1-14.


 ◆



 振りかざされる脚。放たれる蹴り。


 打ち出された球は空気を裂き、大気を貫き、やがてそれ自体が風となり。


 夕刻の街の風景に豪快な横線を刻んだボールは、一角にある街灯に当たり盛大な衝撃音を響かせる。


 ゴォーン………。


 ……。


 ――。


 ……。


 跳ね返ったボールの軌道を計算し尽くしていたキッカーがどこからともなく現れ、あまり街中で宙に舞うべきではない球体が地面に落ちると同時に足でキャッチ。ボールの位置エネルギーを片足のこなしだけで全て回収し、一切暴れさせることなく自分の足元に収めた(技名はわからない)。


 キッカーはおそらくそのまま何かしら次の行動に出るつもりだったのだろう。しかしそこで予想外な事態が起きたらしい。凄腕のキッカーはその時視界に入った人物に驚いて動きを止めたのだった――そしてそれは、こちらも同じだった。


 夕焼けの美しい砂浜沿い、ちょっとした林の中の道を歩いている時にいきなりサッカーボールが凄まじい勢いで飛んできて目の前の街灯にヒットしたら、そりゃ誰だってビビるだろうよ?


 いや、それだけならまだマシな方かもしれない。それだけなら、何もないところでいきなり躓いた人間が間違えてすぐ傍に転がっていたボールを蹴ってしまい、それがたまたま風の影響で物凄いスピードに達し絶妙な軌道調整を経て街灯にぶつかったという偶然の産物として納得することも可能だろうしな。


 しかし、だ。もしそれで、そのサッカーボールを蹴った主が知っている人物だったとしたら――それが自分の妹だったりしたら――この時の俺の動揺は、もはや言葉では言い表せない。


 いや普通に、こいつバカだろって思った。


 「……エドっち」


 ここにいるはずのない者を見ているような形相で、そしてミヅキは言った。



 

 「一夫多妻制?」




 「バカか」


 普通にツッコんだ。


 街中で平然とサッカーボールで蹴り遊ぶ人間なんて、俺の知る限りで少なくともこの街にはミヅキひとりしかいない。ストリートサッカーなんて呼べば聞こえは良いが、それは大概の場合において海外で行われるのであって、この国にはてんでそぐわない言葉のはずだ……。

 

 加えて彼女は制服姿だった。学校帰りらしい。サラサラな長髪に控えめだがキメ細かく整った顔立ち、、身長は及ばずとも荒川と肩を並べる申し分ない細身スタイル(当社調べ)。明るい色を好むミヅキは学校指定の赤チェックスカート(けっこうミニ)に白カーディガンと白ルーズソックスを合わせ――ているところまではいいんだけども――袖まくり――これはまあ、別にいい。妹のほっそり白い腕は兄として誇らし(突然原因不明のノイズがっ)。


 そこまでは何も問題ないのに、逆にそこまで何も問題ないからこそ――履き物がバリッバリの運動靴(蛍光ピンク)なのはいくら何でもアウトではないだろうか? しかもそれにプラスしてサッカーボール――何の変哲もないボールなだけに、この図では異彩を放つ。


 なまじ当人の見た目がいいだけに、これが最近の女子中学生のトレンドファッションなのかと時代遅れのご老人なら思ってしまいそうな、ミヅキ流制服の着こなしであった。


 「誰。誰。誰なの。隣の人たちは誰なの。どうしてエドっちが女の子と一緒にいるの。それもふたりも。両手に花じゃん。おかしい、おかしい!」


 自分が見ている光景に納得できず当惑している様子のミヅキ。どう説明したものかと思案に暮れていると、後ろから進み出てきた荒川が俺にだけ聞こえるような声で、


 「もしかして、この子がミヅキちゃん?」


 「いや、違う。赤の他人だ、赤髪だし」

 

 咄嗟に言ってしまったが、嘘をついた理由は特になかった。ただこの先面倒臭い展開になりそうだと直感し反射的にそう否定してしまっただけなのだけれど、結果これが良くなかった。


 「何で。何で嘘つくの。エドっち私のお兄ちゃんでしょ。私エドっちの妹でしょ。どうして嘘ついたの。酷い。妹否定するなんて酷い。説明して。五秒及び二百字以内で説明して。じゃないとその顔吹っ飛ばす」


 運動神経のみならず聴覚器官も優れたミヅキに聞かれてしまっていた。こういう時の彼女は本当に顔面目掛けて弾丸シュートを打ってきかねないので、俺はすぐさま弁解にかかる。


