1-19.


 ◆


 自転車少女ツーについてわかったこと。


 ① ツーは荒川輪子が生まれた時から彼女の家にいた。


 ② ツーはその時からずっと同じ姿形をしている。


 ③ 荒川輪子はツーのことを嫌っている。理由は不明。しかし、何年経っても年を取らない美少女がずっとそばにいれば、確かに気味悪く感じるのも無理はないかもしれない。というか、彼女の様子から察するにそれが主たる原因だと思われる


 ④ ツーは当初荒川輪子の家に住んでいたらしいが、今はその限りでもないらしい。自由の翼を得て、ツーは各地を放浪しているようだ。


 ⑤ ツーの生態は謎に包まれている。この点については荒川輪子にとっても同様のようだ。成長しないことから始まり、どこで寝泊りしているのか(荒川輪子曰く、彼女の家にいることはもうない)、学校には通っているのか、食事はどうしているのか、家族はいるのか(ツーは荒川輪子の家族を自称するものの、荒川輪子はその事実を認めていないため、詳細は不鮮明)。加えて、人間とは思えない超越的なバランス能力。ツーが自転車から降りることはあるのだろうか。また、自転車の妖精云々の発言――自転車の楽しさを皆に教えるためにやってきたという発言の真意は如何なるものなのか。


 彼女の存在の大半の部分が、未だ闇に包まれている。




 荒川から聞き出した話の断片を繋ぎ合わせると、大体こんな感じだった。


 しかし、改めて整理してみて思うのは――うん、よくわからないや。とにかく謎が多すぎる。荒川は説明したがらないだけじゃなく本当に知らない部分も多々あるようだし、ツーのことを知るなら、他の方法を試すしかないのかもしれなかった。


 他の方法とは言っても、今の俺にできるとしたらそれは、ツー本人に聞くことくらいだ――でもそれはあまりに現実味がない方法論である。だって、それができればこんな苦労はしてないよ……ってことであって、つまりツーが何も教えてくれないから知っていそうな荒川に聞こうと思い、そうした結果がこれなのだ。


 ツーのことはやはり、放置しておくことに越したことはないのだろうか――しかし不幸中の幸いと言うべきか、取り得る手段がなくなったことでもはや俺は諦めの境地に再び達することができ、今朝まであったモヤモヤもとりあえずしばらくは捨て去ることができそうなのであった。


 やはり自転車の妖精は自転車の妖精なのであって、それ以上その正体を追究するべきではないのかもしれない、というか追及の必要はないのかもしれない。本人がいつもそう言っているように――『私は自転車の妖精。よろしくね』――彼女はそれ以上でもそれ以下でもないんだ。彼女の今ある姿を、そのまま受け入れてやればいいだけの話なんだ――そのように気持ちの整理をつけて、俺はベッドの温もりに包まれる。


 荒川と宮を送り、帰宅してからのこと。正直なことを言えば、やはりすぐには腑に落ちない感を捨て去り切れずにいたのだけれども、やれることはやったという気持ちのおかげで多少はスッキリしており、ある程度気分の良い眠りは獲得できそうだった。



 と、俺が一日の充足感に余すところなく興じようとしていたその時。


 スッと部屋のドアが開かれると、顔を出してきたのは部屋着姿のミヅキだった。


 「エドっち、入っていい?」と言いながら既に入ってきていた彼女に遅ればせながら許可を出すと、スタスタとベッドに歩み寄ってくる我が妹。何やら思案に暮れているような顔をしている。自分の部屋に入られたら怒り出すくせに身勝手な奴だなどとは思わず、俺は要件を問う。


 普段は思ったことをズバズバ言ってくるタイプのミヅキなので、こんな風に悩まし気な顔をしているのは珍しかった。ていうか初めてかもしれない。いやさすがにそれはないか。とにもかくにも、言葉を探すようにしながら、やがてミヅキは言った。


 「荒川さんに色々と聞いた。自転車部、エドっちが考えたんだってね」


 俺が入った部活が自転車部だというのは、帰途で既に確認し合ったことだった。


 「俺が考えたっていうより、無理矢理考えさせられたって感じだったけどな。悪質なくらい強制的に、な」


 「そうなの」


 「そうだよ。あ、あとこれも聞いたかは知らないけど一応言っておくがな、俺はあくまで自発的に参加したわけじゃなくて、これもあいつに無理矢理入れられたんだからな。そこ勘違いするなよ。ミヅキ、たぶんだけど、お前が今思ってるより俺はずっと今まで通りだ。部活なんて死んでも参加したくない今まで通りの俺だ。じゃあ何で高校で部活を始めたかって、そりゃそうしないと殺されちまうかもしれなかったからさ」


 「……」


 何故だか反応の薄いミヅキだった。いつもだったら、「それでもおかしい」だとか「エドっちなら死ぬ方を選ぶはず」だとかツッコんできそうなものなのに。


 今の彼女には、何か思うところがあるようだった。しかしまあ、そうでもなければ、帰る前にわざわざ「お話しよ」なんて言ってくるはずはないか。


 家に帰ってくる時も、夕飯の時も、それらしい話はなかった。つまり、今がその時なわけである。荒川と宮と別れる前に予約されていた話を、ミヅキは今しに来たというわけだろう。


 しかし俺には、何の話を彼女がしたがっているのか皆目見当がつかなかった。くどいようだけれど、言いたいことはズバズバ言ってのける、その点では荒川と同じ――やっぱりこの二人は似ている点が多い気がする――ミヅキなんだ。そんな彼女が、ここまでもったいぶって一体何を話そうというのか――果たしてそれは、予想外のそのまた予想外、思っても見なかったあまり俺にとっては意表をつかれるような話なのであった。



 「エドっちさ、もしかしてだけど」


 そう前置きをして、ミヅキは言う。


 「あの時のこと、思い出した?」


 って言うか、覚えてる?


