古道具屋の繭


 商店街の細い道に、古い車を乗り入れたほとりは木造の、味があるんだか、ただ古いんだからわからない店の横の駐車場に車を止める。


 そのまま、その店自体が骨董品みたいな古道具屋のガラス戸を開けた。


 いらっしゃい、と言いかけた繭は、言葉を止め、

「なんだ、ほとりさ……」

と言いかけたが、ほとりは彼が言い終わらないうちに抱きついた。


「繭っ。

 会いたかったっ!」


「やめてよ、誤解するからっ。

 誤解するからっ、僕がっ!」

と繭はほとりを必死に引きはがそうとする。


「なに言ってんのよ、ゲイのくせに。

 あ~、繭はいい匂いがする」


 町もこの店も古臭いが、繭からは懐かしい都会の匂いがした。


「困った人だねえ、ほんとに」

と言いながら、繭は諦めたように、はいはい、と背中を叩いてくれる。


「繭、コーヒーぜんざい」

と言いうと、また、はいはい、と言って、繭はカウンターの中に入っていった。


 この店は古道具屋だけでなく、喫茶店もやっている。


 古道具屋だけでは食べていけないからかな、と思いながら、ほとりはカウンター席に座った。


 繭のものらしきクロスワードの雑誌と、古い本がカウンターの端に投げてある。


 手際良くコーヒーぜんざいを作り始める繭をほとりはぼんやりと眺める。


 この店は喫茶店としては流行っていた。


 この町に似合わないお洒落で綺麗な店主が、女子高生に人気だからだ。


 いや、彼女らには、これがゲイかもしれないという噂が流れているのがツボなのかもしれないが。


 そして、それは根拠のない噂話ではない。


 にしても、綺麗な顔だな、とほとりは改めて、繭の顔を眺めた。


 身長はあるけど、線は細いし、男らしい環とは対照的だ。


 繊細で色素が薄い感じの繭は、こんな柔らかな陽の光を浴びると、まるでこの世のものではないかのような雰囲気をかもし出す。


 中身は結構普通なんだけどな、と思っていると、はい、とすぐに出来上がったコーヒーぜんざいを出された。


 和食器も洒落ている。


 食器でも、些細ささいな小物でも、繭はいつもセンスが良かった。


「でもさー、ほとりさんは、なんですぐ此処に来るの?


 僕は暇つぶしになっていいけどさ。


 都会の匂いが恋しいなら、貴女の旦那が一番でしょうに。


 ハイセンスで男前。

 はっきり言って、町で浮いてる」


「そうだけど。

 なにかこう、此処の方が安らげるのよ」

と言うと、


「だから、そういうこと言うと、僕が勘違いするからやめてって」

と笑っている。


「ゲイの癖に、なに言ってんの。

 っていうか、その噂、本当にほんとなの?」

と言うと、繭はその綺麗な顔を近づけ、


「――試してみる?」

と言う。


「……私、男じゃないんだけど」


「だから、ほとりさんと出来なかったら、ゲイだってことでしょ」


 そう笑う繭に、なにそれ、と言ったほとりは腕組みをし、

「でも、その噂、本当なら、環に近寄らないでよねー」

と睨んでみせた。


 だが、繭は、

「僕、環は好みじゃないんだよねー」

とあっさりと言う。


「大体、この狭い町で一緒に育ったんだよ?

 兄弟みたいなもんじゃない。


 よくみんな、近場で結婚できるよね。

 近親相姦みたいで気持ち悪い」


 本当に言いたいこと言うなあ、と思いながら、ほとりは見ていた。


 まあ、この毒舌も思春期の女子高生たちには、いい刺激となっているようだが。


 自分たちの口に出せない不満をバッサリ切ってくれるから、彼女らは繭をしたっているのだろうか。


「でもさ、子供の頃からずっと好き、とかあるでしょ」


「ピュアだね、ほとりさん」

と自分はそういう経験はないのか、繭は笑っている。


「でも、そういう人がなんで、見合いとかしちゃうの?」

「させられたのよ」


「環じゃ不満なわけ?」


 いや、そういうわけでもないのだが……と思っていると、


「でも、見合いってすごいよね。

 出会ったばかりのこんな美人をすぐにいいようにできるだなんて」

と繭は言い出した。


「いや……見合いの定義がおかしいから」

と言いながらも、確かに自分も不思議に思っていた。


 たった一度の見合いで、数日もしないうちに、結婚してしまったりするということが。


 いや、環の場合、見合いの席にも来ていなかったのだが……。


 そのとき、ふと、カウンターの後ろに積み上げられているピカピカした黒いつづらを見上げ、訊いてみた。


「ねえ、前から思ってたんだけど。

 このつづら、何が入ってんの?」


「死体」


 ははは、と笑う繭に、そうなんだー、とほとりは言った。





 そうなんだーって、なんなんだー?


