ほとりたちを上手にもてなしてくれた。


 さすが蘭子さんが恵まれた実家での生活を捨ててまで嫁に来たほどのことはあるな、と思いながら、ほとりは夫の横に座る蘭子を見た。


 私……


 私はどうなのかな?


 ふと、そう思い、チラと横に座る環を見た。


 いかなる理由があったにせよ、実家に帰らず、今も此処で慣れない暮らしを続けているのは、環自身が気に入っているからなのだろうか。


 そんなことを考えながら、ほとりは、勝久の話に相槌を打ち、笑う。


 環はそんなに話す方ではないが、勝久とは話が合うようだった。


 このままなら、問題なく終わるかな、とほとりは思っていた。


 まあ、私の横に小さなおっさんも座っているのがちょっと気にはなるが……。


 ソファに正座したおっさんは、両の膝に手を置き、頷きながら、勝久の話を聞いている。


 そこで、ドアが開き、息子の洋次が顔を出した。


「では、長谷川さん、すみませんが、こちらに」


 洋次は本当に申し訳なさそうに、そう言ってきた。


 なんだか嫌な予感がしてきたぞ、と思いながら、ほとりは、環とともに、洋次についていく。


 そういえば、私も長谷川さんと呼ばれるわけだな、と今、どうでもいいことを思いつつ……。


 町の人たちは、環のことは、環ちゃん、自分のことは、ほとりさん、と呼ぶことが多いので、そう考えると、ちょっと新鮮だった。


 洋次について、長い廊下を歩いていると、

「肩にのせるな」

とぼそりと環が言ってきた。


 おっさんは、ほとりの肩に乗っていた。


 車から降りるときに、さっとドアを閉め、閉じ込めてきてもよかったのだが。


 冬の始めとはいえ、真昼に車の中にずっと置いておくと、暑くて死んでしまうかもしれないと思って、連れてきてしまったのだ。


「名前をつけようかしら」


 そうほとりは小声で言う。


 なんて? と問われ、おのれの肩の上を見下ろしたとき、兜の下の鋭い目が見えた。


「じゃ、ノブナガ様」


「……やめろ。

 気が短くなりそうだから」


 そう言ったあとで、環は足許を見る。


「チリひとつないな」


 建物は古いが、掃除が行き届いていて、何処もかしこも綺麗だ。


 だが、

「此処なんです」

と申し訳なさそうに、長い廊下で繋がったその離れを洋次が手で示したとき、異様な感じがした。


 そのすりガラスのはまったドアを見ながら、ほとりは思わず、環の腕をつかむ。


「……どうしよう、開けたくない」

と呟いて、


「お前、昨日、肉食ったろ」

と言われる。


 そうなのだ。

 簡単に見つかるかもしれないから。


 そしたら、諸経費として十万円から少しもらって、あとは返そう、と思っていたのだが。


 まあ、お肉くらいは買ってもいいかと、スーパーの移動販売がちょうど来たこともあり、ちょっといいお肉を買ってしまったのだ。


 環が焼いてくれた肉、火加減も塩加減も程よくて、美味しかったな……とその味を思い返しながら、ほとりは仕方なく、そのドアの前に立つ。








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