2-13.


 ◆



 ツーの言った条件について。これは実のところ、俺には最初から思い当たる節があった――と言うよりも、ツーは最初からかなりわかりやすく説明してくれていたように思う。


 パッと聞いただけでは超難解クイズのように聞こえるものの、その要点を抜き出してみるのなら。


 まずはキーの数だ――彼女は二つと言った。別に一つだけ、もしくは三つでも四つでも良さそうなのに何故二つといきなり指定してきたのか――それはたぶん、二つというのが何か特定のものの個数、それか何かしらの人数を指し示しているからではないだろうか?


 また、ヒントであるところの『自転車とは何か』という質問。宮の言った通り哲学的で答えようによっては本が一冊かけてしまいそうなシンプルで底なしの設問のようにも思えるけれど、何もそんな深く考える必要はない――というかそんなに考える暇がない。


 と、ここでツーが何者かということを思い出してみよう。彼女は言わずと知れた自転車の妖精なのであり、自転車の楽しさを人に教えることを生業としている大の自転車好きだ。自転車好きがする自転車とは何かという質問――これは、もっと身近な例で考えてみるとわかりやすいかもしれない。


 例えば仕事熱心なサラリーマンに「仕事とは何か?」と聞いたとする。文面だけ見れば多様な捉え方ができる質問だけれど、この文脈では意味するところはただ一つ――すなわち、「あなたにとって仕事とはどのような意味を持つものですか? 人生そのものですか? それとも、また別の何かですか?」といったような趣旨になるだろう。それと同じように、ツーの言った「自転車とは何か」というのも似たようなもので――これは自転車好きによる自転車好きに対しての質問と考えればわかりやすい。


 つまりこういうことだ。二つのキーの数字の部分は人数を示していて、それは俺の身近にいる特定の二人、スバルと奥田――ではなく宮とアリスさんのことだろう。荒川には聞けないし、ここに俺自身が入るとは考えにくい――宮とアリスさんは、それ以外の自転車部員という共通点がある。そうとなればもはやこの二人以外には考えられない。


 そしてここまで来れば、後は簡単だ――「自転車とは何か」というのはつまり、だ。宮とアリスさん、二人にとって自転車という乗り物がどのような意味を持っているのか、そういう意味に解釈できはしないだろうか? それぞれの答えがそのまま、二つのキーとなる――これが俺の推理なんだけれども、どうでしょう、先生? なかなかの天才っぷりじゃないですかね……!


 これが正解だという保証はないけれど、他に思い当たることもない。食事をしながらこのことをざっと宮に説明し、二人とも食べ終えたタイミングで、


 「そういうわけで、宮。お前にとって自転車とは何だ? 句読点含めて二百字以内で答えよ」


 「私にとって自転車かぁ……。うーん、何だろう? ちょっと待ってね、考えてみる。二百字じゃきついと思うけど……」


 うーんうーんとあっちを見たりこっちを見たりして悩む宮。


 やがて彼女は思いついたことをふと口に出すようにして――


 かな。


 そう言った。


 「私にとって、自転車は友達……うん、何かそんな感じだね。それが一番しっくり来ると思う。ほら、私って自転車に乗ってのんびりサイクリングするのが好きって言ったじゃん。サイクリングしてる時って、ただ自転車に乗って走ってるってだけじゃなくて、何て言うか、自転車っていう友達と一緒に、お散歩してるような気分なの。ひとりでも、あのコたちが一緒にいてくれるからひとりじゃない――むしろ、ふたりきりの時間って感じがして、だから特別に感じる……ってこれじゃ何か、デートみたいだね。自転車とデートかぁ。じゃあ友達じゃなくてカレシ――んんんっ、ノーノーそれはないない! だって自転車って、どっちかって言うと可愛いもんね。やっぱり自転車は、大切なお友達、って感じじゃないかなぁ」


 自転車は友達。


 思ったよりも早く、簡潔な返事。


 宮の結論はそれのようだった。


 その内容について、俺は疑問を挟んだりするつもりは全くない――目的はそういうことじゃないからな。


 これが一つ目のキー。それさえ手に入れられれば十分なんだ。合っているのかはわからないけれど、他に見当がつかない以上これで勝負に出るしかない。


 宮はすぐそばにいてくれたので助かった――後はアリスさん。タイムリミットは明日の夜だから、明日学校に行った時にゆっくり聞けばいい――と思ってしまうとそれは落とし穴。アリスさんは今日、学校で別れる時に何と言っていた?