 

 

 何のことか、さっぱりだった。




 「あの時? いつの話?」


 俺が問うと、


 「ほら、私たちがまだ小学生の頃」


 そんな昔の話か。


 一応考えてみる。小学生の頃は確か、俺は比較的消極的な子どもでありはしたものの、特にこれと言ったことはない生活を送っていたはずだ。


 特に思い出すようなことはない。何も思い出せない。


 「悪い。思い当たる節はないけど、具体的に言ってくれればわかるかも」


 俺は言ったが、


 「……ううん」


 ミヅキは首を振った。


 じゃあ大丈夫、何でもない。


 どこか寂しさを漂わせるような顔で、ミヅキは言った。


 「邪魔しちゃってごめん。じゃ、おやすみ」


 言い残し、そのまま部屋を出て行こうとする。


 煙に巻かれたような気がして、俺はミヅキを呼び止めた。


 「おいおい。話って、それで終わりかよ」


 「……」


 「せめてもうちょい詳しく話してくれよ。あの時とはどの時で、どんなことだったのかとか」


 「……」


 ミヅキは背を向けたまま答えない。心の中で酷く葛藤しているような、そんな雰囲気が背中から伝わってきたが俺はさらに問い詰めるように言った。


 「答えないとお前の今日のパンツの色と柄を言い当てるぞ」


 ミヅキ、即向きを反転、素早く行進開始。無防備な体勢の俺の頭の下から枕を引き抜いたかと思えば流れるような動作で両腕で振り上げそして振り下ろす。流星のようなスピードと軌道を得た枕は俺の顔面に直撃し、俺はダメージ小を受けた(枕だからそこまで痛くはなかった)。


 そのままずかずかと出て行こうとしたミヅキを素早くベッドから抜け出した俺はすんでのところで引きとめる。怒っているのか悔しいのか、掴んだ肩は小刻みに震えていた。


 「待て、悪かった。今日のお前のパンツの色は誰にも絶対にバラさない。墓場まで持っていくと誓うから許してくれ」


 「パンツパンツ言わないで。私はエドっちみたいに破廉恥じゃないの。普通に恥ずかしい」


 「そうか。わかった」


 ここで可愛げのある素直さを見せるミヅキだった。



 少し間を置いて、気持ちが落ち着いたのかゆっくりとミヅキは振り返ってくる。怒りは既に消えていたようで、その顔には先程までと同じ、うら寂しさを募らせたようなパッとしない表情が浮かんでいた。


 「エドっち、荒川さんと会って、どう思った?」


 その言葉もまた、俺にとっては意表をつくようなものだったのだけれど、質問の意図が読めない俺は正直に答えておくことにする。


 「変な奴だと思ったよ。だって入学式の会場にまで自転車持ち込んで来てんだぜ? どんだけ自転車好きなんだよ、って。最初は関わりたくもなかったな」


 「それだけ?」


 「それだけ、って……うーん、どうだろうな。色々と思ったことはあるけど、まあまとめるとそんな感じじゃないか?」


 「そっか」


 自分から聞いてきた割には、ミヅキの感想は素っ気ない。一体全体何故こんなことを聞いてくるのか、俺はそろそろじれったくなってきていた。いい加減、話があるならあるで要点を教えてほしいものだ――が、しかし。ここでひとつ、俺は勘違いしていたことがあったようだ。


 それは、このシリアスっぽい展開の中では忘れてしまっても特に問題のないと思われたことで、しかし実際にはそんなことは全くなく、外ならぬ俺が最も重要視しておかなければならなかった事柄だった――例えば、自転車の存在価値を否定するようなことを荒川の前で言ったらどうなるか? 


 その答えは言わずもがな、荒川は地獄の炎のような怒りを爆発させ、その怨念は鎮まることを知らず、彼女はいつまでだって愛する自転車を冒涜した非礼極まりない反逆者のことを憎み続ける――事実俺が荒川につきまとわれることになったのも、それが理由だしな。


 何が言いたいか? 要するに、荒川のようにこだわりの強い女というのはとことん執念深いのであって――我が妹であるところのミヅキも、そのようなタイプに十分当てはまるのだということだ。


 どんな心境の変化があったのか、煮え切らない顔から一転。見られる者全ての存在価値をゼロへと引き下げるビッグフリーズ・アイ(命名、俺)を装備し直したミヅキ。


 突如張られた伏線に戸惑う兄に解説を送ってくれる心優しい妹などという幻想は、大地震で粉々に散るガラスの宮殿よろしく大地の砂塵と化したのだった。


 「明日は五時起床だから。河西まで行ってインターバルするよ。起きなかったらおしおきだから。ブン殴る。来なかったらボコボコにする。いいね」


 去り行く妹。閉ざされる扉。



 ……嘘だろ?


 これって夢だよなあ、オイ。


 週末の早朝ランニングは毎週恒例だからいいとして――聞き間違いか? いつもは六時だぞ? 一時間早いぞ? ていうか河西って……確かここから海岸沿い五キロくらいの距離のトコだったよな。あれ? 遠くね? 何か遠くね? しかもインターバルって何? いつも通り砂浜ランニングじゃないの? どこの体育会系?


 俺はただ、不安と緊張に身を震わせながら来たる明日に備えるしかできなかったのであったのである。

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