1-15.


 「…………、」


 ふたりの思いもよらぬ好意に調子を崩されたのか、ミヅキは拍子抜けしたように目を丸くし、続けて向きを反転する。頭を抱えて屈みこんだかと思えば、


 「あり得ない、あり得ない、エドっちに女友達ができてる。エドっちが可愛い女の子たちと仲良くなってる。それも二人も……」


 ひとりでガクガク震え出した。動揺するあまり、愛用のボールが傾斜に従って転がり離れて行くのにも気が付けていない。やがて何を思ったのか、いきなり飛び上がるようにして立ち上がると、


 「ハッ……。ねえ、エドっち。もしかして、今日が前に言ってた人類滅亡の日?」


 普段は負けん気の強い女子でも、一度心に不安を覚えてしまえば、その姿はか弱き少女のそれと何ら変わらなくなる。得体の知れない恐怖に襲われているらしいミヅキの顔は今、それはそれは庇護欲を駆り立てるような怯えっぷりだったのである。


 そんな愛おしき妹を、心優しき兄は慰めてやるのだった。


 「ちげえよ」


 しかしそれでも、一度揺れ始めたミヅキの心は休まることを知らない。


 「世界大戦再発?」


 「しねえよ」


 「小惑星衝突?」


 「何でだよ」

 

 「地球外生命体の襲来?」


 「SFかよ」


 「じゃあ何?」


 「何か破滅的イベントがある前提で話すな。何もねえよ。ごく平凡な日常の一コマでしかないわ」


 「すごくボンボンな吉祥寺の人妻?」


 「何だそれ……」


 「知らない……」


 「たわけたこと言ってると今晩風呂覗くぞ?」


 「……やめて」


 ぷいと顔を背けるミヅキ。戦意喪失の意と解釈。


 「まあな、お前が驚くのも無理はないさ。何を隠そう、俺だって未だ信じられないくらいなんだぜ。三年間過ごすことになる高校に混乱を招くことなく平和な青春を送るためにも必死に目立たないようにしてたつもりだったのに、まさか新学期早々から秘められた俺の魅力に引き寄せられる女子がふたりも出てくるなんてな。中学では誰の目にも止まらずにいられたからって高を括ってたら、情けないこのザマよ。ふふっ、これだからモテる男は辛いぜ」


 ポカッ。


 いてっ。


 妹の前で精いっぱい見栄を張ろうとしたら、隣の女子にグーパンされた。家族の前だというのに容赦なく、格好をつけさせてくれるような情けも一切なく、荒川にグーでパンチされた。


 俺はその時てっきり、いつものように睨まれて「あんまりナメたこと言ってると轢き殺すよ」みたいなことを言われると思ったのけれど――実際には、おお、何ということだろうか。


 しかしこの時、荒川は全く


 一瞬目を疑った。この時、隣にいるのが全然知らない女性だと思いかけてしまった俺を誰が責められよう――だって荒川は一切気分を害された様子なく、ニコニコと笑いながら俺のことを見ていたのだから――ニコニコ笑いながら、ちょっと何言ってんのよ~的なノリでぽかりと、俺の頭を叩いてきたのだったから。


 ――あれ?


 俺の頭の中で瞬時に無数の疑問符が発生する。


 友人同士でふざけあっている時とか、冗談を言った奴を叩いてツッコみ、笑い合うという光景は全世界で普遍的微笑ましい光景だと思うけど――けど。けれども。でもさ、荒川ってそんなこと、する奴だっけ? そんなこと、してくるような奴だったっけ?


 しかし当の本人はそんなこと露ほども気にしている様子がない。まるで元から仲の良い友達同士でしたと言わんばかりの馴れ馴れしさだ。戸惑うばかりで心中穏やかでいることのできない俺に追い打ちをかけるように、彼女はそして、無条件に嬉しい気持ちにしてくれるような笑顔のまま、


 「仲良いんだね、ふたりとも。江戸君が変なことしか言わないから、ホントに仲悪いんじゃないかってちょっと心配してたんだけど。でも良かった。安心安心。何かホッとしちゃった」


