2-7.


 実際は気が気じゃなくなってる宮と三十分もの間ただ座っているだけというのが気まずかっただけだったのだけれど、結果これが良かった。


 オシャレな街のみならず綺麗な公園といったような場所も好む宮はここの公園もドンピシャだったようで、木々に囲まれた道を歩いているうちにその目にどんどん輝きを取り戻していく。


 晴れ模様の空、心地よい春の陽気――青々とした自然を背に、軽やかで、それでいて落ち着いた足取りを刻む可憐な少女(宮)。申し分ないほどのベストマッチング――一時はここへ来た目的も忘れ、俺は彼女と二人、しばらくは時が過ぎるままに場の空気に浸っていた。


 公園を利用している人は他にもたくさんいる。学校帰りの小学生が多いようで、ボール遊びや鬼ごっこといった遊びに興じていて、高校生となってしまった者としては懐古の念を禁じ得ない。俺たちと同じように制服を来た中学生や高校生の姿も多かった。静かに並んで歩いたりふざけあっていたりと、ひたすらにほのぼのとした風景が広がっている。


 自転車で利用している人の姿も多い。公園の道は広く、通り道には最適なのだろう。


 ふとすぐ横を、自転車に乗った誰かが抜いていった。そこで、宮が「あっ」と小さな声を漏らす。その人――自転車が気になるようで、そのまま見えなくなるまで目で追っていたのだった――その姿が見えなくなっても、そちらの方を何らかの意思がこもった目で宮は見つめていた


 「今の自転車、好きなタイプだったのか?」


 聞いてみると、自転車が去って行った方向をまだチロチロ伺うようにしながら宮は、


 「うん。私が持ってるのと同じメーカーのやつだったんだ。乗ってる人少ないから、外で見るのってけっこう珍しくて。つい目持ってかれちゃった」


 少し照れくさそうに話すのだが、通り過ぎていった自転車が大量生産系シティサイクルではなさそうなことがかろうじてわかったレベルの俺にはあまりその心境がわからない。


 「見ただけでどこのメーカーとかわかるものなのか?」


 「まあね……って言っても、私は自分の持ってる自転車と同じメーカー以外はあんまり知らないんだけどね。同じメーカーの自転車でも別に詳しいってわけじゃないし、どこのメーカーってことを知ってるくらいなんだけど。でも、リンちゃんとかアリスさんなら、もっと色んなメーカーもブランドも知ってると思うし、形を見ただけで車種まで言い当てられるんじゃないかなぁ。詳しい人はホントに詳しいからな~、スゴいと思うよ、ホント」


 「俺にはママチャリかロードバイクかそれ以外かくらいの見分けしかつかないんだけどな。ロードバイクってのも最近やっと覚えたくらいだ」


 「あはは。まあ、興味ない人には難しいよね」


 子どもたちの快活な声が響く。帰途につく人々の足音が、会話のわずかな隙間に入り込んでくる。


 女子の中では長身寄りの荒川より五~十センチほど背丈の小さい宮。並んで歩くと、かなり視線の高低差ができるためこちらとしては少々物理的な話しづらさを感じざるを得ない。そういう意味では、荒川やアリスさんのように背が高くいてくれるとありがたいものだ。アリスさんに関しては何も文句がなく、荒川もアリスさんよりはちっこいけど許容範囲内だ。荒川が宮に勝る唯一の点を発見したかもしれないな――などと心のどこかで考えていると。


 そんなことを思われてるとは夢にも思っていなそうな――いや、もしかしたら向こうも言わないだけで、見上げて話すのを苦に感じていたかもしれない――宮が、ちょっとばかり神妙な顔つきになって、


