2-4.


 「昨日した話だけどさ。江戸君、どう? 今日授業終わったら、リンちゃんち行ってみない?」


 荒川と宮の二人、そしてスバルと奥田と俺の三人という二グループに分かれて食事をするのがここ最近の一年一組の教室内右前方における昼休みの通常風景だったのだけれど、荒川がいないため珍しく宮がこちらのグループに参加している。


 「そうだなぁ。行きたいのはやまやまなんだけど、今日は確か予定があったようななかったような、そんな感じだった気がしないこともないんだよなぁ……」


 聞いた話だと、荒川の家は学校からかなり距離があり、電車で一時間ほどかかるそうで。そんな距離を毎日自転車で通学する荒川もさることながら、とりあえず俺が気にしたのは電車代だ――今月の出費はもう既に、とある日のタクシー代やら先日のカフェ代やらで予算を軽くオーバーしている。


 いや別に、行くのが面倒だからとかじゃいぞ? 冷静に考えて下手な行動力は身を滅ぼすだけであってだから別に面倒なわけじゃないけどむしろ宮のためについていってあげたいのは山々なんだけれどもやはり経済的な問題と言うのはどうしても金のない一高校生にとっては度外視し難いのが実情というわけでやっぱり様々な可能性を考慮しつつ将来をシミュレートすると行かない方がいい確率が逆のそれをかなり上回るという結果が俺の頭にはありうんだから断るのはとても悪いことだと思うし酷く心も傷むんだけどこういう時に自分の主張をハッキリさせないのは日本人の悪いところと世界的な批判も踏まえてやはり俺は断腸の思いで断ろうと――


 「そうしてあげなよ。荒川さんも二人が来てくれれば、きっと喜ぶと思うよ」


 ヘイ、スバル、マイハニー。チョット空気読モーZE!


 「そうそう、私はともかくとしても、江戸君が来たらリンちゃん、すっごい嬉しいんじゃないかな……」


 YO,宮チャァン。何を根拠にそんな事言えるんDIE?


 「てかとりあえず謝ってこいよ。連絡取れないのって絶対この前のこと根に持ってるからだろ」


 奥田お前は黙れ。


 と、いうわけで。展開は俺がひたすら断りづらい方向へと進むこととなり。


 「ていうか別に俺じゃなくても良くね? 奥田……はまあないとしても、スバル、そんなこと言うならお前が行ってくれてもいいんだぜ? あいつのこといつも気にかけてんじゃねえか」


 「そうしてあげてもいいところなんだけど、やっぱり江戸君たちが行くことに意味があるんじゃん。同じ部活でしょ? 何だかんだ私は、まだ荒川さんとそんなに話したこともないし、不適任だよ」


 そう言った後にスバルが付け足した言葉は、史上どんな言い訳よりも説得力があった。


 「それに私、今日塾あるし」


 このようなありふれた常套句のようでしかし絶対的に強力な断り方ができるのはスバルのような勤勉な優等生だけの特権だ――もう少し真面目に生きてくれば良かったと、俺はほんの少しだけ後悔する。


 しかし、物は試しだ――


 「あっ、そうだ。今日は俺も塾だった。だから悪い、行けねえや」


 「ウソはダメだよ、江戸君」


 「すまん」


 あっけなくミッション・フェイルド……スバル、ちょっと鋭すぎ――というか冷たすぎじゃねえか? ちょっとくらい冗談に付き合ってくれてもいいと思うんだけど……。


 でもまあ、この真面目っぷりがスバルらしいところでもあるわけで。


 気を取り直して話題を元に戻す。


 授業後に荒川の家へ。決して嫌というわけではない――むしろ今となっては、俺にとってただの面倒臭い奴と一言では片付けられなくなってしまった彼女の事だ。邪険にどうでもいいと突き放すことはもうできない――もし何かあったりでもしたら、俺としても多少の心痛は避けられないことだろう。


 そして、何より気がかりなのは、仮に荒川の身に何か良くないことが起きていたとして、そうしたら宮やアリスさんが大いに嘆き悲しむだろうということだ。俺が心を煩わせるのなんか二人に比べたら文字通り雀の涙だろう。まだまだ出会ったばかりではあるけれど、その短い期間で二人からは決して少ない量ではない笑顔をもらった俺だ――二人の泣き顔を前に、ウマい飯が食えるはずもない。


 しかし、何だろう――つい数か月前までは、自分がまさか人に対してここまで入れ込むことになるなんて思ってもいなかった。出会いというのはどこで起きるか、やっぱりわからないものなんだな――とか何とか、密かに感傷に浸りつつ、俺の心の大半を占めていた思いはひとつだ。


 うーん。


 やっぱり金が……時間が……。


 一時間か……。



 「けっこう渋ってるね、江戸君」


 的確に俺の感情を言い表すスバル。うむ、渋りまくりだぜ。


 宮は断られるのを恐れているのか、不安そうな顔になり、


 「ダメ……かな。まあ別に、きつければ私一人で行くからいいんだけど……」


 「そうだな……」


 悪いけど、そうしてくれるか? この埋め合わせはいつかするからさ。また別の機会になら、地獄の果てまででもついていってやるぜ――時期を見て、そう言おうとした。このタイミングで言うのが、スムーズな展開の進行を妨げない最良の案だと思った。


 でも、言えなかった――言おうとした俺を遮って、スバルがこんなことを言ったからだった。


 「ていうか江戸君、一緒に行った方がいいんじゃないの? 荒川さん来なかったら、一番困るっていうか嫌がるのは江戸君だと思うんだけど、私の思い違い?」


 「ん? 何でそうなる」


 発言の意図がわからなかった。どちらかと言えば、この場で荒川が来なくて困るのはむしろ、自転車部に前向きな宮になるんじゃないか?


 しかし、この後のスバルの言葉で、俺はいかに自分が目の前のことしか見えていなかったか思い知らされることとなる。


 スバル――彼女の頭脳はやはり秀でていた。抜群の慧眼、そして先見の明を兼ね備える彼女はしかし、決して生まれながらにしてその才能を持ち合わせていたのではないだろう――彼女は高校一年時から塾に通っているという事実からもわかる通り、努力によって自らの力量を跳ね上げたのだ。もちろん元々要領が良かったということもあるではあろうが、決して現状に甘んじず、妥協することを許さない――常に自らを鍛錬することに執心する彼女こそ、秀才と呼ぶにふさわしい。


 そして彼女は言う――


 「だって来週頭に、学級委員会あるじゃん。このまま荒川さん来なければ副委員長の江戸君が参加することになるけど、いいのかなって。あれ、何かすごい嫌そうにしてたように見えたけど、記憶違いだったかな?」


 俺は姿勢を直し、毅然と構えた上で、宮に改めて向かうのだった。


 「宮。授業が終わったら即荒川の家に向かうぞ。時間に余裕はない。全力ダッシュだ」


 「えっ、えっ。うん、わかった……!」


 本日部活は臨時休み。


 授業終了のチャイムとともに、宮と俺は学校を飛び出る。

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