第3章.行方

3-1.


 ◆



 車というのは夢の乗り物だ。これほど楽に、手軽に、速く移動できる乗り物は他にない。


 しかも物凄く快適だ。フカフカのシートに座っていられるし、それでいて冷暖房完備ときた。自室のソファでくつろいでいるかのような感覚を味わいながら、しかも移動もできる。これ以上、何を求められるというのだろう? 車こそが、人類史上最高の乗り物である。


 と、こんな感じに書き連ねれば、それはそれは多くの人の賛同を呼ぶごく一般的一般論になり得るであろうが、しかしそうは思わないタイプの人間がいるのもまた確かなわけで。まあ別に、今はそんな乗り物についての議論を深めたかったわけでは全然なく、この時の俺の心情は一行で正確に言い表せる――車って楽だなぁ。


 迎えに来てくれるなんて言っていたからてっきり自転車で家まで来てくれるのかと思っていたら、なんとアリスさんは車でやって来たのだった。よく学校に横付けしている巨大なトラックもそうだけれど、こちらはこちらで十分に上等な国産ワゴン車。住所を教えただけで「お待たせ~」とか言って颯爽と車から降りて登場してくるアリスさん――人間としてだけじゃなく、兼業プロレーサーをしているだけあって社会的レベルの高さが伺える。


 加えてアリスさん自身は十八歳未満のため運転はできないので、専属ドライバー付ときた。さわやかスポーツお兄さんといった感じのその人は、聞けばアリスさんのチーム関係者兼従僕みたいな人らしくて、まあ何て言うか色々とお嬢様に手を焼かされる執事さん的ポジションにいる人みたいだ。


 この日も無理に頼まれて、わざわざチームの車を出してくれたようで。試合直前だというのに学校を平然とサボり、チームが所有する車を全然別の用事で使わせる――それでいていつもと何ら変わりなくスマイリーなアリスさん。何となく彼女の、家庭やチーム内での様子が伺えた。


 こちらとしてはどこかで、それこそ家の前ででも話だけできれば良かったのだけれど、アリスさんの希望によって俺たちは少し離れた場所へ移動したのだった。向かった先は、学校の辺りから東京の中心街方面へおよそ十分程度の場所にある複合商業施設。


 高層ビル群の足元にある場所で、併設された赤レンガ装飾の西洋風広場が川沿いにしばらく続いているという、日本屈指のデザイナーによって考案されていそうなそれは街並みだった。


 「せっかくなんだもん。それらしい場所行きたいじゃない」


 と、いうのがアリスさんの言い分なわけで。


 この人は完全に楽しんでいる。とは言っても別に、本気で俺とデートがしたかったからというわけではないだろう――どちらかと言えば、向こうも学校やチームの活動をほっぽりだして遊べるのが嬉しそうな、そんな感じだった。あまりない後輩男子とのデートという、その状況をあくまで楽しんでいるだけだ。そんなもん見てりゃわかるってもんよ。


 アリスさんと本当の意味でのデートができる――彼女にそうしたいと思わせられるような男は果たして日本に存在するのだろうか? ハリウッドスターでもないと無理なんじゃなかろうか――そう思ってしまうくらい、アリスさんの見た目はズバ抜けているし、色んな意味でもスッ飛んでいる。


 まあ、この美女っぷりは卓越するあまり俺のような平均的男性の手に届きそうな世界からはかけ離れているために、逆に何だか安心して一緒にいられる。綺麗すぎて恐れ多い――接近したいとすら思わない。そんな気持ち、男ならきっとわかるだろ? つまりそういうことなのさ。うむ。



 果たしてアリスさんに連れて行かれた先は、施設内のとある喫茶店だった。色んなショップが優雅に軒を連ねる三階分のフロアの一角、外の広場に面した位置にその店はあり、特別高級そうだとかそういうことはない――外面上はよくあるチェーン店よりもワンランク上という感じで、店内はテーブルも壁もシックな木目調で揃えられていて、蝋燭の光のような淡い光がどこかしっとりとした雰囲気を醸し出している。


 アリスさんのことだから上流階級の人間にしか入る勇気すら出ないような場所へ連れて行かれると思っていたから、少し意外というか何というか――店内を改めて見回してみても、庶民が触ったら罰が当たりそうな調度品があるとかそういうこともな――い――いや、あった。よく見たら普通にあった。めっちゃあった。


 百万円は下らなそうな厳めしい壺――とかではないけど、時として百万円を超えることもある、特定のタイプの人々の嗜好品――今隣にいるアリスさんとかアリスさんとかそういう人たちがよく好みそうなモノ――、つまり自転車が、あった。


 広場側の出入り口の傍に自転車専用収納装置その名もラックが完備されている――今は数台しかそこにないけれど、そのキャパシティは軽く見積もって十台以上はありそうだ。また、広場の方にもサドルをかけるタイプのラックがさらにたくさん配置されているのが見える。自転車好き受け入れ態勢バッチリと言った感じだ。

そして俺はふと、デジャヴのような感覚を覚える。


 あれ、この光景、前にもどっかで見たことあるような……? 


 気になって店前に掲げられた看板に目をやる。そこにあった店名はズバリ、『カフェ・リリー』。アメリカの田舎の方で見かけそうな字体のアルファベットで、確かにそう書いてあった。


 「このカフェね、自転車好きの人たちにスッゴく優しいって有名なトコなのよぉ。何よりラックがこんなに準備されてるのが助かるのよねぇ。あたしも好きでよく来るんだけど、最近は忙しくて来れてなかったの。けどエドのおかげで久しぶりに来れちゃった、アリガトね~」


 なるほど。そういうことか。


 アリスさんの言葉で納得した。


 つまり、この人も荒川も宮も、自転車好きの女子というのは皆、同じような物を好んで、オシャレな喫茶店に行くにしても、同じような――っていうか同じ店を選ぶんだな。


 ――この店って、チェーンだったんだ……。


 もう一度店を見回してみると。


 そこは確かに、ついこの前に荒川と宮と一緒に入った喫茶店と同じ店だった。

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