1-17.


 生涯部活動をすることなんてないと思っていた。するつもりなんてこれっぽっちもなかった。


 これに関しては、別にしたくなかったというわけではない。したくない理由が特にあったわけではない。ただする気がなかったというだけだ。部活動に励んで熱い青春を送るなんていう概念を持ち合わせていなかったが故に、そんな考えは頭の中に一ミリも巡らせたことがなかった。


 俺が生まれた時からそういった類の人間であるということは、妹であるミヅキがよく知っていたことだ。小学校、中学校と、何ら特筆すべきこともない生活を送ってきた俺のことだ。当然ミヅキは、自分の兄がこれまでと何も変わらない、ただ高校生という肩書きがつくだけで、中身の変化は何もない生活を送っていくのだと思い、また信じていたことだろう。


 そんな俺が、いきなりクラスメイトの女子に挟まれて登場。しかも突然の入部発言。そりゃ、激流のように移ろいゆく世の中の情勢にまだ疎いミヅキが驚くのも無理はないってもんだ。


 短慮な自分を恥じつつ俺は、さあ困ったぞ、どこから説明したものかと頭を悩ませかけたのだけれど。


 それには及ばなかった。ていうかそれどころじゃなかった。


 それこそ今日が地球最後の日ですと言われてパニックになっている時のような形相で俺に迫ってきていたミヅキ――よほどの衝撃だったのだろう。彼女は俺の答えを待つことなく、急に糸が切れたように力を抜いて倒れかかってきたのだった。


 「おいっ」


 否――力を抜いたのではなく、力が抜けたという方が正しい。寄りかかってきたミヅキの肩を持って支えると、その身体は折り畳まれた掛け布団のようにぐったりとしていて、明らかに彼女の身体に異変があったことを示唆していた。


 「どうしたのっ」


 不穏な空気を嗅ぎ取った荒川と宮が駆け寄ってくる。完全に俺に体重を預ける形となっているミヅキは力なく目を閉じ、呼びかけても応じる様子がない。


 俺はひとまず彼女を怪我させないように地べたに座らせ、倒れないように背中を支える。


 「ミヅキちゃん、ミヅキちゃんっ」


 「大丈夫っ?」


 「ん、んー……」


 やって来た荒川と宮の呼びかけに、ミヅキはほんの少しだけ反応を見せた。多少顔から血の気が引いているように見えるものの、完全に気を失っているわけではないらしい。


 「何があったの? いきなり倒れたように見えたけど……」


 責め立てるようにして聞いてくる荒川に対し俺は、


 「いや、それが実はよくわからない」


 「熱中症? いや、まだそんな暑くはないか。ただの貧血だったらまだ安心だけど、発作とかじゃないよねっ?」


 荒川は不安と焦りをその顔に色濃くする。そのただ事ではない剣幕のあまりこちらの焦燥心まで煽られる。


 「ふたりとも落ち着いて、」


 意外なことに、ここで一番の冷静さを保っていたのは宮だ。荒川と俺の二人を黙らせ慎重にミヅキの様子を見ていた彼女は、緊急事態でも冷静に的確な指示を出すベテラン女司令官のような顔をここでは見せ、


 「江戸君、とりあえず、ミヅキちゃん地面に寝かせてあげよ。ここなら草がふかふかで柔らかいし、ちょっと汚れちゃうかもしれないけど、そっちの方が楽だと思う」


 普段の宮からは想像できない的確な指示だった。誰かが倒れたりするような異常事態では真っ先に慌てふためいて、右も左もわからなくなっていそうなものなのに――これは少し、彼女の評価を上げてやるべき時かもしれない。そんなことを考えたような気がしたものの今はそんな場合ではない。俺は宮の言葉通りにすることにした。


 頭を打たせないようにしつつ、丁寧にミヅキを横たわらせる。辛そうな表情は変わらないものの、そこまで酷い症状には見えなかった。少し重めの貧血といったところだろうか。このまま休憩させて意識を取り戻してくれればいいけれど、もし悪化するようなことがあれば病院に連れていく必要性が出てくるかもしれない。とにもかくにも、この状況で無理に起こして、移動させることだけは避けた方がいいだろう。


 とりあえずは様子を見てやるのが先決、ってところか。


 「ミヅキ。大丈夫か」


 声をかけてみる。少し辛そうな表情が和らいできたようにも感じる。長めの前髪が目にかかっていたので避けてやると、眼球が反応するようにピクピク。意識が戻ってきたようだ。


 熱があるわけでもなさそうだった。体力もあって身体も強いミヅキのことだ。貧血程度なら、目を覚ましさえすればすぐに体調は元に戻るだろう。比較的楽観的だった俺がそのようなことを荒川と宮に伝えるも、二人の不安はまだ収まっていなそうだ。


 ここで俺はとある妙案を閃く。ミヅキの意識をすぐにでも取り戻せるかもしれない方法。この事態を一瞬で打開できるかもしれない手段――しかもこれは男として、人生で一度やってみたかったことでもあった。


 意識を失っている少女。彼女の身の安否が完全に我が手の内にあるというこの状況。


 試すには、打ってつけの舞台じゃないか……。これを今やらなくて、俺は一体何のために今まで生きてきたというのだろう?