 「江戸君、あのさ……あの、あのさなんだけど。別に、私はそれに関してどうこう言うつもりはないし、江戸君の意思を否定するような気はさらさらないんだけど……、」


 もったいぶった挙句、聞いてきた。


 「この前言ってたこと……あの、月曜日のことね。リンちゃんと言い合ってた時。あの時、自転車部、ホントはやめたいって……あれはさ、江戸君の本当の気持ちなの?」


 まさかここで、そんなことを聞かれるとは思っていなかった――そして、とても答えづらい質問だった。


 言葉通り咎めてきているような様子ではないものの、彼女のその、俺が言ったことが心に突き刺さっているような憂いの顔は、向けられて心苦しいものがある。


 全然気にしていなかった――気にしておくべきだった。自転車部をやめたいなんてことを口走ってしまったがために、月曜のあの場では荒川の機嫌を損ねてしまった。以前のように暴力沙汰にまでは発展しなかったのは幸いだったけれど――でも、あの時、俺はすっかり荒川を宥めることばかりに専念してしまっていた。目の前の女子の怒りさえ鎮めれば全てが丸く収まるとばかり思っていた――でもそれは、間違いだった。


 今と前では状況が違う。同じ教室内には、宮がいたのではないか――新生自転車部の仲間である、宮があの場には居合わせていたのだった。当然、あのやり取りは宮の目にも入っている。荒川の気に障るような言葉が、性格は違えど同じ心を持つ宮の、その自転車を愛し、自転車部に情熱を注ぐ心に、一抹の不安を放り込んでいたとしても、何の不思議はないんだ――。



 宮が答えを待っている。


 さて、どう答えたものか――荒川ならいざ知らず、宮が傷つくようなことはなるべくあってほしくない――別にこれは宮が特別だからというわけではなく、生まれてこの方徹頭徹尾平和主義の俺は誰も傷つけたくないのさ――特別と言うならどちらかと言えば荒川の方が特別で、彼女に関してはむしろ多少傷つくくらいに猛省を促したい。何に対してかってそりゃ色々だ、色々。


 まあ現実には俺はもう既に荒川のことを幾度か傷つけてしまっているわけで、ここではその反省を生かしたいところだった。


 「いや、あれは全くの言い間違いだ――と、言えば嘘になるな。うーむ、どうやって説明すればいいのやら……宮、お前はどこまで知ってるんだっけか? 荒川と俺による、自転車部創設までの壮絶なストーリーのこと」


 「壮絶なストーリーって……何? 私、そんな大それた話は知らないけど、自転車部作る前にそんな重大な事件があったの……?」


 およそ三週間前に起こった二つの事件。一つはとある日の放課後、誰もが帰った後の一年一組の教室で行われた荒川、スバル、テラサキ、俺の四人による荒川輪子自主退学論争。もう一つは、その三日後、街道で繰り広げられた逃走劇。そしてその後、俺と荒川と夜空の下で決闘をし、一連の騒動は終わりを告げたのだった。


 この二つの事件は自転車部創設までの道のりで最重要イベントとして君臨するわけであるのだけれど、実はそのことはまだ宮の知るところではない。ゆえに彼女の頭の中では、自転車校内移動を始めた荒川を見た俺が無償の愛を発揮して一緒に自転車部を作ることを提案、そして何の滞りなく晴れて部活は創設される――しかし、部活創設を目前にして荒川は体調を崩し、一週間学校を欠席。荒川が復帰後、部活は開始され今に至る――というような至って平和的で何の変哲もない学校生活的流れになっているはずだった。


 つまり、宮の中では俺は自ら進んで自転車部に入ったのだということになっているわけであり――すなわち先日のことについて彼女に説明するためには、まだ彼女の知らないそれ以前のイベントについて説明する必要があるのだった。


 正直なところ、それを話すのに抵抗はあった――荒川と約束をしたわけではないけれど、このことについては暗黙の内に他言無用となっているような感がある。荒川は自ら話そうとしないというかもう忘れてしまっているかのように振る舞っているし、自主退学云々の話に関しても、関係者は誰一人としてあの日の放課後のことを口外していない。それなのに俺が勝手に話してしまっていいのだろうか? 