 「いやいや、一体今のやり取りのどの辺が仲睦まじげに見えたと言うんだ?」


 純粋に疑問だった。


 「どの辺と言うか、うーん、強いて言うなら、全部かな」


 「いや、おかしいだろ。この間俺とあいつは一切、にこやかな表情を浮かべてすらないんだぞ。客観的に見て、全然仲良さそうじゃないだろ」


 「あのね、」


 荒川は急に思い込みの激しい友人を説教するような顔になったかと思うと、


 「別に仲良くあるために笑顔でいないといけないなんて決まり、どこにもないでしょ? 顔と言葉だけ取り繕っておいて実際思ってることは全然違う、周りに合わせるためだけの表面上の関係なんてのも、この社会にはごまんとあるわけだしね。でも、その逆だったらどう? まあ、本心から笑い合えるのに越したことはないと思うけど――でも、笑い合えない時でも一緒にいられて、こんなにもいっぱい言葉を交わし合えるような関係って、本当に仲が良くて心が通じ合ってる人同士じゃないと実現し得ないことじゃない?」


 「……そんなものか?」


 「あたしはそう思うけどね」


 自信たっぷりに言い切った荒川。俺は納得したわけではなかったけれど、反論することもできなかったのかただ単にする気が起きなかったのか、とにかく何も答えなかった。


 「リンちゃんいいこと言う~!」


 ここで誰よりも荒川の言葉に賛同してみせたのは宮だ。


 「私もその通りだと思う。喧嘩するほど仲が良いってまさにこのことだよね。本当に仲が良ければ、楽しいのはもちろん、辛い時間や悲しい時間も共有できるもんね。たまに喧嘩もするけど、それは決して亀裂を意味するわけじゃない。むしろ、不満とか怒り、ネガティブな感情も隠さずぶつけ合えるって、なかなかないことだよ。とってもステキなことだよ。私もいつかそんな関係が持てる人と……って、違う違う。これは余計」


 「うんうん。それにさ、」


 宮を味方に加えた荒川は満足げに頷くと(セリフの最後の方はスルー)、


 「兄妹ってさ、あたしはひとりっ子だから絶対そうだって言えるわけじゃないけど……でも、江戸君とミヅキちゃんは、もう十何年って一緒に過ごしてるんでしょ? いくら血が繋がっているからと言って、それだけの長い期間一緒にいて関係が崩れないのって、もうそれだけでスゴいことだって、あたし思うんだ。だってそうじゃない? 十何年間も、そしてこれからもっと長い期間、同じ関係を続けていけるって、これ以上ないくらい仲が良い、ってことだよね」


 「知らん」


 つまり、何年何十年と良好な関係でい続けられる兄妹が仲の良さの最高レベル状態なのだと、荒川はそう言いたかったらしいけれど、俺はそんなことを考えたこともなかったし考える気もなかったのでやはりあまり深くは考えなかった。


 ミヅキと仲が良いかと聞かれれば――悪い、という答えは確かに出てこない。意見が合わずに喧嘩になるときや、しつこく纏わりつかれて鬱陶しく感じることも多々あるけれど――だからと言って別に、嫌いという感情は彼女を言い表すのに当てはまらない。


 じゃあ好きかと問われれば――いや、知らん。やはり知らん。俺とミヅキが仲が良いか? ああ、わかった。答えが判明した。大いなる確信を持って今、ハッキリと言える――んなこたあ知らん!


 俺は何も知らん。ていうかどうでもいい。よくよく考えたら、兄と妹の仲の良さなんてめちゃくちゃどうでもいいことじゃないか? そんなこと気にする奴がどこにいるってんだ。


 危ない危ない、荒川に騙されるところだったぜ。口車に乗せられて、不毛な葛藤をさせられるところだった。非生産的なシンキングタイムほど時間を無駄にすることはないからな。早めに気づけて良かったよ。もう少し遅ければ、俺は永遠に繰り返す時の迷路に己が身を差し出すハメになってたかもしれねえぜ。危ねえ、危ねえ。


 「喧嘩するほど仲が良い、ってとこまで戻るけど、」


 心なしか嬉しそうに、宮が言った。


 「笑い合えなくても一緒にいられる。心が通じ合ってるから、怒ったりわがまま言ったり、どんなことだって言い合える。これって、江戸君とリンちゃんにもピッタリ当てはまってるよね?」


 「はああっ⁉」


 クレーター大の墓穴を掘っていた荒川だった。


 いやまあ、俺もその点については全否定の姿勢を貫くけどな。

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