3-10.


 ◆



 ――っていや、それじゃダメなんだってば。


 何も解決してないどころか悪化しかしてねーじゃん。


 「荒川!――」


 自転車に跨り、走りだそうとしていたところを呼び止める。


 「――お前は本当に、高校で自転車部をやりたかったんだな」


 果たして荒川は、一瞬進みかけたところですぐに止まったのだった。振り返ってきた彼女の顔にはこう書いてある――いきなり何を言い出すかと思えば、今さらそれがどうかしたの? ナめてんの?


 いや、ナめてなんかないさ――俺はそう答えることができる。今だからこそ、そう答えることができる。荒川が学校に来なくなってからこの間、俺は彼女のついて新たに知ったことがあった。


 本人から聞いたのではない――友達である宮やアリスさんから聞いたのでもない。それは、彼女から最も近い所にいると言える人から聞いたことで――彼女のことを最もよく知る人の口から教えてもらったこと。その人――つまり母親には、荒川は自分の気持ちを何の気なしにさらけ出すことができたのだろう。


 荒川の家を訪ねた時、彼女の母親との会話からは母子でかなり仲が良いのだろう様子が伺えた。そんな母親に、普段から荒川がさらけ出していた気持ち――彼女の。本当に望んでいたこと。


 「昔から自転車が好きで、ずっと自転車漬けの生活を送ってきたお前は、小学校や中学校では入ってたチームの練習やら試合やらで学校で過ごす時間が少なかった――でも、お前は、それじゃ嫌だった。それだけじゃ嫌だった。自転車から離れることはできないけど、学校にもちゃんと通いたかった――生徒らしく、楽しい学校生活を送ることに憧れていた。だから競技活動をやめまでして、高校では高校生らしく過ごそうと決めた。もちろん自転車もやりたいから、自転車部に入って友達もたくさん作って――」


 「ちょっと、ちょっと待って!」


 明らかに動揺し出す荒川――最初は冷めた顔をしていたのが、話していく内に見る見る焦っていくのが見て取れた。そりゃもう、面白いくらいのテンパりようだった。


 「なな、な、何で江戸君がそんなに詳しくあたしのこと語ってるワケ?! そんなにあたし、自分のこと話してたっけ?!」


 荒川がここまで慌てる姿も初めて見る――あまりの慌てようにすぐさまこっちまで吹っ飛んできた。


 「いや、お前の母ちゃんに色々と聞いた」


 「!?」


 「お前がいない間に、心配して宮と一緒にお前んちに行ったんだよ。そしたら母ちゃんがいて、色々教えてくれたぜ」


 「!!」


 「んで、まださっきのセリフがまだ言い終わってないな……何だっけ? ああ、そうそう、それで、お前は高校で恋愛もしたがってたみたいだな。カレシが欲しいって、母ちゃんに話してたろ。ええと、確か――自転車が好きじゃなくてもいい、でも自転車好きのアタシを理解してくれる人がいい……だったっけ?」


 「!!!?!?!?!??!!」


 新鮮ではち切れんばかりに身の詰まったトマトみたいな顔をした荒川だ。そのまま本当に爆発するんじゃないかと思えるくらいだった。


 そしてそのまま、しばらく何も喋らなくなる。両手で顔を隠したまま、バッテリー切れ起こしたみたいに固まっていた。支えを失った自転車が倒れるのにも気づかないようだったので押さえておいてやる。そう言えばこれが初めて荒川の自転車に触れた時だったと思うけれど、何だかあれこれ自転車かってくらい軽々しかった。


 動かなくなった荒川は放っておくと永遠にそこで石像と化していそうな勢いだった。自転車を先ほど荒川が寝ていたベンチに立て掛けてから、話しかけたり突っついたりしてみる――反応がない。俺が話したことがそんなに恥ずかしい事だったのか、それを知られたのがよほどの屈辱だったのか――とりあえずこうしていても埒が明かないので、俺は荒川の背中を押して階段の方へ誘導する。足だけは意外と素直に動かしてくれたので楽だった。


 階段の最上段に荒川を座らせ、俺もその隣へ腰かける。何故ベンチではなく階段を選んだのかと言えば、特に理由はない――強いて言うなら何の気なしに自転車をベンチに立て掛けてしまったせいで座り辛そうだったからだ。


 山中の街並み、そしてその先に広がる遥かな平原――晴れ渡る空、澄んだ空気。


 殺気漂う自転車狂とは言え、一応は荒川も女子の端くれだ――男女が二人きりで話すのには、最高のロケーションと言えよう……。



 「それで。この一週間、ここでずっと泣いてたのか?」


 やっとのことで呼吸を取り戻し、荒川が両手の指の隙間から顔を覗かせていたので聞いてみると。


 「な、泣いてなんかないからっ。何でそんなこと……」


 俊敏に反応してくる。もう可哀そうなくらい心がグラグラなのがわかる。


 「だって目元が真っ赤だぞ。明らかにワンワン泣いてましたって顔してるぜ」


 「ちがっ、違う! これは、これはっ――」


 目をパチパチさせたり目元をこすったりしながら――そんなことをしてももちろん見た目は何も変わらない――荒川は必死に考える。何を考えているのだろうか――言い訳しかないだろうけど、その答えを今は深く探ることはせず、


 「これは……?」


 聞くと荒川は、ぽつりと零すように言ったのだった。


 「これは……花粉、かな」


 「花粉症なのか?」


 「……そう」


 「初耳だな。ちっともそんな様子なかったのに」


 「……そういうことにしといてよ、もう!」


 叩かれた。怒られた。


 あくまで気分的なことだけど――もう(ビックリマーク)って恥ずかしそうにしつつも思い切り平手打ちしてくる姿だけそれはもう魅力的なツンデレヒロインのそれっっぽく見えたってことだけ言及しておこう。


 荒川はしばらく前を向いたままだった。何やらキツい表情をしているようだったけど、体全体が小刻みに震えているのは怒りの故かそれとも、また別の感情によるものだったのか。とりあえず俺のことを通りすがりの変質者のように扱ってさっさと帰る気だけは変えてくれたらしいので、そこに関してはひとまず安心だ。


 これで心置きなく、会話をすることができる。


 彼女を連れ戻すため――ただ連れ戻すだけじゃなく、元の日常に戻るため。元と同じ風景を眺めるため。


 彼女の心を慰め――彼女の気持ちを、本人の口から聞くために。

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