2-11.


 そうだとするなら非常に心が落ち着かない。落ち着かないったらありゃしない。


 いや待て、仮にそうだったとしてそれが何だと言うんだ。荒川なんてただのウザい女子だろう。そんな奴泣かせたところで別にどうってことねえぜ。女を泣かせる男は最低とかそんなんただの戯言だ――女だろうが男だろうが泣きたきゃ勝手に泣いてやがれ。


 どうでもいいことで泣かれて男としてもメンツが潰されるなんてマジ勘弁。クソったれだ。そもそも何だ、俺は何も悪い事してねえじゃねえか。自転車買えって言われてでもいらないから嫌って答えただけだ――部活のことも正直に、やる気ないって言っただけだ。それで悪役扱いされるなら自由を尊重するこの国も堕ちたもんだぜ……正直なことを言ったら非難される。戦時中の独裁国家かここは。腐ってやがるぜ。


 とにかく俺は、荒川が泣いてようがキレてようが、その原因が自分だろうが誰だろうが気にしない――いつも強気なあいつが泣いてる姿なんて見たって何も思わねえしそんなん想像しても数ミリも心は痛まねえししかしまあ荒川ってそれなりにルックスは良い奴だからそんなあいつが泣いてたっていや何を想像してんだ俺はあいつはただの自転車馬鹿で自転車のことばっかしか考えてなくてたまに友達のことも思って学校生活に精を出して部活やって部活に力入れて自転車部でも馬鹿やろうとして皆でやりたくてただ純粋に自転車が好きで皆で乗りたくてでも叶わくてまた機嫌損ねて……そんなあいつが泣いてたって俺は何も思――わな――い? 


 何も思わないのか? 俺は本当に、何も思ってないのか――?


 「あっ、あの子!」


 突然声を上げた宮。立ち上がりまでしてかなりの驚きようだ――なんて冷静に思ってる暇はなく。


 宮が指さした方を見て、俺も全く同じ思いだった――いやまあ、俺は宮のように「あっ、あの子!」ではなくどちらかと言うと「あっ、あいつ!」って感じなんだけどまあそんなことはどうでもいいのでさておき。


 闇に包まれ始めた公園の中。あとわずかの夕日の遮る木々の下――あたかも帰宅途中の小学生のように自転車に乗って道を走っていくひとりの女の子。それだけならなんてことのない光景に思えるかもしれないけど――特異な点がいくつかある。

 

 この時間に帰宅する小学生なんて珍しいっていうかそもそもその女の子はランドセルどころか荷物のひとつも持っていない。白い髪、白いワンピース、黒の小径車――何よりも目立つのは、その女の子が何だか全体的に淡く輝いているように見えることだ。


 白の髪とワンピースが発する、吹けば飛びそうなほどの微かな光の霧に包まれているような、そんな感じ――そのおかげで彼女の姿はこの暗がりでもひときわ浮き出ている。


 まあ、もうそんな詳細に語る必要もないだろう――謎の自転車少女ツーの、今週になって初めての登場だった。



 ツーはサドルに横乗りし、足をプラプラさせながら勝手に進んで行く自転車に身を任せていた。目が合うと、いつものように柔らかな笑みが送られてくる――しかし、送られてきただけで、ツーは止まらなかった。ツーの乗る自転車はそのまま走り続け、彼女を公園の奥へと連れて行く。


 「待って!」


 慌てて駆け出した宮に俺も続いた。現れた時は遊覧船のようにゆっくりだったのに、走って追おうとすると向こうもペースアップしたようで、いくら追えども距離が縮まらない――というか、綿密に距離が調整されているような感覚だった。


 こちらがスピードを上げると向こうも上げ、失速するとそれに向こうも合わせる。常に距離が一定に保たれる――どっかの怪談で聞いたことあるような話の逆バージョンな気もしたけど、実際に体験してみるとこれがなかなか気持ち悪かった。自分と相手の間に透明な突っ張り棒でもあるかのような感じ――しかしそんな追走劇も、長くは続かなかった。


 公園内にあるグラウンド。暗くなった今では人の姿がない、ただだだっ広いだけの空間のど真ん中で、ツーは止まった。自転車の向きを変え、自走式二輪椅子に座っているような感じでこちらへ向く。その顔に浮かんでいるのは、いつ何時も変わることのないスマイル・オブ・ツーだ――やっとのことで追いつき、息を切らす俺たちに彼女が送ってくれたセリフは、いたわりの言葉などではもちろんなく。


 「リンコがどこにいるのか、知りたい?」


 一週間近くぶりの邂逅で最初の言葉がそれだ。普通だったら久しぶりだねとか何とか言うところかとも思われるが、ツーに関してはそんな常識論は通用しない。


 「偶然だね」とか「どうしたの?」でもなくいきなり問題の核心に触れてくるとは――さすが謎の自転車少女と言ったところだぜ。いつも見透かしたような奴だとは思っていたけれど、この時ほどのそんな彼女のことをありがたく感じたことはない。これなら話が早いぜ。


 「ああ、知りたい。お前ならもちろん、知ってるんだろうな。あいつが今どこで何をしているのか、どんな顔しているのかも」


 「ウフフ、そうだよ、」


 答えたツーは、いつものように、


 「だって私は自転車の妖精。みんなに自転車の楽しさを教えるためにこの世界にやって来たの。自転車のことなら何でも知ってるんだ。誰よりも自転車が好きな、リンコのことだってもちろんね」


 「じゃあさっさと教えてくれ。荒川の奴は今、一体全体どこに行っちまったんだ?」


 俺はツーの迫ろうとした――しかし、進めなかった。


 一歩踏み出そうとしても、まるで見えない壁があるかのように足が動かない。どうしたものか――前にはツーがいて、その後ろには圧倒的体積の黒い空間が広がっているだけ。おかしなことは何もないのに、何故足は動かないんだ――いや、わかった。確かにおかしなことなんてないけれど――ツーだ。ツーそのものが原因だ。


 彼女の表情は変わらないけど、その目にいつもと違う色を宿している――見た目は何も変わらない。でも、向けられているとわかる――嫌でも伝わってくる。ツーの宝石のような目が放つ視線はガラスの糸のように細く、しかしまっすぐで強い――そこに今は、明確な非難の色が混じっていた。


 いや、それはもしかしたら、もう少し強い感情――怒りであったのかもしれない。その視線に込められた力を無意識に体が恐れ、足が動かなかったのである。


 「教えてあげる。でもね、ただじゃ教えないよ。今回はちょっと、ペナルティだからね」


 「ペナルティ?」


 「そう、ペナルティ。だって、エドさんったら、あんなにリンコと仲良くしてって言ったのに、また喧嘩してるんだもん。ヒドいことも言ったし。だから、これはその罰だよ。お仕置きだよ」


 マジか。


 俺は狼狽える。


 まさかこの自転車少女から、そんなことを言われるなんて――確かに仲良くしてと言われてはいたけれど、了承したつもりはないし、それにそんなことでペナルティが科されるなんて聞いてないぞ……?


 「リンコの居場所は教えてあげる。でもね、」


 条件があるよ。


 ツーはそう言った。

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