 相変わらずなテンポのほとりを呆れたように繭は見ていた。


 カウンターに座るほとりは、いつものように、この町に、それはどうだ? というようなワンピースを着ている。


 この人は、郷に入っては郷に従えという言葉を知らないのだろうか、と思いながら、繭は眺める。


 以前、なんでいつもそんな格好なのかと訊いてみたら、

「お金がないから」

という実にあっさりした答えが返って来た。


 金がないので、服を買いかえられないというのだ。


 いや、全然なさそうに見えないんだけど……。


 まあ、変わり者の環とはお似合いな人だな、と思っていると、店内を見回していたほとりは、

「ねえ、あれって、いつも、感無量に見えるんだけど」

と言ってきた。


 そんなほとりの視線の先には壁に飾られた横長の額が――。


 『無量寿むりょうじゅ』という阿弥陀仏を言いかえた、ありがたいお言葉が、太く達筆な字で書かれいる。


 ほとりさん……。


 本当に賢いんだかなんなんだかわからない人だ、と思いながら、食べ終わり、立ち上がったほとりに、

「六百円でーす」

と力なく言った。






『見合いってすごいよね』

 そんな繭の言葉を思い出しながら、ほとりは車を母屋と離れの間に止める。


 環は庭の水道の前に立っていて、なにもない空間を見て、笑っている。


 いや、なにもないわけではない。


 そこに犬が居るのだ。


 だが、その犬は、恐らく、自分と環くらいにしか見えていない。


 そこでようやく、環は顔を上げ、

「お帰り」

と言ってきた。


 いや、今、気づいたのか、とほとりは思う。


 車の音がしてただろうが。


 私は、霊体の犬より、気配が薄いのか……? と思いながら、

「……ただいま」

と言う。


 今、生きていない犬と話していたときの顔は可愛かったのに、こっち向いたら、仏頂面だなあ、と思いながら、

「お土産」

と環に、おせんべいの包みを差し出す。


「散髪屋さんの前通ったら、おじさんがくれたの」


「そうか。

 あそこのおじさんは、よく子供に菓子を配ってるからな」


 俺も小学校のとき、もらったと言い出す。


 私は小学生ですか、と思っていると、

「帰ったら、手を洗ってうがいしろ」

と更に小学生に言うようなことを言ってきた。


「はーい」

とダレた返事をして、睨まれる。


 はいっ、と返事をしかえ、母屋に行こうとしたが、蔵の横で、足を止めた。


 さっき、散髪屋さんに孫を連れて来たおばさんに聞いたのだ。


 この蔵の鍵がたまに開いていて、そこを覗くと誰かがこちらを覗いていると。


「もっと怖いことがあったのよー。

 でも、言うと、貴女たち、住めなくなると困るから言えないわー」

日向佐千代ひむかい さちよというそのおばさんは言っていた。


 っていうか、笑いながら言わないでください、とほとりは思っていた。


 毎日が淡々と過ぎていく呑気な町だ。


 あまり変わったことも起こらないので、怪談話も愉快な話題のひとつのようだった。


「せっかく住職さんが来てくれたのに、居なくなっちゃったら困るものね。

 ああでも、どうせ、環ちゃんは町に帰っちゃうのか」


 そうだといいんですけどね。


 っていうか、早く帰りたいんですが、とほとりは思う。


 此処の暮らしも悪くはないのだが、生まれ育った場所と違いすぎて、なかなか馴染めない。


 それにしても、聞いたら住めなくなるほどの怖い話ってなんなんだろうなあ、と思いながら、母屋の向こう、庭の端にある蔵を眺める。


 今のとこ、陽気な霊にしか出会ってないけど。


 同じもの見ても、人によって受け取り方違うからなー。


 あの松の木のおじさんだって、人によっては怖いだろうし、と思いながら、そうっと蔵に近づこうとして、後ろから、


「ほとりっ」

と環に怒鳴られた。


 振り返ると、

「……早く手を洗え」

と言われる。


 はいはい、とまた適当な返事をしながら、ほとりは母屋へと向かった。






 

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