ワタシ、ミワチャンヨ!



 ほとりは素直に手を洗ってうがいをし、環と二人でおこたに入り、せんべいを食べた。


 そのあと、ひとり、縁側に座り、風に吹かれる。


 いい風だなあ。


 ちょっと冷たいけど、昼間の縁側は日差しが強いから、ちょうどいい感じ。


 そんなことを考えていると、後ろから、トコトコなにかがやってきた。


 ワタシ ミワチャンヨ

と言いながら、あのナントカちゃん人形がやってくる。


 ナントカちゃん人形って……


 もしかして、ミワちゃん人形というのかな? これ、とほとりはこちらに向かい、よちよちやってくるそれを眺めた。


 有名どころの人形とは違うようだし、意外にこういう人形は種類があるので、よくわからない。


 ワタシ ミワチャンヨ


 コンニチハ コンニチハ コンニチハ


 ずっと挨拶してるけど、礼儀正しいな、ミワちゃん。


 もしかして、環の前に住職だったという美和さんが、こう言って、人形に話しかけてたとか?


 そんなことを思いながら、近づいてくるそれを見ていた。


 古いものには霊が宿ると昔から言うけど。


 こういうヒトガタのものには特に霊が入りやすいからなー。


 ただ動いて、挨拶しているだけで、特に害はないんだけど。


 でも、もしかして、日向ひむかいさんが言ってた恐ろしいものってこれ? とほとりは思う。


 霊現象に慣れてない人が見たら、充分怖いかもしれない。


 そう思ったとき、ミワちゃんは、


 ワタシ ミワチャンヨ

と言いながら、縁側についていたほとりの手の上を歩き出した。


 ミワちゃんは、周囲にはお構いなしにマイペースにやりたいことをやっているだけ、という典型的な霊だ。


 そこに誰かの手があろうとも、構わず、おのれの行きたいところに行く。


 このブレなさ、見習うべきだろうか、と思いながら、じっとしていたのだが。


 ミワちゃんの小さな足で、ちまちま歩かれると、くすぐったいこと、この上ない。


 我慢しようと思ったが出来ずに、うひゃひゃひゃひゃっ、と変な高い声を上げながら、手を振ってしまった。


 縁側に転がり落ちたミワチャンに、ああっ、申し訳ないっ、と手を伸ばそうとしたのだが。


 ミワチャンは動じることなく、すぐさま起き上がり、


 ワタシ ミワチャンヨ


 コンニチハ コンニチハ

と言いながら歩き出す。


 ミワちゃんは、見えない犬に吠えられながら、庭を横切り、何処かに向かい、歩いていってしまった。


 本当にブレない人だ……、と思っていると、


「……楽しそうだな、ほとり」

と呆れたような声がした。


 本堂に行こうとしていたらしい環が足を止め、こちらを見ている。


 いや、別に楽しくて笑ったわけじゃないんですけどねーっ、と思ったとき、側に置いていたスマホが鳴り出した。





 


 ほとりには、弁護士の霧島太一きりしま たいちという友人が居るのだが。


 電話は、その太一の事務所の事務員、阿知須未來あじす みくからだった。


『ほとりさんー、新婚生活はどうですかー?


