1-9.
――そして金曜日。
土日休みという安寧の時を目前にして、かつて世界最高の脳たちをも難儀させた議論が再開される。
「それで、どうしよっか?」
という荒川のひとことによって口火は切られたわけだけれど、別にこれに関しては、たまたま最初に言ったのが彼女だったというだけで、その役を請け負うのが彼女じゃなければならなかったというような事実はどこにも存在し得ないだろう。
実質この部活は暗黙の了解によって荒川がリーダー的立ち位置にいるのは確かだけれど、事は部全体の問題だ。アリスさんが当たり障りのない感じにやんわりと言っても良かったし、宮がきょとんと目をくりくりさせながら聞いてきても良かった。つまりはまあ、この事案はこの部活にとって避けられない運命であったわけで、誰かしらが再び口にすることは必然的、時間の問題だったと言える――その時がたった今、この日にやってきたというだけの何の変哲もない話なのだ。
「いろいろと物が増えて、見た目だけは自転車部って感じになったけどね」
と、宮が言った通り、つい四日前には何もなかったこの部屋は今や立派な自転車部室、もしくはちょっとした自転車専門店のような様相を呈している。
まずは自転車が数台(荒川の愛車を除けば全てアリスさんの物だ。ロードバイクから何やら戦闘機を彷彿とさせるようなデザインの知らない人には自転車と認識できるかすら怪しい自転車(ティー・ティー・バイクみたいな名前で彼女らは呼称していた)まで、さながらスポーツ自転車専門店のように壁際で整列されている)、そして自転車トレーニングに使う器具が数台。荒川は折りたたみ式の小さな椅子まで持ち込んで出入口正面に専用整備スペースを確保しているし、窓際やら新調した棚の上やらには宮の自転車パーツアンティークコレクションがここが美術展会場だと錯覚させるような感じに展示されている。
たったの数日間で見違えるような変化だ。これらは全て新生自転車部に並々ならぬ情熱を注ぐ自転車女子たちの功績なのだけれど、とりあえず見てくれは堂々たるものになった現在――その中身、部の活動内容については未だ何もまとまっていない。
「何かもう、こうやって集まってダべってるだけでもいい気がしてきた」
早くも妥協し出す荒川。整備スペースを陣取って何らかの作業に勤しんでいる。
「私も、皆と一緒に楽しく過ごせるなら何でもいいなー」
宮はテーブル(教室にある机を四つ、正方形状に並べた物)で、学食で買ってきたのであろうミルクコーヒーに夢中になっている。客観的に見て活動に対する積極性の欠片も見られない。
「じゃあホントに江戸君が言ってたみたいにしちゃう? 何だっけ、自転車交流会みたいな」
「それもいいかもね。自転車に囲まれながらお茶飲んだりコーヒー飲んだりするのって何だか特別感あって、私好きだなぁ」
「ね、その気持ちすっごいわかる。あたしもコーヒー飲みたくなってきたなぁ……あっ、そうだ、自転車研究部っていうのはどう? 鉄道研究部みたいな感じで、それなら部活っぽいじゃん」
「えーっ、何それ、面白そう! 具体的にどんなことをするの?」
「んー、部室で自転車のことについて語って……雑誌とか見て……情報共有して……たまに出かけて……んー……あと何だろ。ま、基本的には部室でのんびりする感じ?」
「そこが重要なんだね……。でもまあ、それでも楽しそう! 自転車部だけど文化系っぽくて、私はそっちの方がいいかもなぁ」
「これだけ機材が揃ってればアリちゃんも好きな時に好きなだけ練習できるし、あたしたちもたまに貸してもらえるし……そーね、とりあえずそんな感じでいいんじゃない? 自転車研究部って名前にすれば、何しててもそれっぽいじゃん」
「確かに、研究部って言うだけでそれっぽく聞こえる……いい響きだね、研究部」
「うん、じゃ決定。自転車部じゃなくて自転車研究部。自転車も別に走りに行くことだけが全てじゃないもんね。多様な自転車の楽しみ方を研究するっていう理念を掲げとけば、学校も承認してくれるでしょ」
「すごい……一気にまともな部活に聞こえるようになった。自転車部だけど研究部。斬新な発想だね」
「テキトーだなおい」
ツッコまざるを得なかった。宮とともにテーブルの席についていた俺は、この日ここで初めて会話に参加する。
目の前のふたりのやり取りで自転車部の大まかな活動方針がまとめられたようだったけれど、しかし俺が学校側に申請したのはあくまで自転車部だ。主にサイクリングをしたりイベントに参加したりする部活動というような内容(無知ながらにも懸命にネットを駆使してそれっぽく考えた)で申請書を提出しているので、その基本的指針から大きく逸脱するような活動理念を設定したり部活動名を勝手に変えたりするのは最悪の場合部活動の存続と俺の沽券に関わる。
「けっこう真面目に考えたんだけど。じゃあ何、江戸君はもっといい案があるの?」
荒川のパワフルな視線が飛んでくる。彼女に睨まれるのはいつだっていい気がしない(何が起こるか不安になるという意味で)。
