2-10.

さすがに気になって聞いた。


 「ちなみに、荒川本人は今いないんですかね?」


 話に夢中になっていた荒川母は、やっとそのことを思い出したかのようにして、


 「ああ、そのことなんだけどね。説明しようと思って上がってもらったのに、あたしったらすっかり忘れちゃってたね。ごめんごめん」


 輪子ね、どっか行っちゃったの。


 荒川母は、消しゴムなくしちゃったの(照)と言うのと大差ないような軽さで、そう言った。


 「たまにあるんだよね。あの子、落ち込んだりするとすぐ自転車でどっか行っちゃって、そのまま酷い時だと何日か帰って来なかったりするの。さすがに学校にはそんな説明できないから風邪ってことにしてるけど……そっか、君たちはそう聞いてお見舞いに来てくれたんだよね。でも、ごめんね、実はそういうことなんだ。それにしても、高校に入ってからこれだけ帰ってこないのは初めてだなー――先月も何度かあったんだけど、その時は夜には帰ってきてたのよね。この前は学校から帰って来るなり泣きそうな顔して家出てったけど、一体何があったんだろ」


 ま、そのうち帰って来るからあんまり心配しないでね――荒川母には、笑いながらそう言われたのだった。娘の身の安全を確信しているかのように気楽に構えているようだったけど、一体その自信の根拠はどこにあったのか――気になりはしてものの、そこは親と子の関係。俺なんかが口を挟めることでもないだろう。


 「あっ、そうだ。江戸君……って言ったよね」


 別れを告げ、玄関を出ようとしたところ、荒川母は急に呼び止めてきたのだった。


 振り返ると、彼女は何やら不敵な笑みのような顔で俺を見つめながら、


 「ふふーん、そっか。君が江戸君か。そうなんだね――わかった。ようくわかった。それじゃ江戸君、これからも輪子をよろしくね」


 俺には何のことかさっぱりわからなかったけれど、とりあえずわかりましたとだけ答え、荒川家をおいとまする。しかし、何だか気味悪いくらいに娘と似ている母親だった。最後に向けられた笑み――あれは、あれだ。先週くらいに何度か見た荒川の企みの笑みとソックリだったのである。




 駅に向かい始めた頃には、もう空が暗くなってくる時間帯だった。


 母には心配しないよう言われた。これがよくあることなんだとも教えてもらった。


 実の親からそう言われてしまっては変に不安心を煽るようなことも言えず、彼女と別れるまでは納得したように振る舞っていた。それは宮も同じだったようで、荒川家を出てからはしばらく二人で無言で歩く。


 

 しかし、だ――荒川よ。


 親にそう説明されたからと言って、それを鵜呑みするには俺は当に初な少年心を捨て去ってしまっているし、そもそもその内容が内容だ。


 心配できないわけがない。


 

 お前、どっか行ったってさあ。


 

 一体どこに行っちゃったんだよ……。



 ◆



 見舞いに行ったクラスメイトが実は行方不明になっていることが判明して、そうだったんだねそれじゃバイバイというわけにもいかず。


 「えええ、どうしよう、どうしよう。リンちゃんどこ行っちゃったの? 大丈夫かな、大丈夫かなあ、心配でたまんないよぉ」


 公園内を駅に向かって歩いている途中で不安を爆発させた宮。荒川母には心配するなと言われたものの、それをそのまま信じられなかったはさすがにそこまでは素直でいられなかったのか、はたまた友達を親身に気遣うその心ゆえか――動揺するあまり徐々に歩くペースを落とし、やがて立ち止まって傍にあったベンチに座り込んでしまう。


 まあ大丈夫だろ、なんて根拠もなしに言うことはできなかった。


 体調不良どころの話じゃない。行方不明だぜ? 消息不明だぞ消息不明。クラスメイトが消えたっていうのに大丈夫だろなんて、そりゃ呑気なんて通り越して脳が活動を停止している。


 しかし俺には、他に何を言うこともできなかった――荒川母の話を聞いて、ますます居心地が悪い。俺は別に、そんなつもりはなかった――荒川がいつものように傍若無人に振る舞ってきたから、俺は俺でいつも通り自分の主張をしただけだ。


 むやみに彼女を傷つけることは言わないように気を付けたし、これまでのことを鑑みても特別倫理に反することをしたつもりはなかった――それなのに。それなのに……。


 

 荒川母の言葉が思い返される。


 (学校から帰って来るなり泣きそうな顔して家出てったけど――)


 泣きそうな顔? へ? 何それ。荒川が泣くことなんてあるの? いや、さすがにそれは侮辱しすぎか――実際目の前で大泣きされたこともあったし。でもそれは少々事情が違った――あの時の荒川の涙は、彼女の愛する自転車に向けてのものだった。


 我を失ったあまり自転車を壊してしまった荒川が、それをきっかけに自らの過ちを悔いて流した涙だった。それに関して俺がどうこう思うことはない――しかし、今回はどうだ?


 荒川が行方不明になった日――荒川母の話によれば月曜日、あの日部活に参加せずすぐに帰宅した荒川は帰ってくるなり家を飛び出していったという。月曜日何があったかと言えば、言うまでもなく朝のやり取りだ――自転車を買う買わないでモメて、俺が自分の意見を押し通すと荒川は意気消沈し、様子がおかしくなったんだ。


 その後、特記するような出来事はなかった――荒川はまっすぐ家に帰り、そのままどっかへ行く。泣きそうな顔をしながら、家を飛び出す。何が彼女をそんな気持ちにさせたのかと言えば、それはその日にあった出来事だろう――すなわちその考え得る唯一の可能性が件の朝の喧嘩で、その当事者は荒川、そして俺。


 

 そう、俺。


 

 これって、もしかして――もしかしてもしかしてだけど。


 荒川の失踪の原因は俺――言い換えれば。


 俺が荒川を泣かした、ってことになるの……?

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