3-2.
自転車文化黎明期、アメリカにとあるサイクリストがいた。
彼女は果てしなく続く道のりを走る仲間たちが心身ともにくつろぎながらコーヒーを飲めるような場所があればいいと考え、ルート66の起点であるサンタモニカにサイクルラック及びシャワー室完備、整備場併設の喫茶店を開き、自らの名前を取ってカフェ・リリーと名付けた。
それから時を経て、世界へ進出した自転車カフェは今も各地のサイクリストの安らぎの場となっている――
と、言う歴史が一応あるらしい。アリスさんに説明してもらった。
「日本ではまだ日が浅いけどね~。一号店はアオヤマにあって、ここは二号店。それで、ついこの前オープンしたマルコ店が三号店、ってことになるわけなの」
そういうことだそうだ。
荒川はこの前行った方の店――三号店であるマルコ店の店長と知り合いみたいなことを言っていたけど、こちらはこちらでアリスさんはここの店長と知り合いだったのか、それとも店自慢の美人常連ゆえなのか、かなり仲は良いようで顔を合わせるなり親しげに言葉を交わしていた。
一緒にいるこいつは誰だみたいな視線を浴びつつ俺は案内された窓際の席へと移動。丸テーブルを挟む形の二人席。窓の外にはどっかの欧州貴族の邸宅の敷地内みたいな庭園の風景。
ここまで車を運転してくれた方はアリスさんによって人払いされているので、見た目に関しては非の打ちどころのないハイパーべっぴんハーフガールと完全に二人きりというシチュエーション。
――ふふっ、完璧だぜ(何が)。
事前にアリスさんには朝食を軽くしておくように言われていたのは、ここで一緒にブレイクファストしたかったからみたいだ。アリスさんはメニューも見ずに何かしらのサンドイッチとアイスコーヒーを注文していたので俺も同じものを頼み、しばらくは談笑しながら食事タイムとなる。
よく考えてみれば、アリスさんとこうしてじっくり話すのは初めてだ。相手がモデル級美人のプロレーサーと言えども、会話は家族や趣味のことなど誰とでもするような話題ばかり。アリスさんは荒川と違い、レーサーをするほどの自転車好きでいながら、世間一般で通用する社交スキルにも十分に長けている。チームの活動のこととかに軽く触れはしたものの、荒川輪子系統の自転車与太話はなく、その場の空気に身を任せてしまえばそれは普通に普通の、楽しいデートだった――これほど美麗な女性(しかも同年代)と二人きりの時間が過ごせるなんて、平凡な男性高校生にはマジカル級に貴重な体験。極端な女性恐怖症でもなければ、男子にとってはとてもとても味わい深い状況だ。
そして食事を終え、他愛のない話題も尽きてきたように思われた頃。
このまま親交を深め、あわよくばお付き合いにまで持っていきたいところだったなんてことは全くなくまあ普通にせっかく知り合った人でもあるし堅苦しい話はせずおっとり和やかな空気に浸っていたいところではあったけど――あまりのんびりしすぎて本来の目的を忘れてしまってもいけない。
不自然さを生まない絶妙なタイミングで、俺は切り出す。
「アリスさん。昨日電話で言った話とやらなんですが」
アリスさんの視線が向けられる。優しそうな顔は変わらないが、彼女に少しでもまっすぐ見つめられた者ならすぐにわかる――この人は決して自身を驕るような態度を見せないのだけれど、しかしその目は驚くほどに自信に満ち溢れている。
何でも答えてあげるから、どんなことでも聞いてきなさい――何を聞かれるのかもわからないのに全く動じることのないその堂々っぷり。優れた容姿や肩書きだけじゃない。威厳がある、とでも言うべきか――でもアリスさんは意識してそんな態度を取っているといわけではなく、あくまでこれが彼女の自然体なんだ。
生まれつきなのか、いや、おそらくは格式高い家庭で育てられている内に習得した性質だろう。天然っぽいおちゃめさには嘘偽りなく、しかしそんな性質の中には立派な品格も兼ね備えている――これがアリスさんがアリスさんたる所以であり、また彼女をここまでかけ離れた存在のようにも見せているのだろう。
以上、暫定的な感想。
「単刀直入に聞きます。アリスさん、あなたにとって自転車とは何ですか?」
アリスさんは戸惑うような素振りを見せることもなく、その顔に浮かぶ魅惑の笑みをさらに深めた。
「面白い質問だわぁ。まさかエドからそんなこと聞かれるなんて思ってなかった。どうしたの、自転車買う時の参考にしたいとかかしら?」
「いや、そういうわけではないんですが……」
何と説明すればいいのだろう? 荒川の居場所を教えるための条件として謎の自転車少女が求めてきた――なんて、ツーのことを知らないアリスさんに言うわけにもいかない。かと言って、一から説明するにはあの少女は少々不可解なところが多すぎるし、テキトーなことを言って誤魔化すにしても質問が質問なだけに言い訳が思いつかない。
迷った挙句に俺は、
「かなり説明しづらいことなんです。でも、どっかに行っちまった荒川を連れ戻すためには、どうしてもアリスさんにそれを聞かないといけなくて……。それとこれがどう繋がるのかってことは俺にもわかりません。正直意味不明です。でも、とにかく、あんなことやこんなことがあって、アリスさんの答えをいただければ、荒川の居場所がわかるんです。たぶんだけど」
問い詰められないことを祈った。しかしまあ、もしそうなったらそうなったで仕方ない、頑張って自転車少女のことを説明するかとも思っていた。いずれにしろ、今はともかく今後ツーのことはアリスさんにも説明する必要が出てくることもあるだろうし、自分が聞いておいて相手には何も教えないというのは何より心苦しい。
アリスさんなら何も言わずに答えてくれそうではあったけれど、荒川連れ戻してからくらいにでも一緒に説明するか――と、そんな風に考えていたら。
アリスさんはやはりニッコリとした顔を崩さないままに、こんなことを言った。
「とっても複雑な事情ってわけなのねぇ。リンリンが今どこにいるか知るために、その質問の答えが必要、か――もしかしてだけど、エド。今この状況に、リンリン、フーフー、あたし、そしてエドの他に――」
誰か関係してたり、する?
と。
ドキッ、とせざるを得ない。
「誰かって、それは……」
「例えば、だけど」
アリスさんはそして。
自転車に乗った白い髪の女の子とか、と言ってきたのだった。
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