呪われているのです


「息子の洋次ようじです」

と下僕を紹介するような仕草でその早瀬蘭子はやせ らんこというおばあさまは、軽トラを運転していたおじさんを紹介する。


 背筋のしゃっきりとした蘭子は、

「この名は義母がつけました」

と何故か少し後ろに下がって座っている息子を見ながら、付け足してくる。


 ……気に入らないのですか、息子さんの名前、とお茶を出したあと、環の横に座りながら、ほとりは思っていた。


「すみません。

 そのー、今度、私、転勤することになりまして。


 今までは母と近所だったんですが、一家で引っ越すことになったんです。

 それで、お別れの前に、家族旅行に行くことになったのですが。


 そのー……」

と洋次は言いにくそうに言う。


「私と嫁の仲が悪いのです」

 はっきり蘭子はそう言った。


 悪そうですね。


 って、見た目で決めてすみません、とほとりが心の中で謝っていると、蘭子は、

「いつもは菜々子さんと出かけるのは断るのですが、孫の晴太はるたがどうしてもと申しまして」

と言い出した。


 菜々子というのが嫁の名前らしい。

 蘭子さんも孫には弱いようだが。


 ところで、晴太という名前は誰がつけたんだろうな、とほとりは思う。


 さっきみたいな注釈がないが、と思っていると、蘭子は、いきなり、

「私は呪われているのです」

と言い出した。


「我が早瀬家に、あのような嫁が来るなど。

 きっと、呪われているのです」


 なにかとんでもないことをおっしゃってますが、蘭子さん……。


「旅行の打ち合わせをしていても、ひとつも気が合わない。

 最後の旅行くらいは、なんとか上手くやりたいのに。


 やはり、私は呪われているのです」


 実は、思い当たる節があるのです、と蘭子は言う。


「昔、私の家族が上手くいかないよう、呪ってやると言った男が居たのです。

 その男が最後に置いていった箱が我が家の何処かにあるのです」


 ……何処かに?


「それを探してください、環さん。

 そして、箱を供養してください」


 供養していいのだろうかな、と一瞬、思ってしまったが。


 美和さんが成仏させるなと言った蔵の中のものとは違うので、まあ、いいのだろう。


「箱を供養したあかつきには」


 あきつきには?


