3-11.


 荒川の方からは話を切り出してくれなそうだったので、俺はまた質問を投げかけてみる。


 「俺にフラれたのがそんなにショックだったのか?」


 ベシッ――。


 また叩かれた。激しい効果音が付きそうなくらい思い切り叩かれた。


 「江戸君ってどうしてそんな風に、人の心の傷を更に深くするようなことをあけすけに言えるわけ? ていうかそもそも誰もまだ告白してなんかないし。念のため誤解を招かないためにも言っておくけど、別にあたしは江戸君のことが好きなわけじゃないからね。助けてくれたこともあるし、ただの友達以上には思ってるっていうのも確かではあるけど、だからってそんな簡単に恋に落ちちゃうほど軽い女じゃないんだから」


 もしホントに恋してたら、今の言葉で自殺してるよ、あたし。


 荒川はその顔を完全に得意の不機嫌モードに切り替えて言った。


 迂闊な発言が人の命に係わることもあるという事実を学ばされた瞬間だった。


 しかし、とりあえずこれであちこちで生じかけていた誤解を完全否定する材料ができたわけだ。その点に関してはこれが収穫でよしとして。


 「悪い。俺も乙女心というのをよく理解できてないタチでな。ついでに人との交流も少ない方だから世間知らずと来た。だから、こう言うと人が嫌な思いをするとかあんま深く考えずに喋っちまうクセがあるんだ」


 だから、さ。


 荒川が不審そうな目をしながら何も言い返してこないことを確認してから、


 「この前のことは、とりあえず謝っとくよ。月曜日のことな。お前の気持ちも知らずにまた無遠慮なこと言っちまって。宮やアリスさん、ツーにまで言われて気が付いたよ。あの時の俺の言い方がマズかったんだって。今では反省してる。悪かった――」


 (ホントにそう思ってるの?)と言いたげな視線を浴びながら――


 「――まあだからと言って、はいじゃあすぐに自転車買います部活頑張りますなんて心変わりはできないんだけどな。ちょっくら考えてみたけど、やっぱり欲しくもなかったのにいきなり買う気にはなれん。そう言うとまたお前は機嫌損ねるかもしれないけど……とりあえず、落ち着いて聞いてくれ。俺は少なくとも、お前との間にわだかまりを残したままにはしておきたくはないんだ。一年間同じクラスでいることだし、何だかんだ色々あった仲だ。喧嘩したまま、話もしなくなって最悪関係が自然消滅なんてのもスッキリしないしな。それはお前にとってもそうだろ? だから、うーん、何て言えばいいのやら。とにかくまあ、そのことに関してはゆっくりと時間をかけて議論して、妥協点を探っていければとかって思うからそう提案していのだけれどどうだろう?」


 我ながら超絶口下手っぷりだ。まさかこうもしんみりと女子と話すシチュエーションが我が人生に訪れるなんて思ってもなかったから準備不足だった――っていうのはただの言い訳か。


 しかし俺は今、一体何が言いたかったのだろう――荒川を連れ戻し、こんなことになった根本の原因を潰すためにわざわざ俺はひとりで対話を試みているワケだけれど。


 まあ何とかなるだろ精神がここで潰える――根本の原因を潰すって、一体どうすればそれができるのか、って話だ。一番の解決法は荒川の望み通りに行動する――つまり自転車を買って部活を頑張るということなのだろうけれど、だからと言ってすぐに気を変えられるほど俺の人間としての芯は脆いわけでもないし、そもそもそんなことをすれば起こるのは立場逆転、今度は俺の心の中にモヤが残ることとなる。


 でも、そうじゃない――望ましい解決法はそんな中途半端なものじゃない。誰もが納得し、元通り笑顔の日常に戻れる――そんな解答は、どこかに存在しないのだろうか……?


 俺が悩みに悩み抜いているところ、荒川がふと呟く。


 「別にいいんだよ」


 「……?」


 「いいってば。そんな風に、無理にあたしのために気を使ってくれなくても。あたしの方こそ、反省したの。頭を冷やしてたら、気が付いた。あんな風に押しつけがましいこと言って、江戸君、迷惑だっただろうなー、って。自転車仲間が欲しいからって、そのことばっか頭にあったせいで全然相手の気持ちを考えてなかった。そりゃ、疎ましく思われても当然だよね。あたしの方こそ、ほんとにゴメン……」


 そんなことを言い、しょんぼりと項垂れる荒川――何だ何だ、どうしたことだ。急にそう素直になられても、こちらの調子が狂わされるだけなのだが……。


 俺は別に、彼女に謝罪の言葉を求めていたわけではない――というか、そんなもの求めるだけ無駄だと思っていたし、そもそも相手の気持ちなんてそっちのけ傍若無人ガールこと荒川輪子なのだから、そんな彼女から急に謝罪の言葉を送られたところでこちらとしては全くの予定外、何とも返答しづらい。


 謝る必要なんてない――とりあえず、そんなことを言おうとした。でも、彼女が再び口を開く方が先だった。


 「それで、どこまで聞いたの?」


 「どこまで……とは?」


 「あたしのお母さんに会ったんでしょ。あたしのこと、どこまで聞いたの」


 「ああ、そのことか」


 荒川家を訪ねた時、雑談の中で荒川の母親は、一人娘を自慢するように色々と話してくれた。荒川が小さい頃がとにかく自転車が好きだったこと、小中学校時代にはエクストリーム系の競技で幾度となく好成績を修めたこと、荒川本人も話していたように、小学生にして自転車日本一周旅行を敢行したこと、母子家庭ながらも、しっかりとした芯を備えた力強い女の子に育ってくれたこと――


 「あと、お前の部屋も見せてもらったな。自転車しかなかった記憶しかないけど」


 言い終えると荒川は、ひどく落胆したようで大きな溜め息をつき、


 「あー、お母さんったらもう、喋りすぎだよ……。あたしを江戸君とお見合い結婚でもさせるつもりなの? あたし一人だけだけ丸裸にされたみたいじゃん……あーもう! なーんかムズムズして落ち着かない」


 「まあ、落ち着け。何なら最悪、本当にお前を嫁として迎えるんでも、俺は一向に構わないぞ? お前の丸裸はそれはそれで見る価値がありそうだ」


 ――ボコッ!


 今度は普通に殴られた。脳天直撃――失神するところだったぜ。


 「マジでセクハラ。やめて。ちょっと悪寒がしてきた」


 素早く三十センチほど距離を空けられる――心から不快そうな、下劣な男を見下すような顔をされた。マズい、これ以上やると本気で信用問題に関わりそうだ。


 「冗談だよ、冗談。今のところ俺に結婚願望はないから、そうムキになるなって」


 「結婚願望がないっていうのもそれはそれでどうかと思うけど。とにかく、今度変なこと言ったら、本気で嫌うからね。そういう発言は、女の子にとって冗談じゃ済まされないんだから」


 乙女心について、また一つ教訓を得ることができた瞬間だった。

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