ちいさなおっさんもいます
目覚ましが鳴るまでは、なにもかも忘れてていい。
昔、そう言われたから。
今でも、忘れていたいことがあったら、目覚ましをかける――。
外のトイレは怖いと思うのに。
何故、行ってしまうんだろうな。
深夜、欠伸をしながら、土間のサンダルを引っ掛けながら、ほとりは思う。
実は母屋の中にもトイレはある。
だが、長い廊下を通っていく、日の当たらない場所にあるそこよりも、外のトイレの方がなんだか行きやすい。
昼間は明るいからというのがあるだろうが。
夜は――
開放的だからかな?
そんなことを考えながら、トイレから出たとき、気がついた。
月明かりに照らされ、白い土壁がぼんやり闇夜に浮かんでいる、いわくつきの蔵。
その扉が、ほんのわずかばかり開いていることに。
あれっ? 鍵は? と思って見ると、南京錠は下に落ちていた。
誰が。
環かな……?
いや、環は家の中に居たようだが、と思いながら、つい、蔵に近づく。
南京錠は壊されてはいなかった。
普通に鍵が開けられ、地面に投げられている。
鍵……。
一体、誰が……と思いながら、ほとりはつい、その隙間に顔を近づけた。
この蔵の怖い話を忘れたわけではない。
あまりに月が明るかったので。
安心感があったのか、つい、うっかり、ひょい、と覗いてしまった。
すると、噂通り、そこに目があった。
ほとりの目の高さに、誰かの目がある。
ひーっ! と思いながらも、ほとりがフリーズして、動けないで居ると、足の上をなにかがごそごそし始めた。
ゲジゲジ!?
霊より怖い虫に勝手にかかっていた金縛りが解け、はっ、と下を見る。
すると――
小さなおっさんがほとりの足の上を歩いていた。
戦国武将のように甲冑を着たおっさんだ。
初めて見た……とほとりはその小さなおっさんを振り落としてしまわないよう、足を見つめたまま、また、固まる。
これが、小さなおっさんか。
都市伝説だと思ってた。
小さなおっさんは、ほとりの視線に気づくと、チラ、と隙のない目でほとりを見上げたが、なにも言わずに、隙のない様子で歩いて何処かに行ってしまった。
なんか可愛いな。
おっさんだし、邪魔する奴は斬る! くらいの目つきだったが。
サイズが小さいと、なんでも可愛く思えるものだ。
可愛いおっさんに、瞬間、
昼間のように月が明るかったので、気が大きくなっていたのだろうか。
そのまま逃げればいいものを、ほとりは、もう一度、扉に手をかけてしまっていた。
軋む重い扉を開けてみる。
蔵の中はしんとしていた。
なんか……此処だけ別の空間みたいだな、と静まり返った蔵の中をほとりは見つめる。
高い位置に小さな明かり取りの窓がある。
そこから斜めに差し込む青白い月の光の中。
ほとりが扉を開けたせいだろうか、舞った埃やチリがキラキラ輝きながら浮遊していた。
ちょっと幻想的で綺麗だな、と思ったとき、いきなり、誰かがポン、と肩を叩いた。
ひっ、と振り返りざま、殴りかかろうとしたのだが、手首をつかまれ、止められる。
「莫迦、俺だ」
月明かりの下、環が立っていた。
「なにしてるんだ?」
と問われ、
「いや……蔵の鍵が外れて、隙間があいてたから、つい、中を覗いたら、目があって。
で、今度は、後ろから肩を叩かれたから、霊かなー? と思って」
殴りかかった、と言うと、
「何故、霊に殴りかかる……」
と呆れたように環は言ってくる。
環は地面に落ちている南京錠を拾ってみていた。
だが、何故か、それをまた地面に置く。
扉に手をかけ、中を覗き、
「他になにか見たか?」
とほとりに訊いてきた。
「あ、えーと。
そうそう。
小さいおっさんを見たわ」
と言うと、振り返った環は、なんだそれは……という顔をする。
「本当に居るのね、小さいおっさん。
あれ、いつも此処に居るの?」
と訊いたが、環は蔵の中を見ながら、
「俺は見たことないが。
座敷童的なものじゃないのか。
いいことあるかもしれないぞ」
と適当なことを言ってくる。
いや、わらべじゃなくて、おっさんなんだってば、と思いながらも、ほとりは黙って、一緒に中を覗いた。
奥側から風が吹いてくるかのように、冷たい空気と湿った匂いが流れてくる。
まるで、洞穴かなにかを覗いたときのようだとほとりは思った。
「前の住職が、いわく付きの品を預かっては、供養せずに放り込んでいたからな。
……まあ、いろいろある」
と横で環は呟いている。
いろいろあるっていうか。
いろいろ居そうなんだけど……、と思ったほとりの視界にそれは入った。
「あ、踏み台がある」
そう言いながら、ほとりは蔵の隅にあった小さな木の踏み台を指差した。
「あれ、あると便利なんだけどな。
いや、お前の身長ならいらないだろう、という目で見たあとで、環は言う。
「あれはやめとけ。
乗ると必ず落ちる踏み台だと美和さんに聞いた」
なんなんだ、その役立たずの踏み台は……と思いながら、そこで気づいた。
なんだかすごく近くに環が居る。
一緒に扉のところに立ち、覗いているせいだ。
自分が急にそのことを意識したのに気づいたように、環がこちらを見下ろしてきた。
どきりとしながらも、ほとりは、
「あ、あのー、環」
と気をそらすように言い、蔵の中を指差す。
「あの――
えっ?