 (今度の週末に本選があるから、練習サボったらチーフに怒られちゃうのよねぇ……)


 そう、先週と同じようにアリスさんは週末にレースを控えている。先週は予め会場に移動しておくために、授業が終わると部活に参加せず帰ってしまったんだ。今週も全く同じスケジュールだとも限らないけれど、可能性が少しでも存在する限りはのんびり呑気なことは言ってられない。


 宮に断りを入れ、俺はアリスさんへ電話を掛ける。メッセージでも良かったけど、時間が時間だし、手っ取り早く済ませる方がいい。


 プルルルル――ガチャ。


 『は~い、アリスです』


 すぐ出た。


 大分リラックスしてそうな声だ――練習はもう終わったのだろうか?


 「どうも、江戸です。こんな時間に電話ですんません。今大丈夫ですか?」


 『とんでもないわ~。エドが電話かけてきてくれて、私とっても嬉しいのよぉ。どう、リンリンには会えたかしら?』


 思わせぶりな返答だけれど、アリスさんは基本的に誰に対してもこんな感じなので深くは気に留めず、


 「そのことで、話があるんです。ちなみに先に結論だけ言っておくと、荒川には会えませんでした。失踪してました」


 『えぇっ、そうなの? どこに行っちゃったの? 一人旅?』


 「当たらずとも遠からずって感じじゃないですかね? 一応無事ではあるっぽいんで、まあ当面はそこまで心配はいらないかと。で、アリスさん、明日なんですが、できれば会って話したいと思うんですが時間ありますかね……?」


 『あらあらぁ。エドからデートに誘われちゃったわぁ。キャア、嬉しい~』


 可愛らしい花びらを飛ばしながら満面の笑みを浮かべているアリスさんの顔が目の前に見えるようだった――この人はこの人でやっぱりちょっと変わってるなと俺は真顔になる。


 『もちろんいいわよぉ。ただ、あたしね、明日は午後になったらもう出発しなきゃいけないの。レースの会場に向かわないといけなきゃなのね。だから会えるとしたら午前中なんだけど……』


 予想は当たっていた。今のうちに連絡を取っておいて良かった安堵するとともに、俺は考える――明日の午前中は普通に授業がある。だから会うとすれば休み時間中ということになるけれど、しようとしているのはとても十分間の短い間で終わるような話じゃない。


 すると、直接会って話すのは現実的でないから、今この電話で聞いてしまうか――しかしやはり内容が内容だけに、また事情を説明するのに時間もかかりそうなのでできれば会って話せるのが望ましい。


 さて、どうしたものか――俺が思案に暮れていると、思いもよらぬ人物の口から悪魔の囁きが届けられたのだった。


 『エド、たぶんだけど察するに、けっこう真面目な話なんだよね? 会って話さないといけないような。それじゃあ、もしエドが良ければだけど――』


 そしてアリスさんが口にしたのは、これまでの柔和な彼女のイメージをちょっとだけ覆すような、意外な言葉だったのである。


 『明日だけ学校、サボっちゃう? 授業休んで秘密のデート、しちゃおうかしら? エドさえ良ければ、あたしも全然オッケーよ~』


 アリスさん。悪のイメージからは程遠いような完璧な容姿の裏で、あなたは存外不真面目っていうか、ある意味普通の生徒なんですね。


 俺は全く不真面目ではない。やるべきことに真剣に向き合う姿勢ではスバルに匹敵すると自分では思っているが、しかしここではその真面目さが仇となった。学校をサボるなんてことしたくないしできるはずもない――けど、けど、大切なクラスメイトを見捨てるなんてことはもっとしたくない。俺の良心が許さない――自分を取るか、友人を取るか。


 ここで自分が汚名を着せられる勇気を持たなければ、クラスメイトを助けることができなくなってしまう――そんな究極の選択肢に迫られた時、真面目で正義感溢れる俺はやはり、その勇敢さのあまり例えそれが反社会的な行為であろうと、自らの信念に背くことはできないのだった――要するにサボる口実ができて嬉しかった。


 わかりました、と返事をすると、


 『ウフフ、じゃあこれでエドも共犯者ね。ううー、楽しみだわぁ。ちょっとヤンキーになっちゃった気分で、ワクワクするわねぇ。シゲキ的~シゲキ的! じゃ、明日朝にエドのおうちに迎えに行くから。それでいいかしら? くれぐれも他の人に言っちゃ、ダメだからねぇ……』


 電話を切り、宮と向かい直った俺は、


 「急だけど、明日は体調不良で学校休むことになったから、よろしくな」


 宣言し、電話の内容を説明する。


 学校を不当に休むという行為にはおそらく自転車部一純粋で真面目だとたった今判明した宮にとって、抵抗はあったようで――しかし、荒川に戻ってきて欲しいという思いも相当に強く持っている彼女だ。事情を理解し、二つ返事で了承してくれた。


 何なら彼女も一緒に来るみたいなことを言い出したのだけれどそこまでは俺の良心が許容できず、宮にはちゃんと学校に行くよう説得し、そんなこんなでこの日の楽しかったランデブーは終わりを告げたのである。

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