 「待てミヅキ。これは違うんだ。今のは時間差返事だ。今俺がしたのは、荒川……こいつからさっき聞かれた質問に対しての返答なんだ。海辺でエアビーチバレーをしているおっさんは誰か、って質問に対して、のな。今しがたされた質問には、だから時間差で今答える。お前がミヅキか、って質問の返事はもちろん、イエスだ。このフランスはピレネー山脈の雪解け水を使って丹念に熟成された赤ワインがベテランソムリエの手でグラスに注がれる数瞬のように妖麗だがどこか心落ち着かせる深みもある綺麗なロングヘアの持ち主は他でもなく俺の自慢の妹さ。これが他の奴の妹だったりしたら、俺はきっと嫉妬で身を焦がしちまうぜ」


 「描写ダルすぎ」


 「なっ」


 一蹴されてしまった俺だけれど。しかしそんな俺はさすがはこの妹の兄。さばさばしているように見えて、意外とミヅキは健康と同じくらい美容にも気を使っていることをしかと心得ている。


 そんな彼女が特に気にしているのは他でもなく、その背中の半分くらいまであるロングヘア。地で赤みがかっているという貴重さもあってか兄とは違い髪の手入れを怠らない彼女は、その自慢の髪を褒められることを顔には出さないが決して厭わないのである。


 事実この時も、ミヅキはあからさまに嫌そうな顔をしただけで、それ以上攻め立ててくるようなことはなかった。このツンデレめが。


 「それで、結局その人たちは誰なの。いつの間にエドっち、可愛い女の子たちに囲まれるモテ男になってたの。彼女? 浮気? 二股? 修羅場なう?」


 「とりあえずだな、ひとつ言わせろ。妄想を先走りさせるな」


 実際、俺がそれなりに容姿も優れた女子ふたりと――というかそもそも女子と行動を共にしているなどという状況はかつてなかったことだ。俺という男がひたすら女っ気のない生活を謳歌している事実は、そんな人生の唯一の救いでもあったミヅキがよく知っていることだったので、彼女がこの光景を目にして信じられない思いをしたとしても不思議はない。


 しかしここで勘違いされたくなかったのは、決して俺が女子との関係を持ちたかったのに持ててなかったわけでなはい、ということだ。俺は別に――そう、ちょうど今しているように――女子となんて仲良くなろうと思えばいつだってできた。ただ、今はまだその時ではないと思ったからあえてそうしていなかった、それだけのことさ。


 前述の数行がただの強がりであるかもしれないという可能性についてはひとまず置いておくとして。初対面の年上女性たちに遠慮ない視線を送り続けるミヅキに一番の興味を見せたのは、外ならぬその年上女性の片割れ、荒川であった。


 「へぇ。江戸君の妹って言うからどんな子かと思ってたけど、めっちゃ可愛い子じゃん。ていうか超可愛い。ヤバ」


 急に最近の女子高生みたいな口調になった荒川は俺の顔をじろじろと見てきたかと思えば、


 「……ふーん。やっぱ兄妹ってそっくりになるもんなんだね。うう……悔しいけど、ちょっと羨ましいかも」


 意味深なことを呟いたが、その真意を問う時間を俺に与えることなく続けてミヅキに向かい、


 「こんにちは。あたしたちはお兄ちゃんの友達なんだ。よろしくね。あたしは輪子って言うの。リンちゃん、とかって呼んでね。そっちの子は宮風香ちゃん」


 名指しされた宮は持ち前の明るさで前に躍り出る。


 「こんにちはっ。宮です。風香ですっ! ミヅキちゃん、でいいのかな? お兄ちゃんにはいつもお世話になってます。よろしくね」


 急にステータスを上機嫌に転換させた両隣の女子たちだった。その勢いのあまり不穏だった場面に突然ポップなBGMが流れ出しそうなほどで――しかしまあ、何と言うか、女性にありがちな気がすることだけれど、相手が同性年下だからと言って、こんなにも簡単に警戒心を解いてしまってもいいものなのだろうか? 


 特に荒川。何だその人好きのするような顔は。そんなフレンドリーな笑顔、一度だって俺に向けてくれたことはないのに。お前が今相対してるのは俺の妹だぞ。俺と同じ血が流れてる人間だぞ。それなのに、どういうことだ。この対応の違いはどういうことなんだ。兄か妹かという違いしか、俺たちの間には存在しないんだぞ? 男か女かという違いだけなんだぞ? 


 たかが男女差、されど男女差ということなのか。これが男と女の差ということなのか。


 絶対に埋めることのできない、永久不変のディスタンスということなのか……!

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