誰モ 居ナイヨ……
「いらっしゃい。
なんだ、ほとりさんじゃん」
カランコロンと昔ながらの音がする扉を開け、ほとりが店内に入ると、繭がカウンターから顔を上げ、こちらを見た。
「結局、どうしたの? あの死体」
他に客も居ないので、デカイ声でそんなことを訊いてくる。
ほとりはカウンターに座り、
「くずもち……」
と呟いたあとで、
「環に言えなかった~……」
と溜息をつく。
「なんでなんで?
環がやったと思ってるから?」
「……なに陽気に訊いてんのよ」
と死体の入っていない冷蔵庫を開けながら、楽しげに言ってくる繭を睨む。
「違うと思うけど。
まあ……あんまり古くなさそうな死体だったわね。
美和さんが居たときに入ったってわけじゃなさそうな」
と呟くと、すぐに、
「はい」
と素敵なガラスの器に入ったくずもちが出てきた。
「インスタントじゃんっ」
「当たり前だよ。
いちいち、こうろこうろと混ぜて作れるとでも思ってるわけ?」
くずもちを作るのは根気がいる。
水で溶いた葛粉を火にかけ、透明になるまで混ぜ続けないといけないからだ。
「美味しいよ、それ。
出来てるの出すだけのヤツもちゃんと僕が味見して選んでるんだから」
と素敵な笑顔で言ってくる。
ぷるぷるで舌触りのいいそれを食べながら、上目遣いに繭を見る。
「まあ、繭が居るってだけで、ぼったくりの値段でも、女性陣には許容範囲よね」
「ほとりさんには?」
と訊かれ、
「ま、此処に来ると、日々のストレスが発散できるから、許容範囲かな」
と言って、繭が淹れてくれた熱いお茶を飲む。
うん、美味しい、と思った。
甘さがお茶で流されて、さっぱりする。
「いや、それがさ。
冷蔵庫の話する前に、環が妙な依頼を受けてきちゃってさ」
「へえ、どんな?」
と言われ、
「お坊さんも守秘義務があるから言えません」
と言うと、
「早瀬さんちだろ?
僕、此処で相談受けたから、環のところに行ってみたらって言ったんだ。
今は不思議なお嫁さんが居るから、なんとかしてくれるかもしれませんよって」
と言ってくる。
「……不思議なお嫁さんってなに?」
「離婚して、会ったこともない男のところに、ひょこっと嫁にやってくる、不思議なお嫁さん。
それで、結構町に馴染んでるの」
と繭が言い出す。
「馴染んでる?」
と訊き返すと、
「床屋の大沢さんが言ってたよ。
あれはいい娘さんだって」
と言ってきた。
「……散髪屋さんとは、いや、おせんべいるかね。
ありがとうございます、くらいしか、会話してないんだけど」
と言うと、
「ほとりさんって、そんなつもりないと思うんだけど。
お嬢様で美人だから、ぱっと見、近寄りがたいんだよね。
高飛車そうって言うか」
蘭子さんみたいに、と言う。
「でも、ほとりさんの方は、ほら、話しかけてみると、誰にでもフレンドリーじゃん。
だから、そのギャップで、頭の固いお年寄りは、逆に、あの子はいい子だってなるみたいなんだよね。
ほら、いい人がちょっとでも悪いことすると、あいつは実は悪いヤツだってなるけど。
悪いヤツが、ちょっとでもいいことすると、あの人の方がいい人だってなるじゃない。
理不尽なことに。
あれと一緒だよ」
と繭は言ってくる。
どんな例え話だ……。
っていうか、この話が何処に帰結するんだ、と思っていると、
「早瀬さんち、蘭子さんが住んでる方の家。
人が立ち入らないスペースはゴミ溜めみたいになってるって噂だよ」
と繭は言う。
えっ? と言うと、
「だからさ。
僕も行って、手伝ってあげるよ」
と繭は笑顔で言ってきた。
そうか。
そのゴミ屋敷の中から探さないといけないから、十万円なのか……と今、気がついた。
どうりで息子さんが申し訳なさそうな顔をしていたわけだ。
「その代わり、バイト代ちょうだいねー」
と繭は言ってきた。
まさか、それ目当てに、早瀬さんに話を振ったのか? と思いながらも、はいはい、と言ったとき、繭の後ろのすりガラスになにかの影が動くのが見えた。
あれ? とほとりは繭の身体の後ろになっているそれを見るように、身体を少し傾けてみる。
「繭、奥に誰か居る?」
「え? 誰も居ないよ」
と笑顔で言われ、……そう、と答える。
確かに今は、なんの影も見えなかった。
でも、なにか居たような。
猫みたいな、小さなもの……。
小さなおっさんだろうかな、と思いながら、ほとりはお金を払って、外に出た。
また、あの嫁は何処行ったんだ、と思いながら、環は消えたほとりを探して、寺の敷地内を歩いていた。
いつぞやは居なくなったと思ったら、蝶でもないのに、裏庭で蜘蛛の巣にかかって、ぎゃあぎゃあ言っていたが……。
まさか蔵に閉じ込められているとか?
と勝手に開いたり閉じたりする蔵の扉を見ていると、ふと、気配を感じた。
なんというか。
とっちらかっている気配だ。
……気配がとっちらかっているというか。
上手く言葉では言い表せられないが。
納屋の方だな、と思っていくと、いつもは静かな納屋の中がなんだか騒がしい感じがした。
……あいつらのような気がする。
ほとりと繭。
俺が帰ってきたとき、明らかに様子がおかしかったからな……。
この納屋の中の静寂を破り、大騒ぎしていった気配がまだそこに残っていた。
なんなんだろうな、と思いながら、見回してみたが、特に変わった様子はない。
端にあった漬け物樽などを開けてみる。
うっ、と思うような匂いがした。
好きな人間にはたまらない匂いなのかもしれないが、自分は苦手だ。
ほとりも同じようで、まれにもらった漬け物が食卓に上っていても、手もつけない。
年をとったら、美味いと思うようになるのだろうか、と思いながら、今度は反対側の壁際にある冷蔵庫を開けてみた。
少し開けたところで、なにかが落ちかけたので、隙間から確認し――
……そのまま、ぱたんと閉めた。
そのとき、車が坂を上がってくる音がした。
ほとりのようだ。
彼女に不似合いな古いセダンは自分が来る前から、此処にあったもので。
たまに、後ろになにかが乗っている。
自分も気にしないが、ほとりも気にせず、乗り回しているようだった。
自分が特に急ぐでもなく、納屋から出ると、ちょうど車を止めたほとりが走ってきた。
「おかえり」
と言うと、ほとりは、
ん?
何処行ってたんだって怒らないのか? という顔をした。
そして、此処は、なんで怒らないの? とか突っ込まない方がいいのかな、という顔をする。
そして、更に、よし、この話題には、触れずに流そう! という顔をし、
「環っ。
十万円の訳がわかったわっ」
と言ってきた。
……なんというわかりやすい奴だ。
こういうところは可愛らしくもある、と思いながら、聞いていると、
「さっき、繭が言ってたんだけどさ」
とほとりは言い出した。
やっぱり、繭のところに行ってたのか、と思っていると、
「蘭子さんの住まいの一角がねっ」
と言いかけ、その勢いで、腕に触れてこようとして、やめる。
おい、嫁、と思っていると、ほとりは、少し照れたような顔をし、
「蘭子さんの住まいの一角がゴミ屋敷になってるみたいなの。
たぶん、そこに問題の箱があると息子さんは思ってるんじゃないかしら。
だから、十万円なのよ~」
と言ってきた。
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