 私、まだ一度も嫁に行ってないのに、二度も祝いを取られたうえに、昨日、彼氏にフラれたから、ほとりさんを殴りたい今日この頃なんですけど、如何お過ごしですか~?』


 ……どんな電話だよ。


 っていうか、声がデカイ、声が、とほとりは周囲を見回す。


 順序が逆だが、嫁に来たあとで、釣書を渡したので、環は知っているのだが。


 ほとりには離婚歴がある。


 というか、正式に離婚できたのは、つい、最近だ。


 友人だった和亮かずあきと、親に押し切られて結婚したのだが。


 結局、友人以上には見られなかったのが、和亮にも伝わっていたのか、ストーカー化してしまい、大変なことになった。


 それで、共通の友人であった霧島太一の手を借り、なんとか離婚できたのだが。


『いつ戻ってきてもいいから、とりあえず、嫁に行け。

 世間体のために』

と父親に言われ、嫁に出されたはずだったのだが。


 実際、離婚してかえってきたら、ほら、次行けーっ、とばかりに、長谷川環の許に放り投げられたのだ。


 ……どんな親だ。


 代議士仲間である環の父に恩が売れたうえに、出戻り娘も始末できて、父はホクホクしている。


 繰り返し言わせてもらうが、どんな親だ……。


 そして、今、トドメを刺すように、

『慣れない田舎暮らしで、大変でしょう?』

という未來の声は半笑いだ。


 嫌がらせではない。


 阿知須未來は、思ったままを口にする天然ちゃんなのだ。


 悪気は一切ないので、付き合いやすいが、たまに、どついてやろうかと思う。


「帰りたい」


 つい昔の暮らしにすがるように、そうもらすと、

『でも、すごい男前の旦那さんなんでしょう?』

と言ってくる。


『前のご主人より男前って、相当ですよね』


 いや、そこは好みの問題かと思うが……。


 なにしろ、前の旦那は好みじゃなかった。


 確かに顔はいいのだが、自信家で鼻持ちならない感じが、顔ににじみ出ているというか。


 じゃあ、結婚すんなよと言われそうだが、あの父親に、ほうら、行って来ーい、と放り投げられたら、逆らえない。


「でもさー、たまに無性に帰りたくなるのよ。


 なんにもないのよ。


 本当になんにもないのよっ。


 そして、雪が降ったら、此処に閉じ込められるらしいのよっ。


 山が越えられないから、同じ町内のはずの、下の集落にも行けなくなるのよっ。


 このエリアには、小さな商店さえないのにっ!」


『大変ですね~』

という声に、さすが未來だ、びっくりするくらい感情がこもっていない。


 未來は外を歩いているらしく、行き交う車の音が聞こえてきていた。


 懐かしい騒音だ。


 建設中のビルが太一の事務所の近くにあるのだが、その音ももれ聞こえてきていた。


 まだ工事終わってないのか、と思ってしまったが、よく考えたら、街を離れて、まだ一ヶ月くらいしか経ってはいなかった。


 既に五十年くらい経った気分だ。


『でも、このご時世、インターネットでなんでも買えるじゃないですか』


「店に行って見たいのよっ。

 美しく飾られた店内で小物を買いたいのよっ。


 小洒落たお店でランチをしたいのっ。

 そして、此処は光が通ってないのよっ。


 インターネットは普通の電話線で、超低速なのっ」


 はははは、と未來はまた、軽く笑ってくれる。


 完全に他人事ひとごとだった。


「……今、仕事中なんじゃないの? 未來」


 恨みがましい声でそう言うと、

『マザーグースの実にケーキ買いに行ってるところなんですよ。

 お客様が来られるので』

と言ってくる。


 マザーグースの実!


 太一のところに行ったときは、必ず、あの店を覗いていた。


『ああ、ほとりさん、大好きでしたよね、あそこのザッハトルテとか、野いちごのチーズケーキとか、ピラミッド型のモンブランとか』


「なんで今、食べられもしないケーキの名前、連呼すんの」


 今すぐ買ってきてっ、と叫ぶと、

『ケーキ持って遊びに行ってもいいんですが。

 そこ、二、三日で着きますか?』


 ……殴ってやろうかな、こいつ。


 天然ちゃんな友人は、あ、店に着いたー、と言って、そこで唐突に電話を切ってしまった。


 おしゃべりで癒されるどころか、かえって疲れたような、と思いながらも。


 今となっては、唯一、街とつながっている気がするスマホを見つめる。


 確かにネットなど見ていると、此処が田舎だと言うことを忘れるが。


 忘れるが……。


 庭を他所の家のトラクターが走っていく音が聞こえてきた。


 庭兼道路のようになっているからだ。


 あ~、とほとりは後ろにひっくり返って転がる。


 そのまま目を閉じた。


『ピュアだね、ほとりさん』

という繭の言葉を思い出す。


 いや、全然、ピュアじゃないよ、繭。


 本当にそうだったら、周囲に押し切られて、まあいいかって結婚したりしないし。


 再婚して、こんな風にぐたぐた言ってたりしない。


「どうせ私は駄目人間だし~」

と声に出して言うと、


「よくわかってるじゃないか」

と声がした。


 目を開けると、環が頭の上に立って、自分を見下ろしていた。


 相変わらず、心臓に悪い顔だ、と思っていると、環が身を乗り出すようにして、腕を引っ張ってくる。


「暇なことしてないで、起き上がれ。

 あんまりダラダラしてるところを檀家さんに見せるなよ」


「だって家の中じゃん」


「……見えてる。外から」


 ん? と見ると、庭先をにこにこしながら歩いているおばあちゃんたちがこちらを見ていた。


「あらあら、仲良しさんねえ」


「新婚さんだから」

と微笑ましげに語っているのが聞こえてくる。


 いやいや、この人、私を引きずり起こそうとしてるだけですよ、と思いながら、おばあちゃんたちに頭を下げた。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る