「別にそんな深く考えなくとも、この前言ってた感じでいいんじゃないのか? ほら、確か合宿とか言ってたろ。定期的にどっか遠くにでもサイクリングして、長期休みになったら二泊くらいで合宿。普段はそうだな、長距離旅や合宿に向けての基礎体力作り。校庭でランニングとか階段上りとか、何ならそのアリスさんのトレーニング機材とやらを使うんでもいいさ。自転車イベントなんてのもあるんだろ? たまにはそういうのに参加したっていい。どうだ、これだけで十分部活っぽくねえか?」
何故最初からこれを思いつかなかったのだろうと不思議になってしまうくらい、我ながら単純かつ明快で完璧な案だと思った。
事実、そのあまりの隙のなさは荒川の反撃すら許さず、珍しくも彼女はあっけにとられたようにこちらを見て、
「……江戸君にしてはまともな意見」
ちょっと信じられないとばかりにそう呟いた。
「俺にしてはって何だよ」
批難を加えると、
「だってそんな理に適ったようなセリフ、江戸君の口から初めて聞いたもん」
「そんなことないだろ。言っておくけどな、俺は生まれてこの方合理性しか追及したことがないんだぞ」
「だからそんな変な性格になったの?」
「……」
墓穴を掘った。
よく考えずにテキトーなことを言うもんでもないな。うん。
気を取り直して、
「ま、とにかくそんな感じだろ。そういうわけで早速、今日はランニングだ。ほら、お前たち、早く着替えて校庭を十周して来い」
「話進めるの早すぎだから」
女子ふたりに課題を残して自分は帰るというプランだったのだけれどあっさりと荒川に阻止されてしまった(ちなみに今日はアリスさんは来ていない。週末のレースの準備をしないといけないらしく、今日は欠席だ)。
荒川にはこれまで嘲笑か侮蔑か殺意の目でしか見られた覚えがないのだけれど、この時に限っては俺の素晴らしい提案に恐縮していたらしい。その証拠に、彼女はどこか不満げながらも俺のことを普通に――少なくとも話すには足る相手だと認めているような目で――見ながら、
「でもその通りかも。合宿とかイベントをメインにして、普段はそれに向けての準備。シンプルだけどこれぞ部活って感じだし、何より合宿したいね、合宿。楽しそう」
そう言って、俺の提案を肯定した。心なしか胸を弾ませているような風でもある。
尊敬する相手にやっと認めてもらうことができて自信がみなぎってきたというわけでは特になく俺はいつも通りの調子で答える。
「ま、そうしたらしたで最初の問題に戻るけどな。皆それぞれ方向性が違うとか何とか、だっけ。お前の趣味思考は俺の理解の範疇外で宮はのんびりサイクリングが好き、アリスさんは本格レースが好き。各メンバーの要望を全て取り入れられるような合宿プランを立てるってのが壁として立ちはだかりそうだな」
「んー、そうかなぁ……そっか、確かにそうかも。みんなでツーリングとか面白そうだけど、アリちゃんはレースのトレーニングしたがるだろうしなー。フーちゃんはどう? 合宿するとしたら、どんな感じがいいと思う?」
「うーん、私はね……、」
宮は目をきらきらと想像を膨らませつつ、
「合宿するなら……色んなトコに行って地元の街を巡りたいかなぁ。和の風景が残ってるトコとか、田舎オシャレなトコとか、時間かけて自転車でゆっくり回るっていうの、ずっとやってみたいなぁ、って思ってるの。潮の匂いに包まれながらおいしいお魚料理食べたり、海とか山の風景を見ながらサイクリングしたり、途中で寄ったいい雰囲気のお店でゆっくり地元のお菓子と一緒にお茶したり……ううぅ、いいなぁ、そういうの! もしかしたら、どこかで誰かいい人との出会いがあったり……って、いやいや、そんなのないから! ってあれ、あっ、違うの、最後のは何でもなくてっ」
いきなり慌て出した。
「ふーん。フーちゃんってそういうのが好きなんだね」
勝手にペラペラ喋って勝手に動揺し出した宮とは裏腹に、冷静な荒川はここぞとばかりに口の端を吊り上げる。
彼女の視線に絡みつかれた宮は両手で顔を隠し三倍速くらいで首を振りながら、
「ちっ、ちがっ、違っ、あのっ、そのっ、」
「何が違うのー?」
「うーん、その……最後のは、言い間違え!」
「何を言い間違えたらそうなるんだ」
別にいたいけな少女をいじめて楽しむ趣向なんてないのだけれど思わず俺もツッコみ参戦してしまう。
キャーッ、と小さな悲鳴を上げた宮は急に動作停止したロボットみたいにテーブルに突っ伏せて、
「うぃーん。緊急事態、緊急事態。恥ずかしさのあまり私、宮風香は停止しました。停止しました。心を落ち着かせたいのでしばらく放っておいてください。お願いします。お願いします」
そのまま動かなくなった。
彼女の変貌の突然さあまり俺は本当に宮が実はロボットだったのかと一瞬疑ってしまったほどで、荒川も同じような気持ちだったのだろう、からかうのも忘れてぽかんと目を取られていた。
数秒後、荒川と目が合った時、俺は初めて彼女と気持ちを共有した――くすりと、同じような笑いを零してしまったのだった。
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