 嫁を叩き出す気じゃないだろうな、とその口調に思っていると、

「あの呪われたような性格の菜々子さんも素直な良い嫁となるでしょう」

と蘭子は言う。


 後ろで洋次が小さく手を振っていた。

 おそらく、呪われたような性格とやらではないのだろう、その嫁は。


「旅に出るまで、あと十日」

と蘭子が呟いたとき、ほとりの視界にそれは入った。


 とてとてと障子を開けたままだった本堂の隣の部屋からやってくる甲冑姿の男。


 体長15センチ。


 ひっ、とほとりは身構える。


 その小さなおっさんが、蘭子の真横を刀をたずさえ、隙のない目つきで歩いていたからだ。


「嫁と不愉快な旅などしたくありません。

 それまでに、なんとかしてください」

と言う蘭子の言葉を聞きながら、ほとりは、


 どうしたんですかっ。

 また誰か扉を開けていたのですかっ。


 それとも、昨夜、蔵に戻りそびれたのですかっ、と目だけで、小さなおっさんを追っていた。


「よろしくお願いします」

と蘭子は頭を下げてきた。


 環と一緒に頭を下げ返したが、環の視線も、今度は蘭子の前をとっとっとっと、と横切っていく甲冑姿のおっさんを見ているようだった。


 蘭子たちを送り出したあと、ほとりは思う。


 ハラハラしたが、誰にも見えてはいなかったようだし。


 小さなおじさんのおかげで、ちょっと気持ちが和んだかな、と。


 ……顔はやはり、おっさんだったが。






「嫁と合わないのは、呪われてるからって、どういう発想なんだろうね」


 蘭子たちの軽トラを見送ったあと、ほとりは呟いた。


 というか、家族が上手くいかないよう呪われるってどうなんだ、と思っていた。


 この田舎で、自分も浮いていると思うが、あの人もきっと相当浮いている……、と軽トラから降りてきた、何処ぞの奥様のような蘭子の姿を思い出していると、環が言ってきた。


「かなりの名家のお嬢様だったらしいぞ。

 それがなにを思ったか、こんな片田舎の男に惚れて、嫁に来たらしい。


 ……未だに此処には馴染めていないようだが」


「それは……余程、お好きだったのね、ご主人のことが」

と言いながら、未だに馴染めない、という言葉に、ほとりは、ぞくりと来ていた。


 環が、『例の件』を清算せず、街に帰らないのなら、このまま此処で暮らすことになる。


 環と別れない限り――。


 いつか私も此処の暮らしに慣れるだろうかと思っていたのだが。


 まさに今、見てしまったな。


 何十年経っても、暮らしに馴染めてない人を……。


「蘭子さんには許嫁が居たんだそうだ」


 そう環は語り出す。


「もしかして、家族が上手くいかないよう呪ってるって言ったのは、その人?

 でも、お嫁さんが来るまでは……」


 上手くやってたんじゃ、と思ったが、息子の名を義母がつけたと言ったときの蘭子の不満そうな顔を思い出していた。


「お姑さんに言われて、お姑さんが亡くなられるまでは、地味な格好してたらしいぞ。


 そういえば、ちょっと覚えてるんだが。


 子どもの頃、商店の近くで、落とした飴を女の人が拾ってくれた。


 普通の格好をしていたが、何処か周りと違うというか。


 髪型とか化粧とか、軽くつけていた香水のせいだったかもしれないが。


 それでなんとなく記憶に残っていたんだが」


 今思えば、あの顔は蘭子さんだった、と環は言う。


「……ずっと我慢してたものが、自由になって、一気に弾けたわけね。

 わかるわ」

と思わず、呟いてしまい、環に、


 お前は今でも弾けてるだろうが、いう目で見られてしまった。


「でもなんか、憧れちゃうなー。

 そんな我慢の連続でも、此処に居続けたいと思うほど、ご主人がお好きだったとか」

とうっとり呟いて、そこで、また、お前は……? という目で見られる。


 いやいや。

 貴方と私は、まだ出会ったばっかりじゃないですか。


 ……ねえ?


「ところで、ご主人は来られてなかったようだけど」


「足を悪くしているから、あまり出歩かないと聞いたな。

 旅行には行かれるようだ。


 それもあって、旅行中、嫁と上手くやりたいんだろう」


 そりゃそうか。

 旅行中、妻と嫁がいさかっていたら、一緒に行っているご主人やお孫さんたちも楽しくないもんな。


 蘭子さんなりにいろいろ考えたけど、どうにも上手くいきそうにないので、思いつめて、その何十年前にもらった怨念の箱のせいに違いないと思ったわけか。


「人は思い詰めると、とんでもない発想にたどり着くものね……」

と呟くと、


「まあ、そうでもないぞ。

 実際、持ってると、運気が下がる物とかあるしな」

と環は言う。


 ほとりは蔵を振り返りつつ、

「……ありそうね」

と呟いた。


「でも、お姑さんのときには、その箱、探そうとしなかったのに、今はそれを探そうとしてるってことは、お嫁さんとは上手くやりたいと思ってるってことよね」

と笑うと、


「……ポジティブだな」

と環は言う。


 懐から、ごそりと環が封筒を出してきた。


「今回の諸経費とお礼にと、あの息子さんがくれたんだ。

 薄かったから、線香代くらいのつもりでもらったら、新札で十万入ってた」


「十万!?」


「こんなものもらえないと言ったんだが。


 ……何故だか。


 これでも少ないかもしれない。

 あとでわかる。


 とっておいてくれと言われて」


 嫌な予感しかしないんだが……と渋い顔をしながら、環はその封筒を見つめていた。







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