 そうと決まれば思い立ったが吉日。俺は意を決して、弱弱しく目を閉じるミヅキの顔に自分の顔を寄せ――


 「うがっ!」


 「げふっ!」


 直後にミヅキが覚醒した。何の前触れもなく覚醒した。


 悪夢にうなされていたかのように、はたまた目覚まし時計の爆音に驚いたかのように、物凄い勢いで飛び起きた。顔と顔の距離三十センチにあった俺たちは必然的に盛大な顔面衝突。互いに呻き声を上げて飛び退る。飛び退ったというか、俺は反動で後ろに飛ばされ、ミヅキは起きた直後だというのに再びベッドイン。かなりの勢いだったので、地面に思い切り頭をぶつけていた。


 「イテっ!! ぁぁ、イッタぃ……」


 意識が急激に回復したようで、ミヅキは頭をさすりながら、今度はゆっくり起き上がってくる。先程までの様子が嘘のように、身体はしっかりと動いていた。


 「ちょっと、ふたりとも大丈夫っ? てか江戸君、あんた何やってんのさ!」


 俺氏、ついに荒川にあんたと呼ばれるの巻――この目も離せぬ展開のスピードには、さしもの荒川もついてこれていない様子だ。怒りたいけどそうしていいのかわからない――戸惑うあまり珍しくその顔には動揺が浮かんでいる。


 何に動揺してたかって? そりゃ、俺がやろうとしたことに対してに決まってるだろうさ。


 運悪く失敗に終わってしまったけれど、俺が今何をしようとしたのか――それはつまり、こういう展開ではありがちな行動だった。


 物語のテンプレートとも言える展開。代表的な話は白雪姫だろうか? 眠りこけて目を覚まさない姫に、イケメン王子はキスをする。するとあーら不思議、姫はすぐに目を覚ますんだ。


 キスをして呪いが解けるとかってパターンもあったかな? まあ要するに、俺はミヅキにキスをすれば起きるんじゃないかって思っただけなのさ。


 ――いや、もちろん本当に口づけするつもりは全くなかった。毛頭なかった。ミヅキに対してそんなことするわけない。色んな意味でするわけない。ただ、そんなドキドキ目が離せないロマンチックな雰囲気を醸し出せば、第六感並みの勘を誇るミヅキはすぐに気が付くと思ったんだ。


 うん、そしてそれは正解だった。ほら、見てみろよ。今俺の妹はピンピンしているぜ。


 「イッタタ……。何かゾンビ映画並みにおぞましい夢を見ていたような気がするんだけど……。何これ。どういう状況? どうして私はエドっちと地面に座り込んで向かい合ってるの? 何か重要な会議中?」


 「とりあえずだな、我が妹よ」


 倒れる前の記憶が飛んでしまっているらしいミヅキ。事態を収拾する必要性に迫られていた俺は、とりあえず第一段階として、状況を飲み込めないあまり普段なら犯すことのない過ちまで犯してしまっている妹に兄としての訓戒を垂れることにする。


 「まずは座り方を直せ。そうだな、ぺたんこ座りがいい。その方が女の子らしいしな。そうしないと、その座り方じゃ、スカートの中が丸見えだぞ」



 

 そうして、新たな火種も加わった争乱はもうしばらく続く。


 ミニスカート含め独特なファッションをしている割には下世話な話題を好まないミヅキ。兄にスカートの中を直視された彼女は恥ずかしがるよりも先に悔しがり、憂さ晴らしなのか怒り狂い、そんな妹を宥めるのに要した時間及び労力が尋常ではなかったことは賢明な方々ならわかってくれるだろうと期待する。


 いやしかし、どう考えても自分がスカートを穿いていることも忘れて、人の目の前だというのに両ひざを立てて座ったりする方が悪くないか? まったく、別に見たくて見たわけじゃないのにとんだ骨折り損だぜ……(ちなみに色hおkmんじうhbvgytfc(何っ、突然の電波障害だと……⁉))。


 やっとのことでミヅキが静かになり、荒川と宮に事の顛末を説明し、また納得を得た頃には、時刻はもう夕方五時を回っていた。ミヅキはさっき倒れたのが演技だったと言わんばかりに体調を元通りにしたので、その点についてはひとまず一件落着として。彼女は未だ警戒心を捨てきれていないような顔をしつつも荒川と宮を受け入れる気にはなったようなので、ここに関しても良しとする(荒川と宮については見た瞬間からミヅキのことを受け入れている)。


 ちなみにミヅキだけじゃなく荒川にも俺は怒られていたので(主に妹相手にふしだらな行為をしかけたことについて)、彼女にも頭を下げまくり、謎に顔を真っ赤にしている宮を我に返らせ。


 そうこうして荒れに荒れた場の収拾はついたのだけれど、兄が部活に入ったという現実をミヅキが一向に受け入れられそうにないということだけが問題として残っていた。


 「じゃあさ、とりあえず、」


 心機一転、俺には滅多に見せてくれないスマイルに戻った荒川は気さくな感じで、


 「せっかくだから、ミヅキちゃんも一緒にカフェ行こうよ。そこでもう少しゆっくり話そっ。江戸君のことも、ミヅキちゃんからもっと聞きたいし。ふたりの昔の話とか、面白そう」


 物騒なことを言いつつ、彼女は最後に俺にウインクを送って言ったのだった、


 「もちろん、江戸君が全部奢ってくれるんだよね?」


 皮肉なことに、それはそれは隣の席のクラスメイトとは思えない、完璧なウインクだったのである。

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