 何となく、本人の了承を得ずにバラしてしまうのは気が進まなかった――しかし話さない限りは、宮に説明がつかなくなってしまう。荒川か、宮か――二人を天秤にかけた時、俺はどっちを選ぶことになるのか?


 即決断。宮だった。いや、別に荒川よりも宮の方が可愛いからとかそんな不純な動機じゃあないぞ? 理由は簡単さ。荒川の大切な自転車仲間である宮の気分を害したりしたら、後でどんな仕打ちが来るかわからないからだ――それに、そもそも荒川は、宮に知られたところで気にしたりはしないだろう。荒川本人に聞いたって、ここは宮を選べと言ってくる気がする――と、そんなわけで。



 俺は事のあらましを、手っ取り早く宮に説明する。三週間前の放課後、教室で秘密裏に交わされた会話。荒川と宮、そして俺が偶然の出会いを果たしたあの日、宮が帰った後何が起こっていたのか。


 話している最中は臨場感MAXかのようにあっとかえっとか言って驚いたり怯えたりしていた宮。ごく普通に学校生活を送っていたと思ったら、実はその裏でひとりの生徒の学歴及び人の生死に関わる事件が起こってましたなんてことを聞けば、そりゃ驚くのも無理はないだろう。


 でも聞き終えた時には、心のモヤがひとつ解消されたような、どこかスッキリした顔になっていた宮だった。


 「と、そんなこんなで月曜に繋がるって感じだな。だからまあ、俺は荒川の自転車置き場を確保するために自転車部作りに協力しただけのつもりなわけで、自転車にそこまで興味があるわけじゃあないから積極的に活動するつもりは最初からなかったんだ。もちろん自転車を買うつもりもないんでな。悪い、フツーにアイアム幽霊部員のつもりだった」


 説明を締めくくる――どうやら、自らの不甲斐なさゆえに彼女から失望されるとばかり思っていた俺の心配は無用だったようだ。何故なら、清純さの塊のような心を持つ宮のその白さは嘘偽りなく、清い心はまた同じくらいに広かったのだから。


 「そんなことがあったんだね。全然知らなかったよ……」


 そんな感想を述べた宮は、しかしふっと頬を緩め、


 「私もホントのことを言えば、江戸君って自転車好きなわけじゃないのにどうして自転車部にいるのかな、ってちょっぴり不思議に思ってたとこはあったんだ。でも、そういうワケだったんだね。納得納得、っていうかチョット尊敬かも……。江戸君って、何だかんだ言ってやっぱり、リンちゃんのことすっごく思ってあげてるんだね」


 「そんなんじゃねえよ。俺はただ、学級委員がメンドかっただけだ」


 「ふふふ、そっか。それじゃ、ま、そういうことにしておくね」


 そういうことにしておくんじゃなくてそういうことなんだと文句を言いたいところだったけど、宮が楽しそうに笑っているので、まあそういうことにしておこう。


 「でもさ、」と、少しだけ笑顔度を下げる宮。


 「仮に、江戸君がホントにそう思ってるのだとしても、リンちゃんはそうじゃないと思うの」


 「?」


 どういう意味かわからなかったので無言のメッセージを返すと、


 「だから、その、江戸君がリンちゃんのことを思ってあげてるんじゃないのだとしても、リンちゃんは江戸君のこと、スッゴく思ってるんじゃないかなって……少なくとも私は思うんだ。つまり、リンちゃんは江戸君のことが好き――っていうか、えっと、えっとね、何も恋してる、って意味に限りはしないよ。えっとでもまあ、そういう可能性はゼロではないとしても――そんなこと言ったらまた怒られちゃうかもしれないし今はとにかくそういうのは置いといて――つまり、つまりね。要するに、リンちゃんは江戸君のことが人としてスッゴく好きなんだよ――」


 第三者を介した突然の告白――ではなかった。

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