あのぐるぐる回ってるの、なにっ!?」
最初は動いているものが目についたので、適当に訊こうとしただけだったのだが、それがなにかを認識した瞬間、ほとりは戸惑うように大きな声で訊いていた。
片隅の和箪笥の上に載っている大きなこけしの首が何故だか、ずっと回っている。
……これ、笑うところだろうかな?
一応、怪奇現象なのだろうが、なにやら、滑稽だ。
環はそれを見ながら、
「なんでだかわからないが、ずっと回ってるんだよな。
なにかに使えないだろうか、あの動力、と思ってるんだが」
と大真面目に言い出した。
成仏させるなと言われているので、なんのいわくがあるのかも調べてはいないようだった。
「ほら、もう行くぞ」
ぽん、と環はほとりの肩を叩こうとして、やめた。
そのまま、扉に手をかけ、閉めようとする。
その一連の動きを見ながら、はたから見ていたら、不自然な夫婦だろうな、と思っていた。
夫に間近に立たれただけで、ビクビクする妻。
妻に触れない夫――。
一瞬、環の手により、閉ざされていく扉の向こうの暗い空間に、滑稽な、回るこけしとはかけ離れた、ひんやりとしたなにかの気配を感じた気がした。
だが、扉はあっけなく閉められてしまう。
そのまま行こうとした環に、
「いいの? 鍵かけなくて」
と地面に落ちたままの南京錠を見ながら訊いたのだが、環は、
「いいんだ」
と言う。
「そのうち勝手にかかってるから」
……どんな蔵なんだ、と思いながら、ほとりもまた、環について、蔵を後にした。
朝、目覚ましの音で目が覚めた。
いつも目覚ましより先に目が覚めるのにな、と思いながら、環はそれを止める。
隣りの部屋で寝ているほとりはまだ起きる気配はない。
この音が聞こえていないのだろうか。
小学校の卒業時に記念にもらった時計だ。
昔ながらの目覚ましの音はなかなかに容赦がないのだが。
まあ、昨日、蔵に入ったりしたせいで、遅くなったからな。
寝かせといてやるか。
なんだかんだで自分は嫁に……いや、まだ嫁にもなっていないほとりに優しいと思うのだが、ほとりの意見は違うらしい。
早くに訪れるおばあちゃんたちも居るので、まず僧衣に着替えることにした。
『環ちゃん。
私が居なくなっても、此処に居てね。
私の代わりに、みんなの話し相手になってあげて欲しいのよ』
まるで、自分がもうすぐ居なくなることがわかっていたように、美和はそう言っていた。
ふらりと子供の頃過ごした町に戻ってきた自分を、なにも訊かずに住まわせてくれた美和には、本当に感謝している。
『環ちゃんなら、私よりもみんなの力になってあげられる気がするのよ』
そう言って、ふふふ、と美和は笑っていた。
どういう意味だったんだろうな……と思いながら、環は白衣を手に取りながら、最後の美和の言葉を思い出す。
「でも、環ちゃん。
ひとつだけ約束して。
此処の霊たちを成仏させないで』
美和さん、今にも成仏させてしまいそうな奴が居るんですが……。
ほとりは、庭の木にぶら下がっている男と今日も話すだろう。
彼は自分の不満をほとりに愚痴るうちに、気が済んで、いつしか成仏してしまうかもしれない。
いや、どちらかと言えば、ほとりのしょうもない相槌や愚痴に、世を呪うのが莫迦莫迦しくなってきて、成仏してしまうのかもしれないが。
そして、あの霊が居なくなると、ほとりは寂しがるのだろう。
此処で話のできる人間が減ってしまったと言って。
あいつ、霊も人も
そのとき、襖が開いた。
もう着替えているほとりが顔を出す。
「おは……」
おはよう、と言いかけたが、赤くなって、襖を閉めてしまった。
「やだ。環、なんで着替えてんの?」
いや、俺が俺の部屋で着替えようと勝手だろうが、と思っていたのだが、ほとりは、もう~、と照れたように襖の向こうで言っていた。
お前、本当に既婚者だったのか? と問いたくなるくらい可愛いところがある。
……基本、生意気なんだがな、と思いながら、着替え終わった環は、襖をすべて引き開けた。
ほとりが行ったらしいテレビの間の襖は開ける前から、少し開いている。
見ると、
ワタシ、ミワチャンヨ!
が足許をトコトコ歩いていた。
……お前か、と思う。
「寒いから戸は閉めていけ」
と言ってはみたが。
存在を主張するために、いきなり戸を開け放つ霊はよく居るが、自分でそれを閉めていった霊は見たことがない。
今も、
ワタシ、ミワチャンヨ。
コンニチハ、コンニチハ、コンニチハと繰り返しながら、ミワちゃんは人の話など聞くこともなく、何処かに行ってしまった。
「ほとり、気が利いて、ご飯炊いたり……はしてないよな」
と一発、朝の嫌味をかましながら、台所のある土間へと下りた。
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